第21話

ホテルから出ると、奈良若草署の刑事が待っていた。その彼の運転する車で奈良公園に向かった。

上原警視正が奈良公園の入り口に着いた頃には雪は本格的に降り出していた。上原は、奈良公園に入った所で車を止めさした。

「歩くか!」

上原警視正は独り言を言った。

「えっ、何か言われました?」

奈良に入った時から行動を共にしてくれている若い刑事は聞き返して来た。一人で動きたかったから断ったが、奈良は不案内だったのを思い出した。仕方なく、一人だけ付き添いをつけてもらうことにした。それが、串崎勝だった。二十六歳で、刑事として経験は二年も満たない。

「寒い!」

「えっ。何か言われました?」

串崎は、また同じことを聞き返した。

小原は返事をしなかった。というより、串崎の声を聞いていなかった。彼は考えに集中したい時には、一人で歩いた。いつも一人で歩いている方が多かった。その方が考えやすかったからである。その点、九鬼龍作と似た所があるのかも知れないと思うのだった。

「ふっ」

彼の口から吐息が漏れた。

今年の冬の奈良はいつもよりも寒いと、こっちに来る前小原の耳に情報として入って来ていた。奈良の冬は寒いと言うことくらいは知っていた。だが、その奈良に自分が行くことになろうとは考えもしなかった。それも、

(あいつ・・・)

「九鬼がこんな所で意味不明の事件を起こしたからだ」

クリスマスが終われば、絵は必ず返すと龍作は宣言している。あいつのことだから、間違いなく絵は返しに来るだろう。世界の名画を盗むのは犯罪だ。だが、あいつが返すと言っているんだから、そう苛立つ必要もないと言う奴もいるかも知れないが、ことはそう簡単にすまされない。

(俺が許さないのだ)

「俺の名誉を、これ以上傷付け、晒し者にはさせない」

小原は吐き捨てるように呟いた。

「警視正!」

串崎は叫んだ。


「クリスマスだね」

城倉陽太郎は顔を赤らめ、時々田沢照美の目を見ていた。照美を見ているだけで、陽太郎にはすごく嬉しいようであった。

「うん」

照美は微笑んだ。

「どうするの?」

今日のクリスマスの夜の過ごし方なのである。陽太郎は気になっていた。いや、クリスマスが近付くにつれて、彼はずっと気になっていた。だから、思い切って、聞いた。

「何も変わらない。いつものように、お母さんと一緒にいるだけ。それで・・・いいの。陽太郎君は?」

「僕も、お母さんと一緒だよ。同じだね」

陽太郎は輝美を見つめた。彼としては、自分も同じだというのを強調したかったのである。そして、そのことで、照美の笑顔をもう一度見たかったのである。その時、自分も微笑むつもりだった。だが、彼女は悲しい表情を浮かべたのである。

(どうしたのかな?)

陽太郎は輝美から目を逸らさない。

(笑って!)

彼は願った。

彼女の顔に変化はない。

力付けようと思って、

「プレゼント・・・クリスマスプレゼントは、もらった?」

と彼は訊いて、照美の顔を覗き込んだ。

輝美の哀しい顔なんて、陽太郎は見たくはなかったのだ。


田沢照美は首を振った。

(泣いているのかな!)

陽太郎は悲しい気分になった。勇気を出して、彼女の顔をの込んだ。瞳に、涙が滲んでいるように見えたが、頬に流れてはいないようだった。

「これから・・・」

有美の言葉は続かない。彼には何を言おうとしているのか、分からない。

「お母さんは?」

陽太郎は聞いた。近くに照美のお母さんの姿が見えなかったのだ。

「お母さん。今、伯母さんの家に行っているの。ここで待っていなさいって」

照美はカメラ店の先の小路の角に、何度も目をやっていた。さっきから見ているが、その小路から人の出て来る気配はなかった。何だか、ずっと誰も出て来ないような気が、彼にはした。

「早く来てくれるといいね」

「もう来ると思う」

「そうだね。もうすぐ照美ちゃんのお母さん、来るよね。そろそろ昼だけど、何処で食べるの?」

「まだ決めていないの」

「そうなんだ。僕は、お母さんと富士見屋で待ち合わせをしているんだ。そこで、中華そばを食べるんだよ。この町に出てくると、いつも、そう。好きなんだ、中華そば」

「私も好き、一緒に行きたいな。お母さん、早く来ないかな」

照美はまた小路の方を見たが、人影はなかった。

黒いひげのサンタは快い面持ちで、二人の子供を見つめていた。

「早く行かなくていいの?」

自分が陽太郎を引き止めているんじゃないか、と照美は気を使った。こうして話し相手になってくれるのは嬉しかったけど、陽太郎はお店でお母さんと待ち合わせをしているのである。

「何が・・・どうして?」

「お母さんに会う約束があるんでしょ?」

「あっ!大丈夫だよ」

陽太郎は笑って見せた。照美が気を使ってくれたことが、陽太郎には嬉しかった。彼には    母美千代は必ず遅れて来ると思っている。

「ほんとうに!」

「ほんとうだよ。お母さん、約束の時間にはいつも遅れてやって来るんだから」

陽太郎は輝美が急に寂しそうな顔になったのに気付いた。だから、今彼女の傍を離れたくないとおもったのである。

「ちょっと・・・座る?」

新しく出来た道路の歩道には、所々に石のベンチが設置されていた。ここは観光地ではなかった。牛肉が有名で、あとは城跡のある町だった。だから、観光客はそれほど多くはなかったが、来てはいた。その人たちが牛肉を食べた後とか、歩き疲れた足を休める椅子だった。

照美は頷いた。

雪が降って来ていた。座るとお尻がひゃっとした・

「冷たい」

といって、陽太郎は立ち上がった。

「うふっ」

有美は口を押えて、笑った。

黒いひげのサンタは二人とは離れた一つ横のベンチに座った。彼はゆったりとした気分で足を組み、通り過ぎて行く車を眺めていたが、時々、中の良さそうな幼い恋人に目をやった。そして、彼は実に満足そうに微笑んでいた。

 この時、

 「ピッ、ピピピッ・・・」

 よく通る何かの鳴き声が聞こえた。

 照美は雪の舞う空を見上げた。

 「何なの・・・鳥?」

 すると、見慣れないマゼンタ色の鳥が、こっちに飛んできて、黒いヒゲのサンタの肩に止まった。

 照美は驚いている。

 陽太郎は笑って、

 「このおじさん、鳥と話せるんだよ、本当だよ」

 とニコニコしている。

 どうやら本当らしい。大きな小父さんと鳥は何やら話しているように見えた。

 「ピピッ」

 「そうか、そうか」

 「ピーピピッ、ピ」

 「大分とイライラしているようだね」

 「ピピッ」

とマゼンタ色の鳥が鳴き続けると、背の高いおじさんは、

 「わかった」とか「そうか、そうか」「警視も弱っているようだな」

 鳥と人間は意思を通じ合っているように聞こえたが、内容は分からない。そして、最後に、

 「分かった。あっちの友だちを集めて置いてくれないか。小原くん、びっくりするだろうな」

と、おじさんは微笑んだ。

 陽太郎と照美は顔を見合わせ、少し首をひねった。黒いヒゲのサンタが言った意味が分からないのだ。そのとき、

「ピピッ!」

と、マゼンタ色の鳥が鳴くと、雪空に勢いよく飛んで行った。

          


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