第20話
小原警視正は、ロビーのソファに座った。
まだ、気分は苛立ったままだった。中村裕一郎がマスコミを呼び集め、九鬼龍作への懸賞金を発表したのは、つい一時間ほど前である。
明日になればワイドショーでは盛んに騒ぎ始めている。その影響から、ゴッホの展覧会も、今展示されているひまわりが贋物であるにもかかわらず、人々の好奇心を余計にくすぐってしまうだろう。クリスマス・イブにいい加減飽きてしまっていた人には、とっておきのいい話題が出来たという所なのかも知れない。
しかし、明日には、すべてが終わっているはずである。
たった二日だけの事件である。だが、とてつもなく派手な事件である。
九鬼龍作のことだから、必ずひまわりの絵は奈良博物館に返しに来るに違いない。
これは、
(あいつの気紛れに違いない)
と小原は思うのだった。多分、この事件から、九鬼龍作の新たな情報が飛び込んでくることはないだろう。そう簡単に、九鬼龍作についてのより確かな情報が、これまで以上に得られるくらいなら、警察はとっくにあいつを捕えているはずである。
(そうだ)
もうとっくに、俺はあいつを捕まえている。小原はこう思うことにした。
だから、こんな話題は少しも気にすることはないんだ。こう自分を納得させても、彼は腹が立って仕方がなかった。
それにしても、奈良博物館館長の大海経の行方が掴めたという連絡は、まだ入って来ていない。大海の住むマンションの方にもまだ帰って来ていないようだった。
小原警視正はまだ一度も大海経に会ってはいなかったのだ。
「館長の写真は?」
小原が奥出副館長に聞くと、手元にはありませんという返事が返って来た。
「そういうものが嫌いな方なのです」
(きらい・・・)
小原の脳がざわついた。
「どんな人だ?」
「むぅ、一言で言うのは難しいですね」
小原は奥出を見て、可笑しい、と思った。
(何が?)
ことは急だった。龍作の起こしている事件は、たった二日なのである。今の所、先手を打って出ることは出来ない。どう出て来るのかまるっきり分からないのである。
「可笑しい!」
小原は、声に出した。
「難しくてもいい。感じたままに言ってもらえばいい」
「それでは・・・」
奥出副館長の言わせると、大海館長は柔和な顔をしているが、人を見る目は鋭く、見つめられると、私などは思わず言葉を失って、つい本当のことを告白してしまいます。いえ、館長の目が怖い、というのではなく、何と言うか、この世の人でないような感じなのですね。
「いや、違いますね。何を考えているのか、分からない人。館長の心が読むこと・・・想像することさえ出来ません。私の想像を遥かに超えている人のように思えます。」
と奥出副館長は説明した。
小原警視正は、
(むっ!)
と唸った。彼が予想した人柄、容姿とはかなりかけ離れていたのである。まだ姿を現さぬ館長が九鬼龍作ではないのか、という予感が、一瞬彼の脳裏をよぎっていたのである。
彼には、時々何処からか降って沸いたように予感が浮かんで来ることがあったが、それは大概当たっていた。もっともその結論を得るのは、事件が終わってからであるのだか。
彼には奥出副館長の説明からは、大海館長の顔や人柄が今一つ良く分からなかった。もっともこの世界で誰一人九鬼龍作の本当の顔を知らないのである。まして人柄ともなると、マスコミなどはかってな想像をしているのだが、まだ定まっていない。
小原警視正は九鬼龍作のことを考えると、もやもやっとしたじれったい気持ちに追いやられてしまう。
上原警視正はあれこれ想像ばかりしているしかない自分に苛立ち、じっとしていられなくなり、ホテルを出た。
行き先は、もちろん奈良博物館である。制服の警官と私服の刑事で博物館の周りを固めている。ゴッホの絵画を盗みに来るというのではない。龍作はすでに絵を盗んでいるのである、博物館の周りは、緊張感の抜ける張り込みになっているはずである。
だが、この事件の首謀者は九鬼龍作である。いくつかの事件で、九鬼は指名手配になっている。いくつかの事件に九鬼が関与したという確かな証拠というものはない。九鬼が、そこに現れたという事実だけが残っている。
「九鬼は必ず現場に現れる」
上原警視正は確信する。
(今までもそうだったから、今度も九鬼は現れる)
彼は何度も自分に言い聞かせる。
しかし、
(何も出来ない、ただ、奴が現れるのを待つしかないのか・・・)
だが、上原の気性が許さなかった。
(何が出来る?)
考えるのだが、上原警視正には何も浮かばない。
その知恵が問題なのである。その手の知恵に懸けては、想像力といっていいのかも知れないが、九鬼の方が明らかに上手なのである。この点は、上原警視正も認めていた。
(九鬼龍作・・・どう・・・来る!)
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