第18話
一か月くらい前だった。
城倉陽太郎が団地の公園で遊んでいた時だった。退屈すると、陽太郎は、ここに来ていた。友だちがいないのではない。遊具が少なかったけど、彼はここの公園がすきだった。
一郎君がいた。
いつも公園には来ていないようだったが、来ると、一郎はいつも公園の中をぐるぐると走り回っている。
元気な男の子だった。
母の里子は公園の入った所にある大きなタイヤに座り、やはり何時ものように友達と話していて、一郎の動きまわる姿に目を配っていた。
いつもの光景だった。
その時、
「あっ!」
陽太郎は叫んでしまった。
砂場のくぼんだ穴につまずき、一郎が転んでしまったのである。一郎は泣かないと思いか、その様子を見ていた。
初め、一郎は泣かなかった。転んだくらいで泣く子ではない。だけど、手に握っていた戦闘機のおもちゃが壊れてしまったのに、陽太郎は気付いたのである。壊れた飛行機の無残な姿を見た時、一郎は泣いた。
今、一郎が持っている戦闘機のおもちゃの主翼はボンドのようなものでくっつけたようで、白いものが接着部分に見えていた。
その時、陽太郎は、倒れたまま起き上がろうとはせずに、泣いている一郎に気付くと走って行って抱き起そうとした。しかし、陽太郎が二三歩走った所で、一郎は自分から起き上がった。
陽太郎は壊れたプラモデルを拾った。片方の主翼は完全に取れてしまっていた。なんとか直してやろうと思ったけど、その場ではどうすることも出来なかった。
「こわれちゃったね」
と言うと、一郎は黙ったままじっと壊れた戦闘機を見つめていた。
その時から、一郎と話すのが多くなった。その日の内に彼は陽太郎のことを、お兄ちゃんと呼んできた。陽太郎は、その名の響きにたまらない嬉しさを感じた。
一郎は、《つばめ》の店の前で尻をついて座ってしまった。絶対に飛行機のおもちゃを買って欲しいようだ。今にも雪が降って来そうな寒さだから、半ズボンの彼には冷たくないはずがない。でも、彼の表情からは、そんなことは少しも感じ取れない。
母の里子は時々通り過ぎて行く人の目を気にし、困ったという顔をしていた。彼女は何度が一郎の腕を引っ張ったが、少しも動こうとはしなかった。
(よわったわな・・・)
里子は周りを気にした。誰も見ていないのを幸いに、彼女は一郎を抱き上げた。
一郎は、母親にまだ抱き上げられる体重の重さしかなかったのだ。抱き上げられた一郎は初め暴れていたが、しばらくすると里子に抱き付いていた。
陽太郎はその様子を見ていて、何だか、ほっとした気分になったが、それとは反対に、戦闘機のおもちゃを買ってもらえない一郎が可哀想になった。
彼は黒いヒゲのサンタクロースを見上げた。少年には、どちらの気持ちが自分の本当の気持ちなのか判らなかったのだ。
陽太郎は走って行き、里子と一郎を追い掛けた。
そして、二人が曲がって行った方を覗き込んだ。
(・・・)
二人とももう見えなくなっていた。大通りを駅の方にまがったのかも知れなかった。
この町を東西に走っていた駅前の通りは以前の細い道幅の道路では、車の多くなった今の時代に対応仕切れなくなって、広くしたようだ。しかし、その広くなった道路から逸れた昔からの道は、まだ旧いままの姿を十分残していた。
「もう見えないよ。駅の方に行ったのかも知れないね」
陽太郎は黒いヒゲのサンタクロースをまた見上げた。
城倉陽太郎はプラモデル専門の店つばめのショーウインドに目をやった。彼は一郎が何を・・・どのプラモデルを見ていたのか確かめようと、ショーウインドのガラスに顔をくっつけた。
広い草原の中に山が連なり、一筋の川が流れている。その中に、戦車や自動車のプラモデルを配置してあり、それなりの迫力を出していた。上からは飛行機のプラモデルが糸で吊るしてあった。ショーウインドの世界では、現代の旅客機と第二次大戦の時に活躍したゼロ戦が並んで飛んでいた。
(何を見ていたんだろう?)
陽太郎は考えた。
一郎の毀れた飛行機は、自衛隊の戦闘機だった。どんなに気に入っていたか、陽太郎はよく知っている。一郎の父靖男は自衛隊にいて、どうやら戦闘機に乗っているようだ。とっても厳しい人のようだった。一郎は靖男を怖がってはいなかったが、甘えている所を、陽太郎は見たことがなかった。
そんな父を、一郎は自慢だったに違いない。そうでなかったら、一郎は戦闘機のプラモデルを自慢気に持ち歩いていなかったはずである。
お父さんには、新しいのを買ってとはいっていないような気がした。その反動で、一郎は母の里子に甘えたのかもしれない。そんな一郎の甘えに応えてはいなかったが、里子は優しい目で一郎を見ていたような気がした。陽太郎は胸が痛くなった。
城倉陽太郎が見たところ、ショーウインドの中には一郎が好きなプラモデルはなかった。店の中に入って見ようと、里子にねだっていたのかも知れなかった。
「一郎君、お父さんに戦闘機を買ってもらいたいのかな?」
陽太郎は黒いヒゲのサンタクロースを見上げた。
「どうかな」
黒いヒゲのサンタクロースは少年の頭を撫でた。
「中に入って、もっと飛行機を見たかったのかな?」
「さあ、どうかな」
何も答えてくれない黒いヒゲのサンタクロースを、陽太郎は変な目で見た。
そんな気持ちに気付いたのか、
「自分で良く考えてごらん」
と言って、黒いヒゲの中から白い歯が見えた。
「中に入って、いい?」
黒いヒゲのサンタクロースは頷いた。
《つばめ》の中は、いろいろなプラモデルが山積みされていた。陽太郎は一目散に飛行機のプラモデルが積まれている棚にいった。
あるかな?という不安はあったが、一つ一つの箱を探した。
「あった。これだ。一郎君が持っていたのは」
そんなに大きくない箱に、F4EJという字を見つけた。陽太郎が届かない高さの棚だったので、黒いヒゲのサンタクロースが彼を抱き上げてくれた。
陽太郎は箱を手に取り、
「これだ。一郎君、これが欲しいんだ」
と喜んだ。
「それで、どうするんだ?」
黒いヒゲのサンタクロースは陽太郎をジロッと見つめた。
陽太郎は少し動揺した後、考えた。正直、自分でもどうするのか、何も考えていなかったのである。
陽太郎はあることを思い付き、ひとつ大きく頷いた。
「いい考えでも思い付いたようだね」
「うん」
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