第11話

道路を渡り切る寸前に、城倉陽太郎は額にひやりとしたものを感じた。

(何だろう、雪・・・?)

陽太郎は立ち止って、空を見た。彼は首を傾げた。すると、

(ぶるっ)

と小さな肩が震えた。

雪は白く冷たい。去年も見たし、その前も見た。少しくらいなら降っていい。でも、多く降るのは嫌いた。それに、雲が嫌いではない。どんよりとした灰色の雲は静かに止まっているように見えた。でも、その様相は、今にも踊り出しそうな怖さがあった。

「どうしたんだ?そんな所で立っていると、車にひかれるよ。ほら、危ない!」

 陽太郎は急に手を引っ張られた。その反動で倒れそうになり、引っ張った人の腕の中に抱かれた。その後ろを車は通り過ぎて行った。

「有難う、小父さん」

陽太郎はまだ手を握られていて、逞しい腕で抱き締めている。

その人の顔を見上げた。

男の口の周りは、黒いヒゲで覆われていた。その中に、白い歯が見え、にこりと笑っていた。まだ五歳の陽太郎からは、

(すっごく大きく・・・)

見えた。

何処か別の世界からでもやって来た雰囲気が漂っていた。

陽太郎は、

(にっこり)

と笑った。だが、顔が強張ってしまっている。

「向こうに渡りたいんだ」

渡り切った所にあるショーウインドの服を見たかったからである。

黒いヒゲの男は、まだ陽太郎の腕を離さない。陽太郎がいくらもがいても、男の握る手は力強かった。それでいて、男の手は暖かかった。

陽太郎は不思議な生きものでも見るように、まだ男を見上げている。

「小父さん、痛いよ。離して」

「僕を誘拐しようとしているの?ためだよ。僕はお母さんを一人にする気はないからね」

陽太郎は思いっ切り腕を引っ張り、振りほどこうとした。だが、男の握る手は少しも緩まなかった。ますます強く握り返された.

「ハハハ、ごめん。ごめんよ。そんなに怖い目で、私を見ないで欲しい。私は君を誘拐する気なんてないからね。君は、陽太郎君だね。城倉陽太郎君」

「う・・・うん」

陽太郎は素直に頷いた。彼はそんな素直な自分に驚いた。男の自信に満ちた態度に、思わず頷いてしまったようだ。だが、すぐに浮かんだ疑問に、

「小父さん。どうして僕の名前を知っているの?小父さん、誰なの?」

と陽太郎は聞いた。一度も会ったことのない人が、ぼくの名前を知っている訳がない。彼は一層の不審感を抱いた。

(この人は誰なんだろう?)

黒いヒゲの男は陽太郎の頭を撫で、

「小父さんは、君のお母さんを良く知っているんだよ。君がどんなに勇敢でたくましい男の子か、お母さんから何度も聞いているよ」

と言った。

「えっ、僕のお母さんを知っているの?」

母美千代を知っていることに、陽太郎は驚いてしまった。

(ゆうの知らないお母さんの友達がいてもいいんだけれど・・・)

それでも、陽太郎は完全には心を許す気にはなれなかった。陽太郎はじっと黒いヒゲの男を見つめ、目を逸らさなかった。目の前の男の正体を見破ろうとしたのだが、

「君が生まれる前からの友達だから、君よりもお母さんのことを良く知っていることになるね。君のことは、お母さんからいろいろ聞いているよ」

不思議な気分になった。黒いヒゲの男が嘘を言っているとは思わなかった。

(でも・・・でも・・・)

と、陽太郎は一生懸命考える。もう少し疑ってみる必要がある、と思った。

「僕のお母さんの名前は?」

陽太郎は胸を張って、黒いヒゲの男の周りを歩き、観察した。

「いいね。なかなかの探偵さんだ。陽太郎君のお母さんの名前は、美千代だ。そうだね」

陽太郎はこくりと一つ頷いた。

「合格かな?」

陽太郎は、うん、と首を縦に頷かない。まだ、一つ当たっただけである。だが、黒いヒゲの男の目に逆らうことが出来ず、頷いてしまった。

「よし。今度は私の質問だ。いいね」

黒いヒゲの男は陽太郎の顔に高さまでしゃがみこんだ。

「これから、何処へ行くんだね。いやいや、クリスマス・イブの日に何処へ行くのかなんて、こんなに判り切った質問はいけないね。君は車のよく通っている道を渡ろうとしたんだね。車にひかれたら、どうするんだ。お母さん、悲しむよ」

「うっ、うぅーん」

陽太郎は、目の前の道路を次々に通り過ぎて行く車を見て、唸ってしまった。

「あの服が目に入ったので、つい・・・」

黒いヒゲの男は、陽太郎が見ていたショーウインドに目をやった。大きなメガネの店と虎屋ういろうの店に挟まれた小さなブティックだった。小さなショーウインドの中のマネキンは、青と紫のライトに美しく輝いていた。寒い十二月二十四日の日に、そこだけが別世界の輝きを見せていた。

「あれが、どうしたんだ?」

陽太郎は道路を渡り、ゆっくりとショーウインドに近付いて行った。黒いヒゲの男は、陽太郎の後について行った。


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