第7話

頷いたが、

(気分は・・・)

最悪だった。

小原警視正が九鬼龍作を追って九年になるが、

(この俺でさえ、あいつの人相が・・・)

はっきりとしたことは分かっていなかった。

ただ、九鬼が変装の達人だということは、誰もが知ることだった。いや、そういう考えに行き着くしかなかつた。

(変装がうまい・・・としか考えられなかった)

のだ。他には、

(九鬼には何人かの仲間がいる)

ことは分かっていた。

それだけである。

「やつは本当にそう言ったんだな」

小原警視正は近藤の胸ぐらをつかみ、強く握り締めた。

「は・・・はい」

近藤は怯えた目で小原を見つめている。彼のがっしりとした体が小刻みに震えている。

すべてが九鬼龍作の計算通りに運んだことになる。九鬼がどういう方法でひまわりの絵画を盗んだのか分からない。今はそんなことは、どうでもいいことだった。

ただ、そうだろうと推理は出来る。

名古屋から奈良に向かっている途中で、国道の鉄柵に車をぶつけたのは九鬼だった。たいした自損事故ではなかったが、その時近藤の知らぬ間に絵は本物と贋作と入れ替わったのかもしれない。

(きっと、そうだろう)

九鬼は遅かれ早かれ、ひまわりの絵が贋作だと見破られるのを承知していた。そして、近藤主任が警察の事情聴取に、すぐに事の成り行きを素直に話してしまうのも承知していた。だからこそ、近藤に次のことを言わせたのである。

「警視庁の小原警視正に連絡して、奈良まで来てもらってくれ。クリスマスが終われば、また絵はもとに戻す。今度のことを、つまらない遊びと思わないで欲しい。これは、私にとって大事なことだ」

(せっかくの誘いだから)

小原警視正は奈良博物館に行って見ることにした。博物館には学芸員がいる。到着したひまわりを、彼らの誰一人として贋作として見破れなかった。

(可笑しなことに)

二流の美術評論家が見破ったんだが、その評論家にも一度は会っておく必要があるとも思った。

もう一つ、

その名作を一度は見ておく必要があると思った。普通なら贋作なんて見たいと思わないものだが、奈良博物館は今とんでもないことになっているらしい。今の時代変わったことに興味を持つ人が多い・・・小原は苦笑する。

そんな人々の気持ちが、小原には分からない。もっとも、絵の良さなんて全く理解出来ない自分が、贋作を見ておく必要があるという気持ちも理解出来なかった。

(ふっふ・・・小高という新入社員は、もういないだろう)

なぜか、小原は笑ってしまった。

奈良西若草署から奈良博物館はそんなに遠くない。尋問に当たっていた橘刑事が教えてくれた。

「私も行きます」

どうやら橘刑事が、この先小原と行動を共にするようだ。

「雪か・・・」

小原警視正はフロントガラスに大きな雪がくっつき始めたのに気付いた。


 毎年、九鬼龍作はこの町に来ていた。十二月二十四日はクリスマス・イブだが、彼にはサンタクロースという気分があった。ここに滞在するのは十数時間だけだった。一人の少年にその年のプレゼントを渡すと、彼はこの地を去る。

 龍作は空を見上げた。雪は降り続いていたが、まだ気にするほどの降り方ではなかった。龍作は商店街の方に目をやった。

以前は・・・というより昔は、といった方かもしれない、道幅が狭く、車が辛うじて対向出来るだけだった。

九鬼龍作は五年前美千代とここの場所で別れた。

 「もういい。ここでいい」

 龍作の言葉に、美千代は頷いた。この時まで、それほど時間を掛けて話し合ったわけではない。

 「分かっています」

 美千代は言った。

 「ありがとう」

 龍作は答えた。しかし、彼の唇に笑みはなかった。

 美千代は夫である九鬼龍作という男を理解して、一緒に暮らすようになった。

 「二度と会えない旅に出るわけではない。私はいつも君と陽太郎と見守っている。毎年この日には必ず会いに来る。約束する」

 美千代の胸には陽太郎が眠っていた。

 「いい子だ」

 龍作は陽太郎の顔を撫でた。陽太郎の顔が反応する。龍作の手が冷たいからなのか。それとも、父である男が一人でどこかに行こうとしているのを止めようしたのか。

 「行く」

 龍作は言い切った。

九鬼龍作はコートの襟を立てた。強い突風が吹き、水飛沫が多量に、彼に襲い掛かってきた。


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