第8話「君がいるから・・」
身を切るような寒さの中、二人は何かに導かれるようにして北上を続けた。
やがて札幌に列車が到着し、ホームに降りるとチェリーは開口一番にこう言った。
「なんだか、函館より寒いね」
裕一にはほとんど変わらなく感じたが、チェリーはそういうものを敏感に感じ取れるらしい。初めての土地にはしゃぐ彼女の背中を見ながら、裕一は自分のアカウントが見られていたと言う事実に対して、様々なことを頭にめぐらせていた。
まず、チェリーとの旅の様子を書いていることは確実にバレている。バレたからどうなってしまうというのは分からない。ただ、なんとなく申し訳ない気持ちが心に蔓延している。
それに、彼女は裕一のアカウントに書かれたつぶやきを見ながら笑っていた。嫌な感情は持たれていないことは確かなはずだ、と自分に言い聞かせる。
「ほら、お兄さん。時計台だよ。雪みたいに白いね」
いろんな札幌の名所を見て回ったが、チェリーは裕一がSNSに投稿していることを咎める場面は全くなかった。むしろ、もっとこの旅の楽しさを世界中の人たちに広めてください、とでも言わんばかりに、今まで以上に気分が高揚しているようだった。
そんな顔を見ているうち、裕一の方もだんだん気が大きくなってきて、SNSに二人でいることの楽しさを逐一投入していく。
学生時代は暗い性格で、周囲からやや浮き気味だった裕一にとって、もしかすると今のこの瞬間が人生で最も楽しい時間なのではないかと思えてくる。この世に生まれ落ちて二十八年目、ようやく春のような暖かい居場所が見つかったのかもしれない。
チェリーも、時々ふざけて手をつないでくるようになった。まるで本当の兄妹になったかのように、お互い笑顔を飛ばしあった。
その日もいつものようにビジネスホテルの部屋を取り、二人して今日行ったところについて熱く語り合っていた。
羊ヶ丘で見たひつじが可愛かったとか、すすきのの繁華街のネオンがとても綺麗だったとか、一つ一つ思い出すたびにチェリーは子供のように騒いだ。普段よりも若干テンションが上がっているのは、気のせいだとその時は思っていた。
「電気、消すね」
部屋の明かりが落とされ、いつものようにチェリーはベッド、裕一は床に寝転ぶ。旅の途中で買ったタオルケットを巻いて体を丸めた。
すごく不安な夢を見た、気がする。妖精が出てきたのか、また別のものが出てきたのかも分からない。ただ、裕一の心はその夢に対し、いまだかつてない拒絶反応を起こしていた。
ぽっかりと空いた巨大な穴の底に落ちていく感じ。いつまでも底が見えてこない、恐怖に近い感情に襲われる。
手を伸ばしても、もがいても、虚しく空を切る悲しさ。早く、早く目覚めてくれ、と強く祈った。
「チェリー!」
やっと夢が覚めてくれた。どうして彼女の名を叫んだのか、自分でも説明できない。起こした上半身は汗だくだった。いつかチェリーの家で飛び起きた時よりも浴衣が濡れている。弾かれるようにしてベッドの方を見た。
そこにチェリーの姿はなかった。
シーツの上に置かれた置き手紙がすぐに視界に入る。飛びつくようにそれを手で引っつかんだ。
裕一より何倍も綺麗で控えめな字で、それは書いてあった。
『ごめんなさい。まずはいろんなことを謝らせて。もう気付いてると思うけど、お兄さんのSNSアカウント、勝手に見てました。もうずっと前から。お兄さん、福岡にいたんでしょ? 私も昔そこにいたって言ったよね。実は、その頃お互いに会ってたんだよ』
目をこすって何度も読み返す。
昔、福岡でお互いに会っていた……。新事実に動悸が激しくなり、息切れしそうになる。
『お兄さん、アカウントのプロフィールに出身高校と大学を書いてたでしょ? で、大学でボランティアサークルに入ってたってことも。私、親が医者だって言ったけど、あれ嘘です。生まれてすぐ捨てられて、福岡の施設に預けられてたの』
記憶のピースがはまり始める。大学時代、確かに裕一はボランティアサークルに所属していた。
活動の一環で、親がいない子供達と交流するというものがあった。親を事故や事件で亡くしたりして身寄りのない子と一緒に遊んだ記憶がある。その中で、ひときわ元気だった女の子がいたことを思い出す。
『覚えてないかな。私、その頃チェリーって名前で呼ばれるの嫌で、先生に頼んで名札に〈さくら〉って書いてもらってたの』
そうだ。裕一もそれに習って〈さくらちゃん〉と呼んでいた。当時、彼女はまだ小学校低学年だったはずだ。年齢の割にませた言動が目立ったことを覚えている。
そして、自分が〈ゆう兄ちゃん〉と呼ばれていたことも。
『中学に上がる前、引き取り手の人が見つかって青森に行くことになって。最近になってたまたまSNSで大学名を検索してみたら、お兄さんらしきアカウント見つけて。投稿とか見てみたら、多分そうじゃないかって気分になってきて、ちょうど青森にいるって投稿があってからはもう賭けだったよ』
心なしか、この辺りの筆跡は少し走り書きっぽくなっている。出会えた時を思い出して、興奮したのだろうか。
『向こうから歩いてくる、大きなリュック背負った男の人を見て、もうこの人だって。んで、倒れて、助けてもらって。無理やり二人きりになる口実を作るためにあんな大声出しちゃったけど、ごめんね』
そこは本当に謝ってほしい。危うく社会的に人生が終わるところだったのだ。
『でも、もう終わりみたい。あいつが、あの、チョビヒゲつんつるてんが追ってきたから。私に一生消えないアトを付けた、許せない乱暴男』
心臓がどくんと跳ねる。不穏な文字列の後には、こう綴られている。
『札幌駅、六時。今度は八万だって。けち。二桁いけよ』
最後の文はほとんどなぐり書きに近かった。
おそらく金額と思われる八万という数字。親は医者ではなく普通の家庭だとしたら、あのような大金を未成年の女の子がどこで手に入れたのか。そもそも、親が医者だからと言って、あんなに大量のお小遣いをくれるものなのか。
多分、その時点で変だと気づくべきだったのだろう。あの金は、まっとうなルートで得た金ではない。
そして、消えないアトという表現。
白い首筋に不揃いな赤黒いアト。許せない乱暴男という彼女の言葉。
繋がって欲しくない点が、次々と結ばれていく。
裕一はすぐにホテルをチェックアウトし、札幌駅に向かった。
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