第5話「One Night Carnival」

 そして翌日。この日も発達した低気圧の影響により、断続的に雪が降り続いていた。


「わぁ、みてみて。一面真っ白だよ」

 そう言ってチェリーははしゃぎながら、雪の積もった地面に大の字で寝転がる。寒さなど感じない子供のようにけらけらと笑い、裕一の腕を引っ張って同じことをするように催促してくる。


 朝起きた時にこれからどうするのかとチェリーに尋ねたところ、「決まってないけど、適当に青森観光させてあげる」と無理やりに連れてこられたのは、裕一も教科書で見たことのある三内丸山遺跡だった。

 縄文時代に形成された巨大集落を復元した広場は、降りしきる雪によりほとんどが白に支配されている。視界も悪いし、何より耳がちぎれそうになるほどの寒さが一番こたえた。

 夏に来ればピクニック気分になれるし来場者も多いのだろうが、今は外に出て見学している者など一人も見当たらなかった。


 あまりにも寒いので受付のある建物内に戻り、今度は遺跡から出土した土器や木材、動物の骨などが展示してあるコーナーへと入る。しかし、暖房が良く効いていて外よりも断然暖かいこのエリアにおいて、チェリーのテンションはまるで氷河期を迎えたように急降下していた。

「ここ、つまんない。同じような土の欠片と骨ばっかり」

 後ろ手になりながら、床を蹴るようにのたのたと歩く。

「えっと、チェリーはどうしてここに来たかったのかな」

「来たかったわけじゃない。ただ……お兄さんに青森、観光してもらいたかっただけ」

 語尾のあたりの声がトーンダウンして、あまりよく聞こえなかった。その横顔は何かを訴えようとしているふうにも見えるし、裕一には関係ない何か別のことを考えているようにも見えた。

 まだ出会ってから二十四時間と経っていないのに、裕一は彼女といると妙な父性みたいなものが働いて、世話を焼きたくなってくる。

 チェリーがちょっとお転婆で、放っておくと危なっかしいと思ってしまうからなのか。どういう理由かは分からなかった。


 路線バスで青森駅に戻った二人は、駅前のラーメン屋でちょっと遅めの昼食をとる。メニューにあった「味噌カレー牛乳ラーメン」なるものをチェリーが指差し、裕一に執拗なほど勧めてきた。

 ラーメンの風味としては聞きなれないものであったため、裕一も注文するのをためらったが、チェリーも同じものを注文するというのでここは仕方なく折れておいた。聞くところ、彼女はこのラーメンを食べたことがあるらしく、絶対美味しいからと何度も同じような言葉を繰り返している。


 やがて注文の品が運ばれてきた。スープの色は通常の味噌ラーメンに近かった。店内の蛍光灯の光を反射させ、キラキラと輝いている。そしてモヤシやチャーシューなどの定番の具に混ざって、ひときわ目立つ四角いバターの塊……。それをどう処理していいのか迷ったが、とりあえず少しづつ溶かしながら味わうことを決め、麺を口の中へと運ぶ。


「……あ、おいしい」


 予想以上にまろやかな口あたりが舌の上に広がり、カレーのぴりりとした辛味と相まって絶妙な味を奏でる。熱くて甘い香りが鼻腔を駆け巡ってさらなる食欲をかきたてた。

「ねっ、おいしいでしょ」

 湯気の立つ器から顔をあげると、そこにはチェリーが心底嬉しそうに笑いながら白い歯を見せていた。まるで彼氏に手料理を振る舞い、好反応を得られて満足といった雰囲気を感じる。


「なんだか、嬉しそうだね?」

 そんなことをつい尋ねてしまう。だが彼女は嫌がるそぶりも見せずきっぱりと、

「だって、そうじゃん? これでマズイとか言われた日には、悲しくて泣けてきちゃうよ」


 裕一の感想を聞いて機嫌が良くなったチェリーは、自分のラーメンをとてもおいしそうにすすり始めた。

 頭の中には、昨日見たあの悲しそうな少女の寝顔と寝言が思い起こされる。今、目の前でラーメンをすすっている幸せそうな表情とは正反対の顔。彼女は、何かを隠しているのではないか。疑うのは気がひけるし、もし本当に何かを隠していたとしても、それでどうなるのかも分からない。

 ただ、裕一の心に引っかかっているのは、この女の子と自分がこうして引き寄せられた不思議な縁についてだった。


 どうして、自分は彼女と出会った?

 彼女といると嫌な感じがしないのはなぜ?


 考えるうちにだんだん頭が混乱してきたので、気晴らしにスマホでSNSを立ち上げる。あの少女と一緒に食事をしているのだと書き込む。いつも通り、すぐに反応が返ってきた。そのほとんどが、裕一と少女の関係を下品にまさぐってくるものだった。

 思えば、彼らにとっては裕一が立たされている状況など、遠い対岸で起こっているちょっと変わった出来事に過ぎない。彼らは高倍率の双眼鏡で興味深げに覗いているだけなのだ。この反応は当然と言えた。


 ラーメンを食べ終わり、駅前のショッピングモールを適当に歩いていると、あっという間に青森での二度目の夜がやってきた。


 二人は全くと言っていいほどノープランで行動している。また二人でビジネスホテルに宿泊するのだろうか。裕一がそのことを思い切って尋ねてみると、

「ううん。今日はウチに来なよ。親いないから」

 あっけらかんとそう答える。

 娘が家出をしているのに、親は探していないのか。その疑問にチェリーは「一方的にLINEしたの。こっちで勝手にやるからって」と、やや不機嫌そうに言った。彼女の両親はどうやら、娘は友達の家にでもこっそり泊まっていて、適当に時間が経ったら根をあげて帰って来るだろうと踏んでいるようだった。

 とはいえ、まだ学生の娘が親に反抗して一人で飛び出したことに対し、少し冷静すぎやしないかと裕一は思う。現にこうして、見ず知らずの無職の男と一緒にぶらぶら歩きまわり、果ては同じ部屋で寝泊まりするなどという事案が発生しているのである。

 ここははっきりと言うべきだろう。こんな怪しい男と共に寝泊まりするなど、今は大丈夫でもチェリーの将来が心配だ。

 よし、決めた、と裕一は意を決して顔を上げる。


「お風呂、空いたよ」


 そこには淡いピンク色のパジャマを着たチェリーの姿があった。

 彼女の部屋は壁やカーテンも薄いピンク色で、本棚の上にはカエルのぬいぐるみや小さな観葉植物が置いてあったりして、けっこうお洒落だ。


 裕一は結局、そのまま流されて彼女の家にお邪魔してしまったのだった。


 ここに来るまで何度もチャンスはあったはず。除雪された生活道路を歩いている時も、チェリーが途中で喉が渇いたと自販機でホットココアを買った時も。男という生き物のサガを、これほど悔やんだことはない。心のどこかで、そういう気持ちが生まれている証拠である。


「なんか食べる? お菓子あるよ」

 そう言って彼女は、ベッドの脇に置いてあるカントリーマァムの袋を破った。お互いそれをもくもくと食べ、何をするでもなく時間だけが過ぎていく。年頃の少女の部屋は、香水を薄めて蒔いたような、ほのかな甘い匂いを漂わせていた。


 オススメされた少女漫画を読み終えて手持ち無沙汰になった裕一は、床に座ってベッドの縁に背中を預けているチェリーを横目でこっそりと見やった。

 彼女はスマホをいじりながら、微妙に口元をひくつかせている。どうやら笑っているらしい。何か面白い動画でも見つけたのだろうか。裕一もネットサーフィンでよく面白動画を視聴しているので、ちょっと興味がわいた。

 だが、他人のスマホを覗き見するのはさすがに気が引ける。しかし、気になる。一度気になってしまったものは、なかなか頭の中から出て行ってはくれない。


 そのような逡巡をしながら、スマホ、チェリーの横顔、自分の膝小僧の順で視線をふらふらと彷徨わせていると、突然胸のあたりに強い衝撃を覚える。

 拳で突かれたということがすぐに理解できた。そして、ビジネスホテルでくらったような、あの鈍い痛みも遅れてやってくる。


「今、覗いたでしょ?」


 チェリーは瞳に怒りの色をのせて、裕一に針のような眼差しを容赦なく突き刺してきた。裕一は慌てて首を横に振り否定するが、チェリーはますます睨みに迫力を添えて威嚇してくる。

 見た、見てない、の押し問答がしばらく続いた後、不意にチェリーが表情を崩して吹き出した。

「ど、どうしたの?」

 唇の隙間から息を漏らすようにして笑い、肩を小刻みに震わせる。やがて裕一を上目で見やりながら囁くように言った。


「なんだかさ……私たち、兄妹みたいだね」

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