第3話「私さくらんぼ」

 二人は青森駅のすぐ近くにある『A-FACTORY』という、土産物屋とカフェが一緒になったような店に入る。落ち着いてゆっくり誤解を解こうと思っていたのに、少女はカフェの椅子には座らず、まっすぐ土産コーナーに足を運んでしまった。


「あのう、お嬢さん?」

「あ、これ買って。りんごチップス。好物なの」

 木箱を模した陳列棚から、菓子の袋をひとつ取って裕一の前に差し出す。青森らしい、りんごをあしらったイラストが目立つ。少女はこれを買ってもらえるのが当然というように、差し出した姿勢のまま全く動かない。

「それよりも、さっきのこと詳しく話したいからさ。そこのカフェでね、もちろんおごるから」

 彼女のペースに振り回されないように、ごく自然な会話を試みる。だがそれも意味はなく、

「あと、これも。りんごジュース」

 商品を無理やり両手に押し付けられてしまった。ギブアップ代わりのため息を吐き、裕一はそれらを清算しにレジへと並ぶ。


 やっとカフェのテーブルに落ち着けたかと思いきや、少女は先ほど買ったりんごジュースとりんごチップスを交互に口の中に放り込み、咀嚼と嚥下を繰り返す。端正な顔立ちをしているのに、口元では下品な音を立て、時おり唾液の混じった食べかすをテーブルにこぼしていた。

「それでさ、さっきの。一緒に旅をするっていうの、あれ本気?」

「うん、本気」

 少女は咀嚼しながらきっぱりと答えた。

「でもさ、俺も一人で旅をしてて、いろいろ節約しないといけないところもあってね。あと、二十八の男が女の子なんか連れ回してたら、結構怪しく見られると思うんだよね」

 裕一は少女の希望に、できるだけ丁寧な理由をつけてやんわりと断ろうとする。そんな裕一の言葉に少女は軽く舌打ちし、肘を立てて頬杖をつきながら憮然とした態度で睨み返した。何か言葉を発するのかと思いきや、無言のまま不気味な圧力でもって年上の男を威圧し続けている。食べかすのついた口元からは時々舌打ちの音が漏れ出る。この年頃の少女とは、こんなにも気が強い人種なのであろうか。あとでSNSにことの顛末を書き込んでやろうと裕一は心に決める。


「お金のことなら心配ないから」

 そう言うと少女は、コートのポケットを手で探り、何かを取り出す。それはピンク色でやけにつやつやしている皮の財布だった。驚くべきはその厚みで、テーブルに置かれる時にまるで岩が乗ったかのような音を出した。裕一のものより多くの万札が入れられていることは明らかだ。

「たぶん、お兄さんの給料よりも多いから」

 大きなお世話だ、と裕一は心の中でつぶやく。我慢できず、テーブルの下で密かにスマホを操作し、SNSを立ち上げる。まずはこの状況を皆に知ってもらおう。


『信じてもらえないかもだけど……旅の途中で女の子助けたら不審者扱いされてなんだかんだで今お茶してるなう』


 ほどなくして返信が来る。


『マジっすか? どんな女の子? かわいい?』

『歳はだいたい一〇代ぐらい。俺の裁量だけど、たぶんかわいい』


 その後も少女に対する質問が矢継ぎ早に飛んでくる。裕一は目の前の少女にバレないよう、視線をさりげなく下に動かしたタイミングで一気に返事を入力していった。少女はと言うと、テーブルの上に両肘をつきながら、真顔でスマホを操作している。意図せずして、その長いまつ毛が視界に入った。無表情というよりかは少し物憂げな雰囲気を持ち、手の中の端末から発せられる情報に食い入るように見入っている。ややスマホ中毒気味の裕一には、そんな彼女がどこか仲間のようにも思えてきた。

「そういえば君、名前は?」

 少女は同じ姿勢のままスマホから裕一へ視線を動かすと、気だるそうな棒読みでこう名乗った。


「チェリー」


 確かにそう名乗った。裕一は聞き間違いかと思って再び訊ねようとしたが、それより先にチェリーの指先が自分の額に強くぶつかっていた。痛いと訴える間もくれず、つばが飛んでくる。

「今、絶対変だと思ったでしょ。言っとくけど偽名じゃないからね。うちの親が決めたの。桜姫って書いて、チェリーって読ませたの」


 サクランボを漢字で書くとするなら「桜桃」になるはずだが、彼女の親は正式な文字列よりもイメージや響きを優先して名付けたらしい。桜の姫、なんとなくサクランボっぽいかな、とつい思ってしまった。だが、名付けられた子供からしてみれば、迷惑この上ない話である。


「じゃあさ、チェリーちゃん」

「呼び捨てにして。きもい」

 スマホを仕舞った彼女は、椅子の背もたれへ乱暴に体を預けた。

「えと、チェリー? 君はどうしてそんな、大量のお金を持ち歩いているのかな? それと、どうしてあんなところに倒れていたの?」

「家出したの」

 チェリーは隠すそぶりもなく、淡々と言葉を吐き出す。事態がさらに重くなってきた気がして、裕一はよりいっそう肩がこわばってきた。


「ウチの親、医者でね。勉強しろ勉強しろってうるさいの。こっちは医者になる気なんて全然ないのに、向こうはもう私の将来が決まっていると思ってるみたい。まあ、お小遣いたくさんくれるから、そこだけは好きかな。ていうか、医者になるくらい頭良いなら何で私の名前、こんなキラキラっぽいやつにしたのって感じ。もっと知的な名前が欲しかった。ていうか私、処女なのにチェリーって、もうややこし過ぎてワケわかんない」


 チェリーはぼうっと天井を見つめながら、友達に話す時のようにすらすらと告白を続ける。裕一は恐る恐る質問した。

「それじゃあ、道端に倒れていたのは?」

「家からずうっと歩いてきて、寒いし疲れたからどっかに泊まろうかと思ったの。でも、こんなボロボロの女の子が一人でチェックインなんて、怪しまれたらいけないでしょ? んで、どこにも泊まれなくなって。そしたら、疲れの限界がきたみたい」

 くすくすと笑う彼女だが、実際そんなに笑える話ではない。氷点下の中、雪の上に長時間倒れているなんて自殺行為だ。いくら街中と言っても、発見されるタイミングが悪ければ死んでしまう。しかし彼女は、あっけらかんとした態度で残りのりんごジュースを一気に飲み干し、背もたれに預けていた体を勢い良くテーブルに乗り出してこう言った。

「お兄さんは、どうして?」


 どうして旅を、という意味だろう。裕一は正直に話すかどうか迷った。夢の中に出てきた妖精を探しに旅へ……などと言ってしまえば、信じる信じないの前にまず頭の心配をされてしまうに違いない。チェリーと同じくほとんど突発的な家出に近いのだから、適当に理由をつけてしまおうかと考える。

「……ちょっと仕事でいろいろあってね。一度遠くへ出かけてみようかと」

「ふーん。家ってどこなの」

「えっと、福岡」


 するとチェリーはそれまでの真顔から一転、嬉しそうに笑いながら腰を浮かせてさらに身を乗り出してきた。


「福岡! 私も昔そこに住んでたんだよ」


 細身を揺らしながら無邪気に声を弾ませる。こうしてみると他の同世代と何ら変わらない、いたって普通の女の子だ。

 その可愛らしい仕草が妙に心をくすぐり、裕一はなんとなく目をそらしてしまったのだった。

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