いつかお揃いのシュシュを

 情報処理室に行くと青葉先輩は、隅で一人黙々とパソコンの画面と睨み合っていた。

「先輩、隣で作業してもいいですか。たぶん何度も助けてもらうんですけど」

 かなり集中しているようで、返事が来ない。目と指しか動かしていないのか、黒いゴムでキュッと結ったポニーテールも微動だにしない。もう一度呼ぼうとした頃にようやく「うん」と返ってきた。画面から目を離さず、心ここにあらずといった感じだ。

 一応許可は得たので隣で座りパソコンを立ち上げる。パソコンに限らず機械というのは弄っているだけで楽しくなってくるものだ。そうして起動を待っていると、パスワード入力を求める画面が出てきた。

 しばし硬直し、どうしたらいいのか分からなくなってしまう。初めて青葉先輩に頼るのが小説について教えてもらうのではなくパソコンの起動について教えてもらうことになるとは思ってもみなかった。

「先輩、小説についてじゃなくて申し訳ないんですけど、パスワードってどうすればいいんですか」

 聞きながら彼女の画面を覗いてみると、文章がどんどん打たれていく。その光景に私は世界の創造を重ねていた。自分で書いているわけではないのに、書くのも楽しいのだろうと少し納得する。

「うん」

 程なくして、青葉先輩は的外れな返答をしてきた。そして理解する。きっと青葉先輩はさっき聞いた時もよく聞いていなかったのだろう。すでに彼女の心は画面の中の世界に移っていた。これは面白そうだといたずら心がくすぐられる。おそらく青葉先輩は私が何を聞いても「うん」と返すのだろう。

「先輩って何書いてるんですか」

「うん」

「趣味は何ですか」

「うん」

「ところで、先輩は悪魔の末裔ですか」

「うん」

 もう笑うしかなかった。予想はしていたが、実際に何でも同じ返答をする姿は、初めて会った時の静かでお淑やかなイメージと全く違っていて面白い。子供がゲームに熱中しているとかそういうレベルではない。その集中の度合いに、むしろ尊敬さえ覚える。

「えっと、どうしたの響ちゃん」

 しばらく反応を見ていると、私の笑い声で集中力が切れたのか、青葉先輩はようやく私に気付き、こちらを向いた。時計はパスワードについて聞いた時から十分も経っている。困り果てた顔で私に問いかける姿を見るに、青葉先輩は本気で今までのやり取りに気付いていないのだろう。

「先輩、集中しすぎて何を聞いても『うん』っていうから面白くて」

 後輩である私がからかってしまうということは、先輩としてどう考えても悪い状況なので、ちゃんと正直に言った方がいいはずだ。

「嘘、え、本当?」

 その事実を知らされた青葉先輩は、頭を抱えながら慌てて確認する。さっきまでの無感情で人間味の無かった姿とは打って変わって表情豊かに慌てる姿が可愛くて仕方がなかった。そう、彼女、鈴谷青葉こそ私が入部した理由だ。彼女はほかの先輩や同級生には見ないタイプの人だった。一人が好きそうで、人を寄せ付けないような雰囲気。そういう人は別に珍しくないのかもしれないけど、私が見たのは彼女が初めてだった。もしかしたら私が活発な人を好み、そうでない人を見ていなかっただけかもしれない。だとしたら何故彼女だけが私の目に入ったのだろう。

 綺麗だからだろうか。艶やかな黒髪や切れ長に整った瞳、潤いのある肌など、とても美しい顔立ちをしていると思う。それに、タイピングする時の柔らかな指先の動き、パソコンへと向かうすっと伸びた姿勢、自分の書く小説に向き合う真剣な眼差し等、動きや姿勢の一つ一つが、その綺麗さをさらに上げているように感じた。でなければ眼中にないのかと言われれば、確かにあまり目に映らないのかもしれない。美醜による差別的意思はないつもりなのだが。

「ええ、それはもうイエスかノーで答える質問でなくても、全部うん、って言ってましたよ」

 私がにやにやしながら話すと、青葉先輩は次に頬を赤く染め始めた。後輩に指摘されたのがかなり堪えたようで、俯いて何も言えなくなってしまう。さすがにやりすぎてしまったかと心配になったが、青葉先輩はすぐに顔を上げる。

「それは当然私が悪いんだけど、あまりからかわれると恥ずかしいし、困るな」

 そう言う青葉先輩の頬はまだ薄紅色だったが、それでも元の落ち着いた雰囲気に戻っていた。

「すみません、ほどほどにしておきます」

 ほどほどなんだ、と青葉先輩は困り果てていたが、私はやめるつもりなんて少しもなかった。青葉先輩の反応、私のいたずらに気付いた時のものが特に好きになってしまった。しかし、ほどほどにと言ったからには控えなければならない。しかしこれが初めてのことなので、どれ程の間隔なら許されるのか分からなかった。

「あ、そうそう、パソコンのログイン画面ってどうすればいいんですか」

 私はようやく聞こうとしていたことを聞くことができた。青葉先輩は落ち着きを取り戻し、私の方のパソコンを覗き込む。

「その画面はスキップでいいよ。部活の時はそれでも使えるから」

 優しい口調で教えると、青葉先輩は自分の作業に戻っていった。またさっきのようになるのだろうか。画面をじっと見てみると、文字数が目に付く。既に十万字を超えていた。

「先輩、私たちもそんなに書かないといけないんですか」

 どれくらいが相場なのかは分からないが、数字だけ見て十万というのはぞっとするものがあった。しかしそんなことはないらしく、青葉先輩は首を横に振って笑顔で答える。

「これは趣味で書いてる長編だから、部活ではこんなに書かないよ。部活で書くのは五千から一万字くらいかな」

 響ちゃんは何を書きたいの? と青葉先輩は興味ありげに聞き返す。どうやら来る者は拒まずといった感じで、一人が大好きというわけではなさそうだ。

「それが、まだ何も決まってないんですよね。とりあえずアドバイスを思い出しながら、考えていくつもりです。といってもありきたりなのしか浮かばなくて困ってるんですよ」

 部活、いじめ、授業、どれもかなり工夫を凝らさないと読む側も見飽きているらしく、手を出しにくいらしい。何かの大会に応募したいわけでも、まして受賞をしたいわけでもないのに、そのような縛りを受けるのは少し不服でもあった。青葉先輩はそれを聞くと背もたれに体重を預けてじっと考え出す。

「たとえばボランティアとか、地域活動、そういった身近だけど目のいかないものを考えてみるといいよ。学校内なら、その中で起こるハプニングとか。そういう工夫は確かに難しいけど、私はやる価値ありだと思う」

 小説について話す姿はとても生き生きとしていた。数日前の部内挨拶の時は事務的に挨拶をこなし、どこか距離を感じたが、青葉先輩は人より文学を愛する人らしい。私にはその感覚はよく分からないが、いずれ分かるようになるのだろうか。

「じゃあ、ちょっと考えてみますね。これからも何回か聞いていいですか。分からないことだらけなので」

 知人が一人もいない部内では、やはり強い興味を持った青葉先輩に付き従うのがいいという、安直な判断であった。

「うん、いいよ。私に教えられることだったら何でも教えるからね」

 青葉先輩は私の話を親身に聞き、お願いを快く受け入れてくれる。少し変な人かと思えば、案外とても頼りになる先輩なのかもしれなかった。


 そうして数日たったが、アイデアの一つも浮かぶことはなかった。ありきたりな内容はダメということは、つまり私の経験にもあまりないものを書かなければいけないというわけである。残念ながら私、熊野響はそういった事柄とは縁遠い人生を歩んでいた。

 一方青葉先輩の長編作品はというと、十二万字に増えていた。どこからそれほどのアイデアが湧き上がってくるのか考えてみるが、まだ文学に慣れていない私の頭ではどうにも異次元の出来事のように思えて仕方がない。青葉先輩は、本当に文学に恋をしているのだろうか。そう思うと自然とため息がこぼれる。

 一人で悩んでいても浮かばないものはやはり浮かばないので、ここぞとばかりに青葉先輩を頼ることにしよう。とはいえ、十二万字の世界をさらに広げようとしている青葉先輩は、きっと何を聞いても駄目なのだろうけど。そういったいわば一種の諦めを含みながら、青葉先輩の方に椅子を向ける。

「青葉先輩、私なりに設定とか作ってみたんですけどアドバイスをくれませんか」

「うん」

 あまりに予想通りの上の空な反応。いたずら心のつもりが、苛立ちがゆっくりと頭をもたげ始めていた。私のことを考えてくれないという思いが妙に増幅されてしまっていた。

「先輩って、どんな人が好きなんですか」

「うん」

 青葉先輩のその反応に、私は今までとは違う何かを感じる。思い通りにいかない、そんなむずがゆさ。そんな普段とは違う感覚が分からないまま、椅子を青葉先輩に向ける。

「先輩が好きなのって、自分の作る小説の世界ですよね」

「うん」

 また即答、また適当、また無視。でもなんだろう、この苛立ちは。急に私を埋め尽くすそれが、なんなのか分からない。

 いや、嘘だ。私はそうやって自分の思いから逃げている。胸を締め付ける理由。何故、私は今こんなにも苛立っているのか、もう知っている。この思いが、私が先輩に抱いているこの想いが、事実かどうか確かめる。躊躇いながらも、ゆっくりともう一つ質問を重ねる。

「青葉先輩は、えっと、私のことを、愛せないですよね」

「うん」

 ああ、痛い。心のこもっていない虚ろな返答が、やけに強いリアリティをもって突きつけられる。青葉先輩は、鈴谷青葉は、どうしても私を愛してはくれない。当然だ。私は紛れもなく女で、それは青葉先輩も変わらないのだから。当然なのに、どうしてこうも辛いのだろう。

「あの、先輩、ちょっと話聞いてくださいよ」

 自覚してしまった想いを飲み込み、青葉先輩の肩を揺らす。先輩後輩の距離感でいいと、そう思い込ませながら、意識を現実に戻した。慌てて謝る青葉先輩を見ながら、気付かれていないことに安堵する。ちらと見た画面の向こうの私は、たぶんちゃんといつも通りだ。

「それで、小説の設定にアドバイスが欲しいんですけど」

 うん、ちゃんと話せる。極力自然にふるまいながら、青葉先輩の声を、耳に焼き付けた。


 その日、家に帰るとほとんどの時間をベッドで過ごした。私はおかしくなってしまったのだろうか。同性の青葉先輩を、好きになってしまうなんて、何かの間違いなんじゃないか。そんな考えが、ずっとベッドの上で私を転がしている。ゴロゴロと何度寝返りを打っても、考えが進むことはなく、ずっと同じ場所で足踏みをしている。

 しかし、おそらくこの想いは間違いでも何でもない、私の想いなのだろう。しかし、真に怖いのは私が拒まれることではない。むしろ、拒まれた方が私にとっては救いがあるように感じる。ただ、本当に怖いのは、青葉先輩が私を受け入れた時だ。そうなった時に、青葉先輩も周囲の目に異端として映ることが、怖くてたまらない。私だって怖いが、それはもう惚れた方が負けみたいなものだろう。実際惚れた時点で異端だと、社会的敗者だと言われても仕方ない。不服でも周囲にとっては、多数派という力こそ正義になってしまう。悪でなくとも、自分と違うものは蹴落としたくなるものなのだろう。その圧力に、青葉先輩を巻き込んでいいものだろうか。

 考えていると頭が痛くなってきた。ベッドの上でかなり考え込んでいたらしく、気付けば日付を越えようとしていた。もうだめだ、寝よう。明日になったら手紙でも書いてみようか。文芸部らしく、詩にでもしてみよう。それをどうしたらいいのか、今は分からないけれど。そうぼんやり考え、私はゆっくりと夢へと意識を溶かしていった。


 思い悩んで数日が経った頃、結局私は思いのたけを綴った詩を詠んだ。そしてそれを、青葉先輩に渡そうとしている。回りくどく、込めた想いを元から分かってなければ気付かれないようなこの詩は、読んだところで青葉先輩には何のことを言っているのかまるで伝わらないだろう。それでいい、その方が青葉先輩を悩ませることもないし、私は想いを伝えたことにして諦めることができる。

 そして今日、詠んだ詩を渡すべく情報処理室にいる青葉先輩の席まで向かう。すると青葉先輩はいつものように集中して打ち込んでいるのではなく、じっと画面を見ながら静止していた。これでも呼びかけたら生返事しか返ってこないのだろうか。

「今日は珍しく手が止まってるんですね」

 呼びかけながら画面を見るが、今書いていないだけで他の時間に書き進めていたのだろう、長編の文字数はまた数千字増えていた。

「今はいろいろ検討中。聞きたいこととかあるなら聞くよ」

 どうやら書いているときほどの集中はしていなかったようで、一度話しかけるだけで青葉先輩は私に応じてくれた。そのことに少し嬉しくなりながら、詩のことを話す。いや、話そうとは思っても、一体何と切り出せば自然だろうかと考えてしまい、話のテンポが悪くなってしまう。

「あの、ほら、この学校の文芸部って詩もするみたいじゃないですか。こういうのも変ですけど、息抜きに一つ書いたので、アドバイスがほしいなって」

 しどろもどろに話すと、やはりおかしかったようで、青葉先輩は一度首を傾げる。

「でも私、詩は得意じゃないんだ。向こうの吉岡先輩がうまいから、そっちに聞くといいんじゃないかな」

 しばらく考えた後に青葉先輩は、そう提案する。それでは駄目なのに。青葉先輩に読んでもらいたいのに。その理由をいう訳にはいかないので、適当に言いくるめようとするが、また言葉が浮かばない。

「ああ、いや、青葉先輩に頼みたいんですよ。駄目ですか」

 理由も言えず、ただそう頼み込む姿が、わがままな後輩に見えていないかが、心配だった。青葉先輩はまた熟考をし始める。この静寂の時間が胸を締め付けるようで苦しい。

「とりあえず、預かっておくよ。読み終わってアドバイスするところ、まとめたら話すね」

 そもそも、これを渡して本当に青葉先輩は私の恋心に気付かないのだろうか。気付いても青葉先輩自身が私に振り向くかなんて私には分からないが、心配になってしまう。

「響ちゃん?」

 青葉先輩の呼びかけに、はっとして強く掴んでいた紙を手放す。私は強く、青葉先輩が気付かないことを祈った。


 私の祈りは届かなかったのか、青葉先輩は五月になってから部活に顔を出さなくなった。今日で三日目、来なくなったのは私が詩を渡した次の日から。どう考えても私のそれが原因だろう。拙い文章力で書いた恋文代わりのあの詩。青葉先輩は気付かないだろうと思いながら渡したが、どうだろう。気付いて私のいる部室にいられなくなった、なんて事だったら本当に最悪だ。

「あの、誰か青葉先輩がなんで部活に顔を出してないのか知りませんか」

 情報処理室で皆に聞いてみるが、皆の反応は首を傾げたり、分からないなあ、と呟いたり、とにかく期待の出来るそれではなかった。

「作品についてだったら、俺とか他の人でもアドバイスできるけどどうする」

 部長の、気遣い故の台詞が的外れな苛立ちを募らせる。私はそれだけのために青葉先輩を頼っていたわけじゃない。私は彼女でなくては駄目なのだ。

「ごめんなさい、そうじゃないんです。あの、とにかく、何か聞いてませんか」

 あまりに熱心だったのか、部長は苦笑いを浮かべる。

「特に聞いてないな。いやあ、悪い。そんなに慕ってるとは思わなくてさ」

 やはり、私の想いはそう映ってしまうのだろうか。青葉先輩も、詩に込めた想いを、題名通りに「憧れ」と捉えるのだろうか。

 私はいったいどうすればいいのだろう。いたずらを何度もした。悪びれることもなかった。おまけに苦手だと言っていたのを押し切って詩を押し付けてしまった。充分嫌われてしまう条件は揃っている。だから、きっと青葉先輩は私を見たくないから、部活に顔を出さなくなったのだろう。

 気付けば私は荷物を持って学校を出ていた。せめて話ができればと、校門を出たところで電話をかける。入部してすぐに部員全員でラインの友達登録をしてたおかげだ。

 出てください、出てください。そう、祈っていた。自然と、スマホを握る手は強くなる。じっと、繋がるのを待つ。

「嘘、でしょ」

 しばらくして、繋がらなかったことを示す画面の表示を確認するとともに、落胆の声がこぼれる。まだ何も伝えきれていないのに。

『今は出られない。ごめんね』

 たった一文、理由も教えてもらえずその文章だけが画面に映される。今は、と書かれているが、きっともういつだって駄目だ。

 青葉先輩は、やはりどうしても私を愛してはくれないみたいだった。


 しかし次の日、青葉先輩はまた情報処理室で小説を書くようになっていた。どうやら毎月初めには溜めた小説を家で読んでいるらしいが、あまりにも唐突な復帰に、私は戸惑ってしまう。それでも、そこにいるならまた話すことができる。きっといつも通りに戻れる。嫌われていたら、それも無理なのだろうけど。

「青葉先輩、隣、いいですか」

「うん」

 情報処理室から誰もいなくなったころ、また、いつものように空虚で生産性のないやりとりを始める。私の心を少しの間だけ埋めてくれる、あまりに虚しいやりとりだ。

「先輩、私、言いたいことがあるんです」

「うん」

 小説を書くのに集中している青葉先輩なら、私の望むままに答えてくれる。私は最低だ。今から、青葉先輩を欺くのだから。

「私と、付き合ってくれませんか」

 そう言う直前、私はスマホのボイスレコーダーを起動した。無機質な返答を、既成事実にしてしまおうと思った。そうしてでも、私は青葉先輩を手に入れる。きっと嫌われたまま付き合っても辛いだけだろうから、一度茶化してすぐに冗談だと私は言うだろう。でも、ただ告白を肯定された事実だけでも欲しかった。

 結局、青葉先輩を私と同じにしたくないなんて思いは、恋人になりたいというような想いにあっさり負けてしまったのだ。繋がりたい、結ばれたい。そんな独りよがりな願いが、簡単に限界を迎えてしまった。

「いいよ」

 しかし、私に届けられたのはいつもと違う返答。私は、その事実をすぐには理解できなかった。混乱し始めている頭でゆっくりと事実を反芻する。

 青葉先輩が椅子をくるりと回し、ゆっくりと私の方に向き直り、心のこもった言葉で、私を肯定した。

「なんで、いいんですか」

 私は青葉先輩に嫌われたと思っていた。むしろ、好きになってもらえるような要素がない。私は今もなお青葉先輩を欺こうとしていたのだ。それなのに、青葉先輩は私を正面から見据えている。

「ごめんね。正直に言うと、私は今も響ちゃんのことが好きなのか分からない。でも、からかわれている時も、嫌ではなかったなって」

 青葉先輩は私のいたずらに気付いた時とは別の恥じらいを見せる。それでもちゃんと目を合わせ、体もこちらに向けている。その真剣さに、少なくともこの想いはちゃんと伝わったようだった。

「響ちゃんの望みには添いきれないかもしれないけど、それでもいいなら、私付き合うよ」

 照れながら微笑みかけるその表情に、また一つ青葉先輩の好きなところが増えてしまった。やっぱり青葉先輩は美しい外見に対して挙動は可愛いという印象が大きい。ふわふわとした髪飾りなんかを付けてみても可愛くて似合うんじゃないだろうか。

 とにかく、私の想いは届いた。届かせてしまった。青葉先輩を巻き込んでしまったし、もう後戻りはできない。青葉先輩にも後悔をさせないようにと、強く胸に誓った。


 七月中頃、暑さに負けるのが先か、夏休みが来るのが先かと考えだすくらいには暑い日が続く中、何故私は日曜日に部活をしに来ているのだろう。前もって連絡はあったし、何をするのかも言われている。ただ、そんな疑問を浮かべずにはいられなかっただけだった。

 そんな不満をため息とともに追い出し、情報処理室に入る。集合時間の九時より十五分ほど早く着いたせいか、まだ来ている人は部長を含め数人しかいない。その中から青葉先輩の影を探すが、どこにも見当たらなかった。青葉先輩なら早く来ると思っていたが、案外朝は弱いのかもしれない。

「青葉なら今、印刷用の紙を取りに行ってるよ。そろそろ来るんじゃないか」

 皆の作品を刷った紙束を並べながら部長は言う。参ったな、私が人探しをする時は青葉先輩、というのが部内での通説となってしまっているようだ。他の部員たちとも結構仲良くしているつもりなのだが。

「あはは、ありがとうございます」

 苦笑いを浮かべながら部長の並べている紙束を見る。今からこれを全部読むのかと思うと早くも頭が痛い。しかも楽しむのではなく粗を探すのだ。なんという悲劇か。

「おはよう、響ちゃん。校正の内容って話したっけ」

 ドスンと重みのある音と共に、私の愛してやまない声がした。その声に自然と口角が上がり、嬉しさに心は弾む。

「おはようございます、青葉先輩。金曜日に聞いたので大丈夫ですよ」

 なるほど、青葉先輩にばかり好意が向いているのは声色の変化で分かったのかもしれない。なんて思いながら振り向くと、そこにはいつもと変わらない青葉先輩がいた。

 青葉先輩の外見のイメージは、美しさから可愛さへと変化した。もちろん元の雰囲気は美しいものだったが、夏服の爽やかな装いや、私が青葉先輩の誕生日にプレゼントした水色のシュシュで結わえたポニーテールが、それを可愛さへと変えたのだった。

 私もまた、少し前から髪を伸ばし始めたのだが、青葉先輩からお返しに貰ったおそろいのシュシュを付けられる日は、もう少し先になりそうだ。

「ならよかった。残りの印刷が終わったら行くから、いつもの席ね」

 いつもの、という言葉の持つ響きに、不思議な満足感がある。二人の中で作られた日常を感じることができるからだろうか。分厚い紙束をもっていつもの席、情報処理室の隅に座る。この紙束の中から小さな誤字脱字等を全て探し出さなければいけないと思うと、言いようのない緊張感に駆られる。

「部員全員が目を通すから、あまり緊張することないよ。楽な気持ちでやろう」

 私があまりに固くなっていたのか、青葉先輩が優しく諭してくれる。このなんとも言えない安心感は、一人の責任でないと分かったからか、それとも青葉先輩が言ってくれたからこそなのか。おそらく後者だろう。

「響ちゃんは凄いね。初めて書くのにこれほど面白い小説ができるなんて」

 ほっと息をついていると、青葉先輩は私の小説を見つけ出して話す。急に褒められてしまい、二人の間では珍しく私の方が赤面してしまう。

「これもアドバイスをくれた青葉先輩のおかげですよ。ありがとうございます、青葉先輩」

 仕返し半分、本音半分にお礼を言う。私ばかりが照れるのは、なんだか悔しかった。

「二人って本当に仲がいいよな、付き合ってるのか。って、女の子同士だし、無いよな」

 笑いながら茶化す部長の言葉に、私と青葉先輩はドキリとした。本当に私たちが付き合っていることを皆が知ったらと思うと、なんと言われるのか怖くなってしまう。青葉先輩もそうかもしれない。今となっては青葉先輩も自分の想いを自覚し、本当の意味で私たちは付き合っている。青葉先輩は、周りの目をどう思っているのだろう。

「もう少しの辛抱だよ」

 青葉先輩が私にだけ聞こえる声で呟く。どういう事だろう、すぐに人の目が変わるとは思えない。そう思いながら、続きを聞く。

「成人したら、胸を張って好きって言い合える、そういう場所に行こう」

 青葉先輩はそう言うと、様々な地域の話をした。ある国の全域で同性婚が許されているだとか、ある国の一部地域で許されるだとか。日本という社会にいるばかりに、人の目を恐れていた自分が馬鹿らしく思えるほどに世界は広く、私たちを祝福してくれるようだった。

「もちろん、日本がそうなるのが一番なんだけどね」

 青葉先輩が柄にもなく満面の笑みを湛えた期待の眼差しで語る。その期待に共感するように、私は頷き返した。

 

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