第11話 脱出
午後二時十三分
小型戦闘艇『フランセス・オーロラ』、後部ポッドルーム
「キアラ……わたし、ひとりになりたくない……」
脱出ポッドのシートベルトに固定された琴音が、震える手でキアラの手を握りしめた。
カウントダウンのアラートは既に消えていたが、その余韻が幼いふたりの心に不安を植え付けていた。
ウィルソンによれば、自爆モードに移行してから三十秒後、この船は火の海と化し、最後には爆発するとのことだった。
目の下を赤く染め、疲労の色を隠せない琴音。キアラは無理やり笑顔を作り、震える声で答えた。
「大丈夫だよ」
極度の緊張で、自身の鼓動が耳に響き渡る。
「さあ、キアラくん。君もこちらのポッドに乗るんだ」
オペレータのウィルソンが促す。
脱出ポッドは、後部ポッドルームの四隅に配置されていた。各ポッドは円筒形で、緊急時の安全を確保するための最新技術が詰め込まれている。ルーム中央には洗練されたデザインのコンソールが鎮座し、その複雑な操作パネルとホログラフィックディスプレイが、四つのポッドを同時に制御できるようになっていた。この配置により、緊急時でも効率的な脱出が可能となり、乗員の生存率を最大限に高めていた。
「琴音、約束するよ。遠く離れてしまっても必ず見つける。何年かかろうとも」
「うん、約束よ。わたしの家族はキアラだけなんだから」
「大丈夫よ、琴音ちゃん。キアラくんはしっかりしているから。それに、先生もいっしょだしね」
そして、静かに告げた。
「閉めるわね」
琴音がかすかにうなずくと、円筒形のポッドのハッチが閉まった。ウィルソンは手際よく中央コンソールを操作し、頑丈な外殻が琴音のポッドを包み込んでいく。
「よし。琴音ちゃんのほうはこれでオーケー。先生も早く乗ってください」
シンディはうなずき、最後にキアラに向かって優しく語りかけた。
「それじゃあキアラくん。天球儀船で会いましょうね」
シートに座ったキアラの目線に合わせるように、シンディは上半身をかがめた。その瞳には、再会への希望と別れの悲しみが混在していた。
また会える保障はない。
その現実をふたりとも痛いほど理解していた。それでもキアラは力強くうなずいた。
「先生も約束だよ」
「そうね、約束……」
シンディはキアラの小指に自分の小指をそっとからめた。その仕草には、言葉では表せない思いが込められていた。
「そういえば、お話ししたことあるかしら? なぜ、わたしが先生になったのかって話」
「聞いたことないと思う」
「じゃあいま話しておくわね。移民船に住む人はみんな、自分でお仕事を選べないの。みんなのお仕事を決めるのは移民船団システム。システムがわたしたちの適性を診て、どのお仕事がふさわしいか決めるのよ」
「そうなの?」
キアラの驚きの声に、シンディは真剣な表情で続けた。
「そう。だけどねキアラくん。君の人生は君だけのもの。これからもし、大事な決断を迫られたときは自分で決めるのよ。後悔しないためにも――」
「よくわかんないよ、先生」
キアラの困惑した表情に、シンディは優しく微笑んだ。
「ごめんね。ちょっと難しかったかもね。でも、先生が言ったこと忘れないで欲しいの。いまはそれだけでも充分だから……」
「わかったよ先生。じゃあそれも約束――」
「はい、やくそく」
からめていたままの小指に、シンディはぎゅっと心を込めた。
「ふふっ。なんだか、かわいい弟くんができたみたい」
シンディは空いていたもう片方の手のひらをキアラの頬にそっと当てた。その温もりがキアラの心に染み渡る。
シンディの幸せそうな笑顔を垣間見た気がした。それに彼女の手の温もりのせいかわからないが、なんだか照れくさい。シンディの幸せそうな笑顔が、キアラの目に焼き付いた。その優しさと、手の温もりに、キアラは思わず頬を赤らめた。照れくささと、言葉にできない感情が胸の中でぐるぐると渦を巻く。
「いい? 少しの我慢よ」
シンディは優しく言い聞かせるように告げ、ポッドから離れた。代わりにウィルソンが顔を覗かせる。
「それじゃキアラくん。ハッチを閉めるよ」
「ウィルソンさん……」
言葉を探すようにキアラは躊躇した。
「なんだい?」
「ありがとう、ございます」
キアラの声には、感謝と別れの悲しみが滲んでいた。
「助けるのは当然のことだよ」
ウィルソンは淡々と答えながら、シートベルトの確認を始めた。
「いい先生を持ったね。僕もああいう強い人になりたいよ」
「先生が強い?」
キアラの疑問に、ウィルソンは真剣な眼差しで答えた。
「ああ。強い……。だって、これまでも君の先生はいっしょに来てくれたんだろ? 僕だったら、とっくに逃げ出していたかもしれない」
「あ……」
そうだ。幾度となく危険な目に遭い、二人を置いて逃げようと思えばいつでも逃げられたのに、弱音を吐くこともなく、ただひたむきにキアラと琴音を守ってきた。
しかし、その事実は逆に考えると自分が弱いからだ。
もどかしさと自責の念が、キアラの胸を締め付けた。
ハッチが閉まると、ポッド内は一瞬、闇に包まれた。すぐにデジタルコンソールが起動し、目の前に2Dホログラムによるスクリーンが浮かび上がった。
スクリーンには、ポッドルームの俯瞰図が映し出され、外の音声もスピーカーを通して鮮明に聞こえてきた。
シンディがポッドに乗り込み、ウィルソンがハッチを閉めようとしている。
そのときだった。
耳をつんざくような爆発音がポッド内に響き渡った。ドアが吹き飛び、煙が渦巻く様子がスクリーンに映し出された。
「〈お前たちは!〉」ウィルソンの悲痛な叫び声が響く。
壊れた出入り口から、黒いマスクをかぶった三人の兵士が押し寄せてきた。フォトンライフルを突きつけられ、ウィルソンは両手を上げた。しかし、次の瞬間、銃口から閃光が放たれた。
「ウィルソンさん!」キアラは思わず叫び、拳を握りしめた。目を見開いたまま、信じられない光景を目の当たりにする。
ウィルソンの身体は瞬く間に液状化し、激しい炎に包まれて灰となった。
「なんなんだよ……いまのは……? なんで殺すんだよ!」
怒りと恐怖が入り乱れる。それでもキアラは、デジタルコンソールを必死に操作し始めた。
ポッドの外では、兵士たちが中央コンソールを操作している様子が映し出されている。
「〈ロックがかかっている。この野郎、最後に余計なことを〉」
「〈射出ボタン以外は効かないようだ〉」
「〈残るは民間人の女だ。そいつがおそらく、少尉の探しているペンダントを持っているはずだ〉」
「〈わかっている〉」
「〈女がいたぞ! 三番ポッドだ〉」
キアラの目の前で、シンディがポッドから無理やり引きずり出される光景が映し出された。
「先生!」叫び声が、閉ざされたポッドの中で虚しく響く。
スクリーンの端で『射出中断』のアラートが点滅している。
「なんで反応しないんだよ? 早く助けないと!」
焦りと絶望感に襲われながら、コンソールを必死に操作しつづけた。
キアラと琴音のポッドは完全に自動化されており、そもそも操作方法など知るはずもない。
それでも、何かできることはないかと、がむしゃらにコンソールに触れていると、カメラだけは操作できることに気づいた。
「〈ゼプラー少尉……〉」
兵士の緊張した声に続いて、部屋の出入り口に一人の男が現れた。黒いマントをまとった姿は、まるで暗闇そのものが形を成したかのようだった。
その男の出現とともに、室内の空気が凍りついたかのように変化した。四ツ目のマスクをかぶった男を前にして、兵士たちは萎縮したように一歩後退した。
両腕を兵士に拘束されたシンディが、まるで生贄のように差し出される。ゼプラーの金色に輝く目が、不気味な光を放っていた。
キアラは息を潜めながら、カメラの視点を切り替えた。ゼプラーとシンディを横から見下ろすアングルになり、状況をより詳しく観察できるようになった。
そのとき、キアラの目がゼプラーの胸元に釘付けになった。そこには見慣れない紋章が輝いていた。
「この紋章から、奴らの正体がわかるかもしれない」
キアラは考えを巡らせながら、カメラをその紋章にフォーカスした。
銀色の下地に、金色の浮き彫りが施された紋章。そこには、物語に出てくるような胴長のドラゴンが、古びた石塔に巻きついている。石塔の頂上では、大きな一つ目が不気味な閃光を放っている図柄が刻まれていた。
キアラは紋章の詳細を必死に記憶しようとした。
この不気味な紋章を身につけているのはゼプラーだけで、他の兵士たちには見当たらない。
(この紋章が、何かの重要な手がかりになるはずだ)
緊迫した空気の中、キアラはスクリーンに釘付けになったまま、次の展開を固唾を呑んで見守った。
「〈女、ペンダントを持っているのはきさまか?〉」
ゼプラーの低く冷たい声が響き渡った。
「〈ペンダント? なんのことでしょう? それに持っていたとしても渡すつもりはありません〉」
シンディは気丈にもゼプラーを睨みつけた。その眼差しには、恐怖よりも強い意志が宿っていた。
周囲の兵士たちは息を呑んだ。彼らは心の奥底に闇を秘めた少尉が、すぐにでもフォトンソードでシンディを真っ二つにするのではないかと恐れた。少尉が侮辱されることを嫌うのは周知の事実だった。
しかし、ゼプラーはソードに手をかけることはなかった。この女が死の覚悟で挑んできたことを、彼は本能的に感じ取っていた。
突如、ゼプラーは右腕でシンディの細い首をわしづかみにし、そのまま全身を持ち上げた。
シンディは顔を真っ赤にし、ゼプラーの太い腕に必死にしがみつこうともがいた。
シンディの苦悶する姿を目にし、ゼプラーの内なる破壊衝動はさらに高まった。
「〈質問に答えろ〉」
ゼプラーは親指をシンディの喉元に押し込んだ。
「〈ァガッ……し……、知りません……〉」かすれた声が漏れる。
キアラはスクリーンを見つめたまま、思わず耳をふさいだ。シンディの澄んだ声が苦しみに歪むのを聞くのは、耐え難かった。
ゼプラーはさらに首を絞めあげた。
「〈答えろ〉」
シンディは激しく身をよじった。
白目を向く直前、ゼプラーは突如力を緩めた。
「〈ゲホッ! ハァハア、はあ……〉」
シンディは床に崩れ落ち、激しく咳き込んだ。
ゼプラーは冷淡な目でシンディを見下ろした。彼は最初から、この女の口から答えが得られるとは期待していなかった。言葉以外の反応こそが、彼の求めるものだった。
そして、彼はそれを見逃さなかった。
シンディの視線が一瞬、二カ所に向けられたのを――。
キアラは震える手で、スクリーンに映る残虐な光景を凍りついたように見つめ続けた。心の中で、シンディの無事を必死に祈りながら。
「〈あのふたつのポッドを撃て〉」
ゼプラーの冷酷な命令が響き渡った。
「〈ハッ!〉」
三人の兵士が即座に反応し、銃口を琴音とキアラの乗るポッドに向けた。
「〈やめて!〉」シンディの悲痛な叫び声が響く。
ドシュッ、ドシュッ――。
スピーカーから大きな衝撃音が鳴り響き、キアラは思わず座ったまま後ろに飛び退いた。背中を強く打ったが、それ以上の被害はなかった。
「〈少尉。この銃では外殻壁を破れそうにありません。工兵を呼びますか……〉」
兵士の報告に、ゼプラーは冷笑を浮かべた。
「〈呼ぶ必要はない〉」
ゼプラーは、訓練も受けていない人間が突然の生命の危機に直面して秘密を守り通せるはずがないと確信していた。彼はゆっくりとキアラのポッドに歩み寄りながら、フォトンソードを取り出した。兵士たちは息を呑んで、ゼプラーの次の行動を見守っていた。
「光る剣……」
キアラは恐怖に打ちのめされ、ただ見つめることしかできなかった。死の恐怖が迫る中、彼は完全に無力だった。
ゼプラーはポッドの前に立ち、獲物を前にした捕食者のように、ソードを構えた。
「なんだよこいつ。なにをするつもりだよ……」
キアラは震える手でカメラの視点を切り替えた。その瞬間、ゼプラーはソードを外殻に突き刺した。
白煙が立ち昇るなか、光刃が外殻に食い込んでいく。ゼプラーはソードの出力を上げ、分厚い装甲のような外殻を切断し始めた。
ゆっくりではあるが、確実に外殻は切り開かれていく。キアラの心臓は激しく鼓動を打ち、冷や汗が背中を伝った。逃げ場のない閉じ込められた空間で、迫り来る脅威にただ怯えることしかできない。時間が残酷なほどにゆっくりと過ぎていくなか、キアラは救いの手が差し伸べられることを必死に願った。
「〈おい女! なにをしている!〉」
兵士の叫び声にキアラは我に返り、慌ててカメラの視点を戻した。
シンディが中央コンソールで何かを操作している姿が映し出された。瞬時に兵士たちに取り押さえられるも、彼女の行動はすでに結果を生んでいた。
デジタルコンソールに表示されているメーター類が激しく変動し始める。『射出中断』のアラートが消え、代わりにポッド内に冷たい機械音が響き渡った。
「〈射出を開始します。一〇、九、……〉」
シンディは兵士の隙をついて、中央コンソールの射出ボタンを押したのだ。
ゼプラーはポッドからすばやく離れると、シンディに向かって歩み寄りながらフォトンソードを振り上げた。
「〈五、四、……〉」
「おい。やめろ、やめてくれ! 先生に手を出すなーーーっ!」
キアラの悲痛な叫びがポッド内に響き渡る。
「〈一、〇〉」
刹那、キアラの目の前でシンディの身体が真っ二つに裂かれ、崩れ落ちた。そこで映像は途切れた。
「ウワァーーーッ!!」
怒りと絶望が入り混じった叫び声が、キアラの喉から絞り出された。
ポッドは漆黒の宇宙に勢いよく飛び出し、フランセス・オーロラと近接強襲艦がみるみるうちに小さくなっていく。
キアラは拳を振り上げ、肘掛けに思い切り怒りをぶつけた。
「どうして……どうしてあんなひどいことができるんだ。……ちくしょうちくしょうっ!」
頭が沸騰しそうなほど熱くなり、止めどもなく涙が溢れ出す。口内に苦味が広がった。
スクリーン越しに、遠ざかるフランセス・オーロラから出てきたゼプラーの姿が、かすかに見えた。
ゼプラーは近接強襲艦の前で立ち止まると、下士官に命じた。
「戦闘機を出せ。ペンダントを手に入れるまでひとりも逃がすな」
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