第3話
久しぶりに訪れた江ノ島は想像通りに混雑していた。
海がみたいとは思っていたものの、桃香さんの話を聞くまでは、江ノ島にくるつもりはなかった。当初の予定では由比ヶ浜から稲村ヶ崎あたりまで、海岸沿いをのんびりと散策するつもりだった。鎌倉文学館や長谷寺などに寄り道しながら。人混みが苦手なので、この季節の江ノ島は避けたいところだった。
海水浴客。外国語を話している観光客。浴衣姿の男女。修学旅行かなにかなのか、中学生くらいの制服姿の集団。ひとの多い鎌倉のなかでも特に密集している。とにかくひとが多い。
江ノ島に渡る弁天橋ですれちがうひとや、仲見世通りのお店のひとに美優さんの写真をみせてまわるものの、目撃情報ひとつなかった。美優さんと会ったひとがいても不思議ではないものの、多くのひとがいるからこそ、たったひとりの女の子の顔なんて憶えていられないのかもしれない。強い印象に残ることがなければ。
信じれば魔法はあるといったものの挫けそうになってしまう。江ノ島の広さも心が折れそうになる要素のひとつ。龍恋の鐘までが遠い。それこそ箒で空を飛びたくなるくらいに広い。
もしも空が飛べたなら。
そんな想像をしてみる。江ノ島を上空から見渡せたら、美優さんをみつけられるだろうか。
「つぐみちゃん、箒で空を飛べたらええのにって顔しとるよ」
肩をすくめた。さすがにこう何回も続くと、桃香さんは他人の心が読めるんじゃないのかと勘ぐってしまう。彼女に嘘はつけないな。つくつもりもないけれど。
「そんなにわかりやすくでています?」
「うん。けど、空が飛べても無理やね。みゅうを捜すのは難しそう」
「そうですね」
あたしはうなずいた。緑に覆われた江ノ島を上空から見渡しても、人影は樹木に隠れてしまいそう。仮に隠れなかったとしても、空を飛んだぶんだけ視界に入るひとの数が増える。数えきれないほどのひとの群れから、たったひとりを捜しだすのは困難を極めそう。
しばらく歩き、ようやく龍恋の鐘入り口とある看板がみえたときだった。
「あ、猫」
桃香さんが指した方向に黒猫が二匹。恋人の丘へ続く舗装されていない道をゆっくりと進んでいく。先を歩く一匹が時折立ち止まり、遅れているもう一匹を待ったりもする。距離が縮まるとまた進みはじめて、しばらくすると立ち止まっては振りかえる。
もしかしたら、この猫たちも恋人なのかもしれない。永遠の愛を誓うために、恋人の丘に向かっているのかも。そんなしあわせな想像をしてみる。
猫を追い越さないように歩幅を小さくしてゆっくり歩いたものの、止まっては進み、止まっては進みを繰りかえす恋人たちの猫をすぐに追いぬいてしまった。
「可愛い猫やったね」
「ですね」
あの猫たちは末永くしあわせでいてほしい。そんなことを願いながら歩を進めると目的地に着いた。
──誰もいなかった。
鉄柵には無数の南京錠がかけられている。恋人たちの名前が書かれた南京錠や、永遠の愛を誓う言葉が記された色とりどりのハート型の紙が本来無機質な鉄柵を華やかにしていた。飾りつけのような鮮やかさが、ひとのいない静けさを強調する。静けさがあたしを息苦しくさせた。
「都合よく待っとるなんて思うてへんかったけど、ほんまにいないとちょっときついね」
「うん」
あたしも落胆していた。
けして楽観的だったわけではなかった。桃香さんがいったように、龍恋の鐘で会えるとも思っていなかった。けれど、同時に淡い期待をしていたのも事実。鐘の前にあるベンチで美優さんが待っているんじゃないか。魔法のようなご都合主義があるんじゃないか。心の片隅でそんなふうにも願っていた。
鐘の下をみて、溜息がこぼれた。
昔、鎌倉に子供を生贄にとる五つ頭の悪龍がいたという。その悪龍は天女に恋をし結婚を申しこむのだけど、悪行をやめるまではと断られてしまう。その後、改心をした龍は天女と結ばれた──そんな伝説が鐘の下の説明板で紹介されている。現実とちがって伝説はご都合主義すぎる。
「ねえ、つぐみちゃん」
声をかけられて顔をあげると桃香さんは引綱を握っていた。
「せっかくやし、鐘鳴らさへん?」
「あ、はい」
つい返事をしてしまって少し考えてしまった。この鐘になにか意味はあるのだろうか。永遠の愛を誓うような。
「変な意味はないよ」桃香さんは微笑する。
ふたりで鐘を鳴らす。
澄んだ音が響く。ここで永遠の愛を誓ったことを周囲に伝えるように、美しく澄んだ鐘の音は、遙か彼方まで聴こえそうなほど大きく響く。
「実は南京錠も持っとるの」
「ふぇ?」
変な声をだしてしまった。不意打ちすぎてむせてしまう。
南京錠を用意しているのはわかる。龍恋の鐘で美優さんと会えたときを考えてのことだから。けれど、美優さんと再会できなかった今、南京錠を取りだすのは理解に苦しむ。
「変な意味やないけど、ちゃんと意味はあるんよ」
「ど、どういうことですか?」咳きこみながら訊く。
「つぐみちゃん、うちとずっと友達でいてな」
「はい。そのつもりです」
応えると桃香さんは軽く首を振った。目にはうっすらと涙が浮かんでいる。
「うちがおばさんになっても、おばあちゃんになっても、ずっと、ずっとずっと友達でいてな」
震える声でいわれ、胸が痛くなった。
ああ、やっとわかった。桃香さんは不安なんだ。美優さんがそうだったように、目の前にいるひとが突然いなくなってしまうことを恐れているんだ。だから永遠に変わらない強い絆がほしいんだ。きっと。
一度目をつむる。気軽に返事してはいけない言葉だと思った。もしかすると永遠の愛を誓うよりも重いかもしれない。
ゆっくりと深呼吸をして目を開けると、桃香さんが不安そうにあたしの顔を覗きこんでいた。桃香さんを安心させるように、あたしは笑顔をつくる。上手く笑えたかどうかは、ちょっと自信ない。
「約束します。あたしが何歳になっても桃香さんの友達でいます」
「ほんまに?」
「誓います。ずっと友達です」
微笑した桃香さんの目からは大粒の涙がこぼれた。
「おおきに」
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