第2話

 クリームあんみつが運ばれてきたので、桃香さんの恋人の話は一時中断になった。黒蜜をかけてからスプーンであんこを掬う。口に運ぶと控えめの甘さが広がった。優しい甘さ。

「おいしいですね」

「うん」

 淋しそうな笑みを浮かべる。胸が痛くなった。桃香さんだって考えてることが顔にでてるじゃないですか──と思ったものの、さすがに声にだせなかった。本来ここに座ってるのはあたしじゃない。

 いけない、心の声がまた顔にでてしまっているかも。表情を隠すように器に視線を落とし、あんみつをもう一口食べようとすると、

「ね、つぐみちゃん」

 声をかけられた。桃香さんは窓を指さしている。

 緑の車両が窓の外を走っている。江ノ電だ。線路脇に建っているのだから当然なのだけど、手を伸ばせば届きそうなくらいに距離が近い。乗客の顔もはっきりとみえる。楽しそうに話している子供連れの家族。浴衣姿の数人の少女たち。しあわせそうに笑う恋人たち──。

 時間的にはほんの数秒のこと。起こったのは、目の前を電車が通りすぎたこと。ただそれだけのことなのに、あたしの心拍数はあがっていた。

「普通の電車やのに、なんか不思議な感じやね」

「そうですね」

 そもそも家のなかで電車をみることがないので、それだけで新鮮なのかもしれない。加えて時間の流れから隔離されたような古民家のなかなので新鮮さが跳ねあがったのかもしれない。

「みゅうときたかったな」ぽつりといった。

「それが彼女さん?」

「みゅうは愛称やけど」

 ゆっくりと恋人のことを語りはじめた。

 彼女の名前は嶺井美優。元々桃香さんの友人の妹で親しかったのだけど、三年前、美優さんから告白をして交際がはじまった。

「思春期の女の子って同性にあこがれたりする子もおるんよ。みんながみんなそうじゃないし、男の子がどうなのか知らへんけど」

「なんとなくわかります」

 事情は全然ちがうけど、あたしの初恋も年上の女性だった。顔も名前も年齢も知らずに淡い思いを抱いていたら、六歳も年上の女性だった。その相手──雪乃さんとは今も友人として交流があり、春には彼女と一緒に桃香さんと出会った。

「同性へのあこがれは一時的なものかもしれへん。いつか異性を好きになるかもしれへん。せやけど、それまではみゅうの気持ちに向き合おう思うてつきあいはじめたんやけど──。

 三年間、みゅうの気持ちは全然変わらなくて、なのに急にいなくなってしもうて。携帯電話もつながらへん。家族もなにも知らされてへん。なんも変わった様子もなかったし。ほんま急にいなくなってしもうて」

「鎌倉にはどうして?」

「ふたりではじめて旅行したんが鎌倉なの」

 それとね、と桃香さんはもう一度スマートフォンの画面をみせてくれた。

 鐘が写っていた。龍恋の鐘とある。奥にある鉄柵には無数の南京錠。恋人の丘の鍵の話は、恋愛に疎いあたしでもさすがに知っている。そして、その場所も。

「江ノ島?」

「うん。昨日、みゅうのブログにこの写真があがっとって。あわてて鎌倉まできてしもうた」

「でも、昨日の写真なら今日も江ノ島にいるとは限らないんじゃ……?」

「せやね」力なくうなずいた。

 失言だった、と思った。美優さんがもう江ノ島から離れているかもしれない、そのことを承知で桃香さんは鎌倉にきているのだろう、他に手がかりがないから。

「魔法があればええのに」

「魔法、ですか?」

「うん。みゅうをすぐ捜しだせるような魔法」

 魔法には心当たりがあった。

 桃香さんが考えるようなものではないけれど、この世界に魔法は存在する。日本で一番有名な魔女は『魔女の宅急便』のキキだということは誰も否定しないだろうけど、その生みの親、角野栄子さんは実際に魔女と会っている。『ファンタジーが生まれるとき』という本に、そのエピソードが紹介されている。魔女については角野栄子さん以外にもいくつかの本を知っているのだけれど、残念ながら今の桃香さんの救いになるものはなかった。キキが空を飛ぶ魔法しか知らなかったように、キキのお母さんのコキリが空を飛ぶこととくしゃみの薬をつくる魔法しか知らなかったように、魔法には小さな力しかない。それでも──。

「魔法は、ありますよ」無意識のうちに声にだしていた。

「ほんま?」

 あたしはうなずいた。

「魔法は、あります。あたしの大好きな小説に、こういう科白があるんです。『魔法は、信じない者にとっては最初から存在しないもの、だと思う』って。だから、魔法はあるんですよ。信じれば」

「その小説に魔法はあったん?」

「ありましたよ。素敵な魔法が。だからまず江ノ島に行ってみましょう」

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