魔法が生まれるとき

ひじりあや

第1話

 電車に揺られながらイヤホンで携帯ラジオを聴いている。窓に映る景色を眺めながら、そろそろ乗り換えの駅に着く頃かなと思っていると、不意に聴き慣れた旋律が流れてきた。アコースティックギターの優しい音色に、女性ボーカルの透きとおった歌声。思いがけない偶然だった。ラジオから流れているのは坂本真綾さんの『やさしさに包まれたなら』。

 オリジナル曲はアニメ映画『魔女の宅急便』の主題歌になっていて、あたしは昨日そのDVDをみていた。今、電車に乗っているのもアニメの影響。急に海がみたくなってしまった。

 曲が終わりラジオがCMに入ると電車は大船に到着した。ここで横須賀線に乗り換える。目的地は鎌倉。海がみたくなって自然と鎌倉へ足が向いたのは、たぶん『魔女の宅急便』の原作者の角野栄子さんが鎌倉在住だから。あたしがラジオを持参したのも、主人公のキキに影響されたからなのかもしれない。

 鎌倉は何度か訪れているけれど、あたしがくるときはいつも混雑している。空いているところをみたことがない。ひとの流れにそって改札をでると──。

「あっ……」

 思わず声をだしてしまった。失敗した。江ノ電に乗るつもりだったのに反対側の東口にでてしまった。軽く溜息をついて西口に向かう。

 駅の北側にある連絡通路を通り、鎌倉駅のシンボルのひとつの時計台を横目にして、江ノ電の券売機を目指そうとすると、見知った顔があたしの前を横切った。

 鎌倉で会うはずがないひとだった。

 ひとちがいかもしれない、けれど視線は自然と彼女を追ってしまう。相手もそうだったんだろう、その場で足を止めて振りかえった。

 視線が重なった瞬間、そのひとは微笑した。

「やっぱりつぐみちゃんや」

 ゆっくりと柔らかいイントネーション。間違えるはずもない、あたしのよく知っている声。

「すごい偶然ですね」

「ほんまやね。うちもびっくりしたわ」

 彼女の名前は荒波桃香さん、滋賀県在住の大学生。

 京訛りの口調は本人曰く似非。あくまで京都風の訛りなのだそう。大阪や神戸や京都を転々としていたら、いろいろ混ざってしまったらしい。

 その桃香さんとは、春休みに下北沢の秘密基地のようなお店で知りあった。あたしも桃香さんも、今では絶滅危惧種である駅の伝言板の、ニュースにもならない小さな出来事に関わったのだけど、それは四月の話。今は七月、春休みどころか夏休みの時期。あれからずっと東京に滞在していたとは思えない。

「今日は観光ですか?」

「ちょっとちごうとるけど、そんなとこ」

 あたしは首をかしげた。「海がみたくなって衝動的に鎌倉にきた」という行動も観光といえないけど、桃香さんがそれをするには距離が遠すぎる。

「鎌倉にはいつまでいるんですか?」

「いつまでかなあ。うちもようわからへん」

「わからないんですか?」

 面食らってしまった。滋賀から鎌倉まできたのに、予定が決まっていない? どういうことだろう。

「つぐみちゃん、いろいろ聞きたいって顔しとるね。うち、行ってみたいお店あるし、そこで話さへん?」


 桃香さんが行ってみたいお店は和田塚駅にある。文字通り駅にある。鎌倉駅から江ノ電でひとつ隣の無人駅の目の前、線路に面した場所にある甘味処『無心庵』。片面ホームの向こう側にあるので、降りて線路を渡らないと入れない、なかなかユニークなお店。

 緑に囲まれた古民家の玄関をくぐると、線香の香りが鼻腔をくすぐった。苦手だというひともいるけれど、あたしは好きな香り。靴を脱いでお店にあがると、まず目に映るのが囲炉裏。待合室になっているのか座布団が敷かれている。

 続き部屋の和室に通されると、先客が一組、窓際に着物姿の女性がふたり。店内には琴の音も流れており、都心ではなかなか味わえない和の空間になっていた。

 あたしと桃香さんが注文したのはクリームあんみつ。店員さんが奥に戻ったあと、桃香さんがぽつりといった。

「ひとを捜しとるの。予定がわからへんのも、それが理由」

「誰を?」

「恋人」

 桃香さんの恋人はあたしも知っているひとだった。真田智宏さんといい、駅の伝言板の件にも関わっている。ついでにいうと、あたしの初恋にも少しだけ関係していた。

「真田さんがどうしたんですか。携帯電話もつながらないんですか?」

「トモトモ? あれは別に彼氏ちゃうよ?」

「え?」

 声が裏返ってしまった。春に会ったとき、桃香さんはいつも真田さんの隣にいた。だから当然交際していると思っていたのに。

「誤解されとると思うてたけど、タイミングを見失うて言いそびれてしもうたんや。うちがつきおうてる子は他におるよ」

「そう、なんですか」

 素直にうなずけなかったのは違和感があったから。桃香さんは「恋人」を捜しているといった。真田さんのことは「彼氏」ではないともいった。そして、つきあってる「子」がいると。この言葉のちがいが引っかかってしまう。

「つぐみちゃん、考えてることが顔にでとるよ」桃香さんは優しく笑う。「この子がうちの恋人」

 スマートフォンをみせてくれた。画面に視線を落として、目を疑った。

「間違い、じゃないですよね?」思わず訊いてしまった。

「おうてるよ」

 柔らかい口調で断定され、あたしは動揺してしまった。

 今までの話から、桃香さんの恋人が女性だというのは予想ができた。「つきおうてる子」という言葉から、同い年、もしくは年下なのだろうということも。けれど、これは予想外だった。

 写っていたのは幼い顔立ちの女の子。小学生と間違われることもあるあたしと遜色ないほど幼い。中学生くらいなのかもしれないけど、どちらにしろ高校二年のあたしよりも若い。

「何歳なんですか?」

「中学三年生。せやけど、これは去年のやね」

 桃香さんは二十一歳。十年後には気にしない年齢差でも、中学時代の六歳差は数字以上に大きい。この子からしたら、桃香さんは大人の女性になるはず。

「また考えてることが顔にでとるよ」

 桃香さんは声をたてて笑った。

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