第14話見えるようになった日
ふいに目が覚めた。脳が覚醒したというよりは、何かに妨げられて無理やり起こされた気分だ。
前日にセットしておいたアラームはまだ鳴っていないようだし、カーテンの隙間から覗く外は薄暗く、とても朝を迎えて起きたとは考えられなかった。
身体を起こしてカーテンを開けると、やっぱり空はまだ白んですらなく、小鳥の
僕は眠りは深い方だし、夢とかも滅多に見ないタイプなので、こんな時間に目が覚めることは記憶にほとんどない。スマホをタップすると寝起きにはキツい明るさで画面が付き、時刻を表示した。
「四時半……?」
そりゃ、夏だろうがまだ日が昇っていないわけだ。
首を傾げつつ、すっかり冴えてしまった目をこすりながら布団に潜り込もうとした刹那、下の階から話し声が聞こえてきていることに気が付いた。その瞬間、僕は不自然な時間に起きてしまった理由と今の状況を察し、心底嫌な気分になった。
耳を塞いでさっさと寝てしまおうと布団を頭まで被った。しかし、脳裏に赤い糸が――僕を縛り付ける見えないはずの糸がチラつく。
見守るしかない。桜坂はそう言った。その通りだ。僕はあくまでも愛衣と幸田の友達というだけで、本人ではないんだし、二人の幸せをただただ願う存在だ。
二人が今、幸せならそれでいいじゃないか。現に幸田も愛衣を気にし始めているようだし、愛衣に至ってはもう何年も片思いだった相手と両思いになれるのだから、これ以上に幸せなことはないだろう。
それでも、駄目なんだ。
運命の鎖は、そう簡単には切れないし、この世界は敷かれたレールに沿って進むことを求められる世界だ。道を外れた者がどうなるか、僕は知っている。ある意味、一番身近でそれを目の当たりにしている。だからこそ、目をそらしてはいけないんだ。
静かに起き上がり、音を立てずに廊下に出た。階段のすぐ下にあるリビングからうっすらと明かりが漏れ、言い争っている声が聞こえる。
「どうして、こんな時間に帰って来るのよ! こっちは夕飯だってつくってあったのよ。残ったあなたの分、捨てろって言うの?」
「だから! 急な接待だったんだよ! 仕方ないだろ! 取引先の相手の前で女房に連絡を入れろって言うのか! お前だって近所の連中と出かけて飯も作らずに遅くに帰って来ることあるじゃないか!」
「それとこれは関係ないでしょ!」
どうやら、父親が真偽はともかく、取引先の人と飯に行って、今帰ってきたらしい。今回に関しては父親に非があるのは明らかだが、父親の言い分も確かで、母親も夜遅くに帰って来ることがしばしばある。
僕からすればどっちもどっちで、正直聞き飽きた内容の喧嘩だ。
別に親がどこの誰とほっつき歩こうが、僕には関係ないし、興味もない。両方とも不倫すらしてるんじゃないかとさえ思っている。
一体、いつから両親は険悪な関係になったのだろう。僕が幼稚園くらいの時はまだ仲が良かった気がする。少なくとも、幼かった僕の目にはそういう風に見えていた。しかし、小学生に入ったぐらいの時からちらほら喧嘩が増え、いつしか毎週のように喧嘩を繰り広げるようになった。思えば、この頃から二人の目に僕は映らなくなったのだと思う。
父親はたまに暴力を振るうようになったし、母親は露骨にご機嫌取りをして夫婦喧嘩になった際に擁護するように言い寄ってきた。
僕が七歳の時に今までとは比べ物にならない夫婦喧嘩が起きた。
喧嘩の内容は覚えていないが、父親が椅子を蹴り飛ばし、窓ガラスを割った記憶だけが鮮明に残っている。庭へと繋がる大きな窓ガラスで、その近くで丸くなっていた僕が、上空から降り注ぐ硝子の破片で頭を切ったことで喧嘩は収束した。
偶然か、必然か、その夫婦喧嘩の次の日、僕は自分の視界が赤い糸で埋め尽くされていることに気が付いた。そして、どうして両親がこんなにも不仲なのかを理解して、納得してしまった。
赤い糸で繋がった同士でなければ、こういう結末を辿るのだと、若干七歳にして気づいてしまったのだ。
リビングへと繋がるドアの横に腰を下ろし、しばらく不毛な喧嘩を聞いていたが、馬鹿馬鹿しくなり、自室に戻ろうとしたその時、母親から思いがけない台詞が飛び出した。
「もう、離婚よ!」
冷静に考えれば、当たり前のことで僕もさっさとそうするべきだとさえ思っていた。しかし、実際に自分の親がその言葉を使っている事実に、頭が付いて行かなかった。
そのあとの会話は、頭に入って来なかった。
その日、僕はいつ自室に戻ったのか、いつ眠ったのか全く覚えていないまま、気がつけばいつも通りのアラームで再び目を覚ました。
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