第13話恋してもいいかなって

「実笠、お願い! 夏祭り一緒に行こ!」


 そんなお願いを愛衣にされたのは、夏休みに入る直前のことだった。


「頼む相手、間違ってない? 確かに小さい頃はよく一緒に行ったけど」


「そうじゃなくて、いや、そうなんだけど。何としても夏休みに決着をつけたいんだよ」


「何の?」


 そこまで話して、幸田が友達と談笑しながら教室に入って来た。僕の視線が明後日の方向に向いていることを察し、彼女も幸田の存在に気が付いたようだ。


「やっぱり、あとで話す! ついでに琴音も誘っておいて!」


 ちらちらと幸田に視線を向けながら、愛衣はいつものギャルグループに戻って行った。

 なるほどなぁ、と思った反面、少しめんどくさくて、とんでもなく憂鬱な祭りになりそうだと感じた。


 それでも、僕には二人の行方を見届ける義務があると勝手に思っている。ここまでくるとただのお節介な気もするが、やっぱり気になるのは事実だ。


 それに、桜坂と夏休みに会う口実になるという邪な思いも若干あったりする。今の様子を見るに、夏休み明けの二学期が始まった頃には、今以上に話すことが困難になってしまうはずだ。

 夏休みとは言え、受験生の僕たちは補習などで学校に来るものの、それでもやっぱり会う回数は減ってしまうだろう。一日でも、一分でも長く彼女と話したいという思いが、愛衣の願いを断るという選択肢をさっぱり消し去ってしまった。



 放課後、夏祭りの件を伝えると、彼女は存外あっさりと承諾した。


「私、友達とお祭りに行くのなんて初めてで、今からワクワクしてるわ」


「この街、祭りの花火だけが有名だもんなぁ」


「機を見計らって佐野倉さんと雲宮くんを二人っきりにしてあげましょ。付き合ってない男女が二人で花火を見るなんて、結構ロマンチックでドキドキするわね」


「……そうだね」


 我ながら、つまらない意地を張っているなと思う。うじうじ悩んで、それを隠そうともせず、こうして進んで行く周りの関係が、時間が、止まってしまえばいいと願っている。


「ここまで来てしまったら、あとは遠巻きに眺めているしかできることはないわよ」


「やっぱり、そう思う?」


 参考書の一ページを眺めて十分。書いてある内容は全く頭に入ってこないし、もはや飾りと化したその行為があほらしく感じて参考書を閉じる。


「言ってはいけないことかもしれないけど、ただの高校生の恋愛よ。もちろん、学生のうちから付き合って、そのまま結婚する人だっているのかもしれないけれど、そうならない方が可能性的には高いんだから、あまり自分を追い詰めない方がいいわ」


 参考書を閉じると、行き場のない視線は自然と目の前の彼女に注がれる。彼女は話しながらもノートにペンを走らせて、次々と参考書の問題を解いている。


 視線が下を向く時に覗く長いまつげも、すらすらとペンを動かす細い指先も、もう僕には見慣れた光景になってしまった。なんだか、すごい贅沢な思いをしている気がしなくもない。


「それとも、佐野倉さんを自分のものにしておきたい欲がまだあるの?」


「そんなの、最初から無いよ。僕は恋愛なんて見通しのつかない青春は出来ないんだから」


「でも、篠原くんは表面上そう思っているだけで、きっと心のどこかでは恋をしたいと思っているはずよ」


 ノートの端に彼女はいびつなハートを描いた。きっと、彼女は綺麗なハートを描いたつもりなのだろうけど、今はそんな不恰好なハートは僕の恋愛観を表しているような気がした。


「それは、僕自身にも赤い糸があるから?」


「そうよ。だって、本当に恋をしないと誓っているのなら、私みたいに赤い糸は見えないはずでしょ? それとも、私にも赤い糸が見えるようになったかしら?」


 両手を軽く広げて見せた彼女の胸元に赤い糸なんて鎖は見えない。


「本当に恋愛がしたいなんて気持ちは一ミリもないんだけどなぁ。赤い糸が見える能力を持つ人自身が、赤い糸を持ってないなんておかしすぎるから、神様が特別に付けたんじゃないかな」


「その説も否定は出来ないわね。何しろ、科学的には絶対的に証明出来ないものなんだから」


「僕はいまだに自分の痛々しい妄想だと思っているけどね」


「そうであるなら、篠原くんはとんでもない予知能力者ってことになるわね」


 グラウンドからかすかにホイッスルの音が聞こえてきた。サッカー部の部活終了を合図するものだ。このホイッスルが聞こえて来ると、もうすぐ下校時間なのだと最近になって気が付いた。


 彼女もそれを知っているのか、ホイッスルの音を聞くと参考書を閉じて大きく伸びをした。夕焼けに照らされた彼女は、まるで今にも消えて無くなってしまいそうな儚さと、それをかき消してしまわんとする圧倒的な美しさを感じさせる。


 きっと、彼女みたいな人を本当の美少女とか美女とかいうのだと思う。


 でも、僕は彼女の本当に美しい部分を知っている。彼女と話さないと絶対に分からない、その内面と価値観こそが、彼女の真に美しく輝きを放つものなんだと。


「恋愛なんて、僕はするつもりはないんだけど、桜坂になら恋してもいいかなって思うよ」


 空いた窓から、強い風が吹き込み、カーテンを大きくなびかせた。

 彼女は表情を変えることもなく、僕を見つめる。


「それは告白と受け取っていいのかしら?」


「違うよ。ただ、赤い糸が見えなかったら、今の僕はきっとこう言うだろうなって思った」


「……駄目。私は人を愛しない。恋はしないんだから」


「知ってるよ。桜坂に赤い糸はないよ」


 彼女は少し安心したようにうっすらと口角を上げた。


「帰りましょ。たまには先生に言われる前に職員室に行って鍵返したいの」


 こうして、また残り少ない彼女との一日が終わる。僕はあと何日彼女とこうやって話をすることができるんだろう。

 

 最後の日に、僕は彼女と何を語るんだろう。

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