第12話定められた運命

 環境の変化のせいか、それとも残された高校生活が僅かという意識が時の流れを早く感じさせているのか、どちらにせよ、僕たち高校三年生にとって、一日は非常に貴重だ。


 だからこそ、彼女との一日もまた、決して軽んじてはいけない。


 セミの鳴き声が聞こえ始める頃、彼女は以前のように長く話すことができなくなった。とはいえ、普通に会話はできるし、日常的な会話であれば何の問題もない。

 それでも、やはり一時間と話していると彼女は苦しそうに喉をさするのだ。それを見るのが、どうしようもなく苦痛で、言葉には出来ないもどかしさと悲しさを感じてしまう。一番苦しくて、悲しいのは彼女のはずなのに。


 放課後の図書室。彼女はひとしきり咳き込んだ後、会話を再開した。

 

「それで篠原くんは大学、どうするの?」


「桜坂、今日はもう帰ろう?」


 彼女は一つ喉を鳴らした。


「あと、少しだけ。付き合って」


「じゃあ、帰りながら話そう」


 彼女は嬉しそうに微笑むと、カバンを持って立ち上がった。

 最近の彼女は出会ったばかりの時よりも、ほんの少しだけ幼く見える。僕が彼女のことを理解しだしたこともあるし、彼女が多少なりとも心を開いてくれているおかげだと思う。多分、今の彼女が素の彼女なのだろう。


 誰もいない図書室に別れを告げ、鍵を返しに職員室に向かった彼女より一足先に下駄箱に向かう。すると、下駄箱を出たところ――屋根付きでグランドを上から見下ろせるため、生徒からはバルコニーと呼ばれている場所に見慣れた姿があった。


「まだ帰ってなかったの?」


 野球部と陸部がグラウンドを整備している様子を頬杖をついて眺めていた愛衣は、ばっと振り向き、声をかけた主が僕だと分かると、あからさまに肩の力を抜いた。


「なんだ、実笠か。それ、私のセリフでもあると思うんだよね」


「まあ、それもそうか。誰待ってるの? 幸田?」


 彼女は露骨に顔を逸らし、小さく頷いた。


「へえ、頑張ってるじゃん」


 無意識に言った自分の言葉に胸が針で刺されたようにチクっと痛んだ。


「もう、そんなに時間もないじゃん? だから、ちょっと頑張ろうと思って。毎日はしつこいだろうから、金曜日だけ」


 女子が一緒に帰るように誘っている時点で、何となく察しがつきそうなもんだけど、幸田は人一倍そういった感情に疎いから、果たして愛衣の誠意が伝わっているかは謎だ。それが分かっているから、愛衣も以前より積極的にしているのだろう。


 最近では普通にメッセージのやりとりもしているらしいし、映画の一件以降、二人の仲は順調に進んでいると言えるだろう。


 だからこそ、胸が痛いんだ。まるで、彼女と繋がっている赤い糸に自分の胸が貫かれているようで、無意識に胸の前で掴めもしない運命という名の鎖を握りしめた。


「実笠は? 琴音と帰るの?」


「えっ、まあ……そうだけど」


 もう一つ変わった点と言えば、愛衣と桜坂が話すようになったことだろうか。元々、愛衣は誰に対しても社交的だし、きっかけさえあれば誰とも仲良くなるから、そんなに驚くことでもないけど。


「あんたたち、仲良いよね。もう、付き合っちゃいなよ。琴音のこと、好きでしょ?」


「……違うよ。僕と桜坂の関係は、恋愛的なものじゃないんだよ」


「ふーん。なんか、難しいね。でも、琴音といるときの実笠は楽しそうだよ。それは琴音も一緒のことだけどね。あっ、やば幸田くん来た!」


 部室から幸田が出て来たのを発見すると、彼女は頬杖をやめて、丸めていた背をすっと伸ばして、とたんにそわそわしだした。

 幸田が僕たち二人を見つけ、混じり気のない笑顔で手を振ってくる。それと同時に桜坂が校舎から出て来た。


「じゃ、僕は行くから、頑張りなよ」


 胸が痛い。本当は邪魔してやりたい。そんな思いを飲み込んで、桜坂の元に足早に向かう。


「あ、また明日ね! 琴音もー! ばいばーい!」


 桜坂は小さく手を振り返していた。



「良かったの? 佐野倉さん」


 急坂をゆっくりと下る最中、話を切り出したのは彼女だ。時間が開いたおかげか、先ほどみたいに苦しそうじゃなくて、少しだけ安堵する。


「幸田と帰るんだってさ。最近、仲良いんだよあの二人。幸田は愛衣の気持ちなんて気づいてなさそうだけどね」


 彼女の視線が僕に向いた。


「篠原くんはそれでいいの?」


「正直、僕にも分からない。これでいいのか、二人をけしかけたことが正解なのか、間違いなのか分からないんだよ」


 もう癖になってしまって、胸に突き刺さる鎖を握る。


「そこに赤い糸があるの?」


「そうだよ。今、後ろの学校に向かって伸びてる」


「ふーん……」


 彼女は握りしめる僕の手のすぐ近くで、同じように手を握ったり開いたりする。その位置に糸がないことは、まあ言わなくてもいいだろう。どうせ、僕以外には見えやしないのだから。


「やっぱり、見えないし触れもしないのね」


「僕も触れはしないよ。見えるだけ。だから、もどかしい」


「そうね。決められて、変えられない運命なんて、本当にもどかしいだけよね」


 彼女の言葉を聞いて、僕は失態に気が付いた。


「ごめん。軽率だった……」


 何が、なんて言わなくても彼女は分かるだろう。彼女は面白おかしく笑い出した。


「篠原くんって、察しが良かったり、妙に大人びた性格のせいで色々損してそうよね」


「変なものが見えるせいで、空気を読む癖がついちゃっただけだよ」


 僕と彼女が一緒にいるのは、好きだとか、気になっているみたいな青春っぽいものじゃない。もっと、重く、それこそ鎖のような運命を互いに認知し合う存在だからだ。


 そんないびつな関係でも、唯一弱みを見せることのできる彼女といる時間は、辛い日常の中の安息だ。


 人によっては、それは恋だと、恋愛だと言う人もいるかもしれない。


 それでも、僕は彼女に恋はしないし、彼女は僕と恋愛をしない。そういうなのだ。

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