第11話クレープ

「面白くないわ」


 僕の話を聞いてからの彼女の第一声が、これである。テーブルに頬杖をついて、わざとらしく外まで見る始末である。


「だから言ったでしょ。面白くないよって」


「そうじゃなくて、篠原くんの行動が面白くないのよ」


「ちょっと意味がわからないんだけど」


「だから、二人で行かせてはい終わりじゃつまらないでしょ? 普通はそこは尾行するの」


 ふいに彼女がこちらに向き直る。普段はしないような無邪気な笑顔に、ふかくにも少しだけ胸が跳ねた。


「僕のもやもやってそうじゃないんだけど」


「そんなにお門違いな話ってわけでもないじゃない。だって後を尾ければいつまでも悩む必要もなく結果がわかるじゃない」


「それは……そうだけど。バレたら愛衣に殺されると思うんだよなぁ」


 彼女は返事をするでもなく、両手を逆手に組んで大きく伸びをする。白いワンピースの胸元が盛り上がり、体のラインが浮かび上がる。無意識に見てしまったことに罪悪感を覚え、思わず目をそらす。


「……篠原くんも男ってことね」


「なんのこと?」


「こら、女子はそういう視線に意外と敏感なのよ」


「……申し訳ございませんでした」


「なんちゃってね。男の人はそういうものだって分かってるから、全然気にしてないけどね」


 甘いはずのコーヒーが少し苦く感じた。全ての男性に後ろめたさを感じるが、彼女の言う通り男性はそういう性別なのだ。


「よし、それじゃ行きましょうか」


 そそくさと本をカバンにしまい、立ち上がる彼女。


「どこに?」


「どこにって、決まっているじゃない。映画館よ」



 

 映画館は駅の真横に立つ大きなビルの中に入っている。僕たちのいたカフェからは歩いて数分だ。


 ビルの中は日曜日ということもあり、混み合っているため、誰かを後ろから尾けてもそう簡単にはバレないだろう。


「ここ、久しぶりに来たわ」


「僕も。一人じゃ、なかなか来ないよね」


「映画が終わるのは何時頃なの?」


「えーと、たしか愛衣が観たがっていたのであれば、あと四十分くらいかな」


 幸田のことだ。一緒に観るとなれば、きっと相手の観たいものを優先するだろう。


「じゃあ、それまでどこかで時間潰しましょう」


「四十分もあるんだから、もう少しさっきのところにいて良くなかった?」


「あら、篠原くんは私とのデートは嫌だって言うのかしら」


「まさか、光栄だね」


「そんな冗談は置いておいて、クレープが食べたかったの」


 三、四階にある映画館まで行かず、二階でエレベーターを降りる。フードコートや衣服店が増えたせいか、人がさらに多くなり、正直尾行という目的がなければ今すぐに外に出たい気分だ。


「先に本屋に寄っていいかしら。クレープ持ってなんて入れないし」


 そう言いながらすでに足先が本屋に向かっている彼女の後を追いかけるようについて行く。別に本は嫌いじゃないし、時間もまだあるので大丈夫だろう。


「この作者の本、面白いから今度貸してあげるわ」


 彼女が指差す先にあったのは五百ページ以上ありそうな厚い本で、軽くめまいがした。


「なんか頭痛くなりそう」


「ちゃんと読みやすい本も出してるから、そっち貸してあげるわ」


「そう? じゃあ、読んでみようかな」


「ちゃんと読んだかどうか、感想は聞くわよ」


 そんななんでもない話をしながら、店内をぐるりと回る。本の話をしている時の彼女はとても楽しそうで、抑えられない好奇心のままにたくさん喋る彼女はとても輝いて見えた。

 結局、彼女は一冊本を買い、ついて行った僕はなぜか彼女が面白そうとつぶやいていた二冊を手に取っていた。


 本屋を後にして、クレープ屋の列に並ぶ。田舎の街だと言うのに、駅前はやたらと人が多いから、必然とクレープを買う時ですら、待ち時間を要する。


「それにしても、桜坂と一緒にいるとやたらと視線感じるんだよね。なんか落ち着かない」


「そうかしら?」


 彼女はチラチラと左右を見渡し、最後に僕の顔を見上げて首をかしげる。


「普段から目立たないように意識しているつもりなんだけど。あっ、もしかして服装変だったりする?」


 やっぱり、目立たないように心がけていたのか。それでも知らず知らずのうちに目を惹かれていることに気づいていないのは、彼女らしいといえばらしいけれど。


「そんなことないよ。よく似合ってる。が、ゆえにってこと」


「それゆえってこと?」


「そういうこと。光が影になろうと努力しても明るすぎて無理でしょ? もっと大きな光があるなら別だけどね」


 彼女がじっと何かを疑うような目で僕を見る。そうなると、今度は僕が首をかしげる番だ。


「篠原くんって、たまに奥歯が痛くなるようなセリフを吐くわよね」


「思ったことそのまま口に出しているだけだよ。嘘つくの苦手だし」


 並ぶこと数分、ようやく店員の顔を見ることができた。彼女は注文を聞かれると、真っ先にチョコバナナを選ぶ。同じものにしようと思っていたのだけれど、二人して同じものを注文するのもおかしい気がして、僕はとっさに目についたきなこみかん味にした。


「きな粉にみかんって美味しいの?」


「うーん、どうだろう。いや、正直あんま美味しくない」


 きな粉のパサパサ感とみかんのみずみずしさがなんともミスマッチで、口の中がごちゃつく感じだ。


「どんな味なの?」


「言葉じゃ伝えられないような、形容しがたい味だね」


「ふーん……」


 彼女は訝しげに僕のクレープをじっと見つめている。


「一口食べる?」


 彼女はうーんと唸る。


「じゃあ、一口いただ――」

「あれ? 実笠?」


 突然、名前を呼ばれ、僕と彼女は同時に身体を固めた。思わず、彼女と顔を見合わせてしまう。


 恐る恐る振り向くと、そこには手をひらひらと振っている幸田と、その横――といっても人が二人くらい入れそうなほど空けて口角をひくつかせている愛衣の姿があった。


「や、やあ、偶然だね」


 やたらと早歩きで幸田を置き去りにして近づいてくる愛衣。


「偶然じゃないでしょ! 実笠ぁ!」


 幸田に聞こえないほどの小さな声で、怒りをあらわにする愛衣だが、幸田がいるせいか、どこか嬉しそうで、半分は照れ隠しのための態度なんだろうなと、希望的な観測を持っておくことにしよう。


「映画は面白かった?」


「そういう話じゃなくてね」


「おー! 映画な、面白かったぜ。普段、映画なんて見ないんだけど、俺真剣に見すぎてエンドロールまでじっと見てたわ。な、佐野倉」


「あ、えっと……そうだね、面白かった、です」


 急にしおらしくなる愛衣。きっと、今日はずっとこんな感じなんだろう。


「それにしても、用事ってぼかすから何かと思えば、桜坂とデートかよ。水臭いぞ、実笠」


「いや、えっと」


「篠原くんとはたまたま出会ったの。それで、私が勝手に引っ張り回してるだけよ」


 突然、割り込んで来た桜坂に幸田は一瞬、キョトンとした表情を浮かべたが、すぐにニッと笑う。


「おー、そうだったのか。でも、意外だな。桜坂、大人しそうな印象だったから、外でクレープ食べるとかじゃなくて、家で本とか読んでそうなイメージだったわ」


 当たらずも、遠からずだ。


「甘いもの好きなの。でも、一人じゃ並びづらいから篠原くんに一緒に並んでもらったの」


「なるほど、確かにあれは一人だと浮くな。いや、でもなんか無性に食いたくなって来たな。佐野倉、クレープいる?」


「あ、えっと、私は大丈夫」


「そっか、じゃ、ちょっと並んでくるわ」


 そう言い残し、幸田はカップルと女性しか並んでいない中に一人で並びに行ってしまった。食い意地が張っているのか、度胸があるのか、どっちなのだろうか。どっちも正解な気がするけど。


 幸田の姿が小さくなると、愛衣が一気に息を吐き出した。


「はぁ〜、疲れた」


「でも、楽しいだろ?」


 愛衣は赤らめた頬で睨みつけてくるが、やっぱり必死ににやけを抑えようとしているのが分かってしまう。


「まあ、それは当たり前だけど」


「この後は?」


「……一緒にカラオケ行く」


「そりゃ、すごい。頑張れ」


 愛衣は特に返事をすることもなく、僕のクレープをふんだくって一口食べた。


「うえ、なにこれ。あんま美味しくない」


「やっぱり、そう思う?」


 処理してくれるなら助かったが、早々に突き返されてしまう。


「それより、デートの邪魔してごめんね。桜坂さん」


「さっきも言ったのだけれど、篠原くんは友達よ」


 こちらこそ邪魔してごめんなさいという罪悪感で苦笑いする僕とは違い、桜坂はマイペースにクレープを食べながら返答した。


「じゃあ、今から私たちも友達ね。また、今度話そうね! やっぱり、私も一緒に並んでくる」


 愛衣は自分の頬を叩き、顔をしっかりつくって幸田の元へ向かって行った。その姿を見送り、今度は僕たち二人が大きく息をついた。


「迂闊だった。全然時間気にしてなかった……」


「私もよ」


 まあ、それでもなんとかなっているということが分かったので良しとしよう。


「……帰るか」


「そうね。家で探偵のなりかたでも勉強することにするわ」


 持って帰るわけにもいかず、クレープを処理しようと口を開けて、思い出した。


「あ、一口食べる?」


 彼女はクレープに目を落とし、次に僕の顔を見て、もう一度視線を落とす。


「いえ、いいわ。やっぱり、あんま美味しそうじゃないもの」


 頼んでおいてなんだが、このクレープには少し同情してしまう。


 残ったクレープを口の中に放り込む。


 やっぱり、あんまり美味しくはなかった。

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