第10話休日
けたたましいアラームに意識が覚醒する。手探りで探し出したスマホに目を向けると、時刻は九時を表示しており、一瞬寝坊かと背中の毛が逆立つが、次の瞬間には日曜日だと思い出し、ため息を吐く。
普段であるなら、日曜日はもっと寝ていたいのだ。ただ、今日はどうしてもこの時間に起きて、やらねばならないことがある。
寝ぼけ目を擦りながら、幸田と愛衣にそれぞれ同じ文面で『用事ができた。友達を代わりに行かせるからそいつと行ってくれ』とメッセージを送る。
愛衣から速攻で返信が帰ってくるが、それに目を通すことなく、スマホを放り投げてもう一度布団をかぶる。しかし、目が冴えてしまい、どうにも二度寝などできそうにない。
「何やってんだ僕……」
この心に霧がかるモヤモヤしたものは、一体何が原因なんだろうか。約束を破ったから? 赤い糸で繋がってない人同士をくっつけようとしたから?
なんだか布団に潜り込んでいる気にもなれず、カーテンを開けて部屋を出る。
相変わらず、不気味なほど静かな家だ。張りつめたような空気が常に漂っている感じで、いつも住んでいる場所にも関わらず息がつまる。
リビングに降りると、無言で家事をしている母親と無言で新聞を読む父親が、無意識にか互いに背を向けている。
「実笠、早いじゃないおはよう」
「ちょっと、起きちゃってね」
いつも通り、母親とは朝は一言で終わる。僕も母親も最低限だけ会話を重ねて、終了だ。
テーブルに出された朝食に手をつける間、誰一人として言葉を発さない。もちろん、僕も。
珍しく晴れた陽気にも関わらず、冷たい空気が流れる。
心に溜まった靄と家に流れる嫌な空気がまとわりつく感じがして、僕はシャワーを頭からかぶった。すると、いくらかマシになったので、自室で本でも読んで過ごそうと考えていた矢先、リビングから父親の怒鳴り声が聞こえて来た。
「……はぁ」
ため息を吐くと幸せが逃げると言うが、僕に言わせてみれば、幸せじゃないからため息が出るのだ。逃げるも何も、元から幸せならため息なんてつかないんだから。
両親の口喧嘩はいつも通り激化し、僕の居場所はなくなった。
家にいるのが億劫になり、外へ出て来たはいいが、一人で行きたい場所など特になく、気がつけば駅前の時計台に足を運んでいた。見上げると時刻は十時半を指しており、二人の姿は見えなかった。
安心したような、できればどちらかが待っていて欲しかったような、どっちつかずの気分だ。
僕は何がしたいんだろうか。背中を押したと思えば、僕が思い描くシナリオにならないでほしいと思っている自分がいる。
「ま、考えても仕方ないか……」
もう二人で映画を見に行っただろうし、あとはなるようになるだろう。
立ち上がり、時間を潰す場所を考える。
なんとなく、今は話がしたい気分だ。
日曜だと言うのに閑散とした通りに存在する喫茶店のドアを緊張しながら開ける。カランコロンという木板を叩くような音と共に、香ばしくも苦い香りが鼻腔奥深くを刺激する。
「いらっしゃい。おや、君は確か……」
背を曲げて椅子に座っていた老人が腰をあげ、店の奥に目を向けた。つられて視線を向けると、店の奥角の席に彼女がいた。長い睫毛を下方向へ向け、手元の本の世界へと入り込んでいるようだ。乱れひとつない長い黒髪に人形のような整った顔立ちは、アンティーク調の店内にぴったり染まっていて、まるでこの空間が彼女のためにあるようにさえ思えてくる。
「琴音ちゃん。お友達が来たよ」
マスターの声に彼女が顔をあげる。彼女は少し驚いたような顔をしたが、口元に小さな笑みを浮かべ、本を閉じた。それが、同席を許す合図だと判断し、僕は彼女の向かい席に座った。
「こんにちわ」
「こんにちわ、桜坂さん。邪魔しちゃったかな」
「そんなことないわ。暇な休日の時間を潰すために来てるだけだもの」
「僕も同じかな。考え事してたら、ここにたどり着いた」
彼女が僕の顔色を伺うようにまじまじと見つめてくる。そこまでまじまじと見つめられると、そういうことに疎い僕でも流石に照れてしまう。
「何かあったの?」
「いや、わざわざ休日に話すようなことでもないよ。あんま面白くないし」
「そんなことないわ。篠原くんと話すのは楽しいもの。ぜひ、聞かせてもらいたいのだけれど」
彼女の微笑みが、やけに眩しく感じ、思わず視線をそらした。
「じゃあ、少しだけ聞いてもらおうかな」
最近、何かあると彼女に話したくなる、自分の弱さに目を背けて、心の中にあるモヤモヤした感情について語った。
こうして、僕がこの喫茶店に来た目的が果たされたのである。
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