第4話コーヒーに角砂糖
「どうして嘘だと思うの?」
彼女は僕の胸の中心を指差し、ゆっくりとその指を上にあげて行く。胸から肩へ、口へ、そして目まであげると、ピタッと止めた。
「さっき、私が篠原くんと私の糸が繋がっているからと仮説を言った時、篠原くんは一瞬だけ窓の外を見た。つまり、篠原くんの糸は私に向かってじゃなくて、ここにいない誰かさんと繋がっているんじゃないかと思ったから」
「うわぁ、凄すぎて何も言い返せない」
「ということは、正解は三番目ね」
「そういうことになるね……」
少しばかりの申し訳なさを感じる僕とは裏腹に、彼女は表情一つ変えずに「そう」とだけ呟いた。
「辛くないの? いや、辛いと言うか不安じゃないの? 運命の糸に問題があるってことは、将来そういうことで他人と違うってことになるんだけど」
「そういうことって?」
「それは……恋愛とか、結婚とか」
「それなら、別に怖くない。私、恋愛とかしないと思うし。たぶん、結婚もしない。というか、無理」
彼女は視線を下げ、小さく咳払いをする。
「それは、男性恐怖症とかそういうやつ?」
「だとしたら、篠原くんと話してないよ」
何となく、これ以上は踏み込んではいけないと感じた。少なくとも、会話をするのが二回目の相手に、誰しも自分の恋愛観など語りたくはないだろう。
「まぁ、もう言ってしまうけど、君からは赤い糸が見えないんだ。他の人はほぼ全員糸があるのに、君は糸を持っていない。糸を持たない人は年に一人見かけるか、どうかなんだ。だから気になって無意識に声をかけてしまった。本当にただの好奇心で、申し訳ないとは思ってる」
彼女は不思議そうに少しだけ首を傾げた。
「でも、それだと運命の相手がこの世にいない人の糸はどうなるのかしら。例えば、もう亡くなっているとか、まだ生まれていないとか」
僕は先ほどの彼女を真似て、指を使ってその答えを示した。
「なるほど、天に向かって伸びてるのね。なんだか、ロマンチックね。人は皆、天から授けられて、天に戻って行くってことになるものね。もちろん、この話が篠原くんの妄想でないのだとしたらのお話だけどね」
「どうして、妄想じゃないって思えるの? きっと、僕が君の立場なら頭のおかしいやつだなって思うはずだけど」
彼女は少し考えるように視線を彷徨わせる。
「うまく言えないけど、信じた方が退屈じゃなさそうでしょ? ネッシーとか宇宙人とかも、いないって頭ごなしに否定するよりも、本当にいるかもしれないと思った方が絶対に楽しいよ」
「納得できるような、できないような……」
少し意外だった。図書室での彼女は、静かで、妙に態度も大人びているように見えるから、先ほどのロマンチック発言もそうだが、実は思ったよりも好奇心旺盛なのかもしれない。
「それに、篠原くんみたいに特別な能力みたいなものを持った人の話、他にも聞いたことあるよ。一生に一度だけ、五秒間どんな願いも叶えることができるって能力。面白そうでしょ?」
「うーん、どうだろう。五秒間だけって、何ができるのかな。しかも、一度きりなんて」
「言われてみれば、確かに五秒間だけっていうのがポイントよね。そんな能力を持った人はきっとずっと使いどきを悩んでしまいそうね」
沈黙が流れる。きっと彼女も僕と同じく、五秒間の使用道を考えているのだろう。
漂う静寂を破るように、白いシャツに黒ベストのカチッとした服装のマスターが、曲がった腰でティーカップを二つ盆に乗せて来る。
「はい、お待たせ。ゆっくりしていってね」
年配の方特有の暖かい表情を浮かべて去って行くマスターを目線で追う。
視線を卓に戻すと、高級そうに見えるアンティークのティーカップに注がれた白い湯気が立ち上る珈琲が二つ。どう見ても、高校生という立場には似つかない代物だ。
彼女は角砂糖を三つティーカップの中に溶かす。
僕が見ていることに気が付いたのか、彼女は自ら告白する。
「私、甘党なの」
そして、僕の返事を待つこともなく、続けた。
「私に赤い糸が無いのはきっと、人を愛することも、愛されることも、完全に諦めているからだと思う」
「それって……」
「よく、私もう独身でいいとか、人なんて絶対に好きにならないって言ってる人いるけど、そういう人たちにも赤い糸は見えるのよね?」
一つ、小さく頷いた。
「そういう人たちって、口では愛する人をつくりませんとか言ってるけど、結局心のどこかでは少なからず、人を愛することへの関心とか、愛される期待を持っているから赤い糸があるんじゃないかしら。でも、私は違う。私は人を心から愛することは無いだろうし、愛されてはいけない人間だと思ってるから」
彼女の無表情がやけに刺々しく見えた。嫌悪感を発しているというよりは、まるで自分を守る為にバリアを張っているように見える。
「人を愛せれば、愛されれば、砂糖なんてなくても珈琲は苦く感じなくなるのかしら」
胸元の赤い糸がふわりと揺れる。
「それは、どうだろう」
僕は角砂糖を四つ手に取り、ティーカップに落とし込んだ。
「僕も甘党だからね」
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