第3話喫茶店
「はい、ホームルーム終わりだ。お前らー寄り道しないで帰れよー。部活のやつはほどほどに頑張れ」
気怠そうな担任がそそくさと教室を出ると、それまで静かだった教室が途端に騒がしくなる。特に喋る予定がある友達は、
大人しく帰ることにした。流石に昨日の今日で、図書室に行く気にはなれない。
冷静になって考えると、どう考えても昨日の僕は変人だ。突然、口説きまがいのセリフを吐き、そしてあろうことか、重ねたのだから、きっと、名も知らない彼女の僕への印象は最底辺に振り分けられただろう。
かと言って、一人で寄り道をするような気の利いた場所がこの小さな街にあるかと言われれば、思わず唸ってしまう。
「おーい、実笠! お前にお客さんだぞー!」
不意に幸田に呼び止められ、振り向く。爽やかフェイスに似合わないニヤついた表情で手を振っている幸田の横には、昨日最悪なファーストコンタクトを取った彼女がポツンと立っていた。
「じゃ、俺は部活行くからなー」
僕の肩をわざとらしく小突き、幸田はそそくさと去っていく。恥ずかしさと気まずさで、できることなら見なかったことにしてそのまま帰りたかったが、流石にそうはいかない。
図書室以外で見る彼女は、まるで僕と同じように空気を演じているように感じた。極力、人から距離をとるようにしているというか、自分は元からそこにある石ころですよ、とでも言わんばかりの仕草。
それでも、やはり整った顔立ちとすらっとしたスタイルに何人かの男子生徒の目線が向いている。
半空気な彼女が完全空気である僕に一体何の用なのだろう。まさか、昨日の出来事が本当に口説く行為と勘違いでもされてしまったのだろうか。
「えっと、僕に用でも……?」
彼女は小さく頷く。
「昨日の話、詳しく聞きたくて」
めまいがした。僕の予想通り、昨日の出来事の続きだった。
「いや、あれは本当に口説くとかじゃなくて、なんていうのかな、できれば気にしないでいただけると助かるんだけど」
彼女は僕の必死の抵抗などまるで聞いていないようで、周囲を見回し、踵を返した。
「場所、変えましょう。ここじゃ、人が多くて落ち着いて話せないもの」
てっきり、校内で人気の少ない場所に移動するだけだと思ったが、彼女は校門を出て、街の中心部に向かっているようだ。その少し後ろを僕は黙って付いて行く。
一度も振り向かないし、言葉も発さないので、僕と話したことなど忘れてしまって、ただ単純に帰路についているだけなんじゃないかと不安になる。
この街でもっとも人が多く滞留する駅を通り過ぎると、人とすれ違う回数が極端に減る。行き交う人の数に比例しない妙におしゃれでだだっ広い通りに存在する、一軒の古びたカフェの扉を彼女は開けた。
カランコロンという木板の心地よい音と共に、豆を挽く香ばしい香りが鼻孔を刺激する。
「おや、琴音ちゃん。いらっしゃい」
マスターと思しき白髪のおじいさんに彼女は一礼すると、促されるわけでもなく、自ら一番奥の席に腰を据えた。
向かいに座ると、彼女と取り巻く空間に少しだけ息がつまる。僕らとマスターしかいない、アンティーク調の雰囲気で揃えられた狭い店内に、びっくりするくらい彼女は溶け込んでいた。まるで違う世界のように感じるこの場所は、彼女がいることで完璧な空間になっているのではないかとさえ思う。
「琴音ちゃんがお友達を連れてくるなんて珍しいねぇ。琴音ちゃんはいつものでいいね? お友達は何にする?」
彼女に一瞥を送る。しかし、彼女はマスターに小さく頷くのみで、一言も発さない。
「じゃあ、同じもので」
マスターは柔和な笑顔で注文を受けると、カウンターの奥へと戻って行く。
「篠原くんって、本当に赤い糸というものが眼に見えるの?」
何の前触れもなく、彼女は唐突に切り出した。彼女的にはここまで来て、ようやく話せる状況になったということだろうか。それとも、人前であまりこの話をしたくないという僕の意を汲んでくれたのだろうか。
どちらにせよ、僕が本当に口説いたわけではないと、彼女は判断してくれたということだ。
彼女の好奇心と疑心の眼差しから目を背け、テーブルの木目に視線を這わせながら答える。
「見えるよ。大抵の人は胸元から一本の赤い糸が伸びているんだ」
「そして、その糸がどこかの誰かさんと繋がっているというわけね」
「そういうこと。信じてもらえそうなことは語れないけどね」
胸元に目線を送る。僕からは一本の糸が、窓ガラスをすり抜けて外へと伸びている。
「それで、どうしてその話を突然私にしたの?」
その言葉に僕は無言を貫いた。正確にはどう返したものか分からずに沈黙を招いてしまった。
「まぁ、考えられるとすれば三つね。一つ目は、実は赤い糸が見えるなんてのは全くの嘘で本当に口説くため、二つ目は、篠原くんの糸と私の糸が繋がっているから、三つ目は、私がその赤い糸関係で他人と違う何かを持ち合わせているか、もしくは糸がないか」
それまで表情という表情はつくらないでいた彼女が、いたずらに微笑む。
「そうだね。正解は二番。僕の糸は君と繋がっている」
彼女の的確すぎる推理に、僕は迷わず返した。結果的に見れば、やっぱりただの告白みたいな感じになってしまったが、これが彼女を傷つけずに済む回答だと思った。
「嘘ね」
そして彼女もまた、迷わずに僕の意見を否定したのだった。
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