第1話赤い糸

 痛いくらい眩しい朝の日差しを、川の水に反射して、僕の顔を照らす。時折、頬を撫でる風は、まだ少し冷たい。

 すっかり緑葉に染まった桜並木を背中を丸めて歩く。月曜日は憂鬱だ。周りを歩く生徒たちも、どこか暗い顔をしているような気がする。僕の思い込みかもしれないけど。


 春は出会いの季節というけれど、高校三年生の僕たちには新しい人とのふれあいなどなく、都会から離れた小さな街で、今までと同じ人間関係を続ける。別に悪いことじゃない。むしろ、僕は積極的に新しい関係を持つのが苦手だ。


 ふと、一組の男女とすれ違った。学校は間違いなく僕が歩く方向にあるので、彼らは制服に身を包んでいるにも関わらず、学校とは正反対の方へと進んでいることになる。

 大方、二人でサボって青春を謳歌するのだろう。悪いことなんだろうけど、それで灰色の日々に色が塗られるのであれば、僕もどこかの誰かと学校をサボってみたいものだ。


 でも、僕にはそんなことをする予定は一切ない。運命は決まっている。見えてしまう運命ほどつまらないものはない。

 ある意味、僕は部分的に未来が見えていると言っても過言ではない。


 振り返る。仲睦まじく手を繋いで歩いている二人の赤い糸は、まるで磁石のS極とN極のように真反対に向かって伸びている。

 

 ほら、つまらない。


 赤い糸が見えて、よかったことなんて一つもない。人生における一個の楽しみを生まれつきに奪われているのだ。


 恋愛なんて、僕には無関係。これまでも、これから先も――。


 肩を強く叩かれ、落としていた視線をあげる。僕の胸から伸びる赤い糸がやけに短く、緩やかなの軌跡を描いて、彼女と繋がっている。


「おはよう! 実笠みかさ!」


 うるさいくらい大きな声で挨拶をした彼女は佐野倉愛衣さくらのあい。幼少の頃から家が近く、腐れ縁。いわゆる幼馴染というやつだ。


  幼馴染が運命の相手なんて、ドラマとか漫画でありがちな人生。せめて、まだ出会っていない人と赤い糸が繋がっていると、多少はワクワクしながら生活できたのだろうが、あろうことか、僕は運命の相手をわずか7歳にして察してしまった。


「月曜日の朝からテンション低いねー。いつものことなんだろうけど。ってか、私も月曜日は嫌いだけどね。やっぱり、なんかこうぶち上がらないというか、気分が乗らないってやつ?」


「それだけ喋れててぶち上がってないのが異常なだけだから、大丈夫だよ」


「マジ? 実笠は大人しいから、私なりにこれでもセーブしてあげてるつもりなんだけどね」


 愛衣はブレザーの下に着込んだ桃色パーカーのフードを取る。肩ほど丈のある金色混じりの茶髪が、空気に乗ってふわっと揺れた。スカートは規定より随分と短く、化粧もしている。

 校則違反のオンパレードな彼女と将来結ばれる気が僕は全くしないし、きっと周りの人たちもこの二人がくっつくとは微塵も思わないだろう。


 他愛もない会話を広げ――実際は愛衣がほぼ一人で喋って、僕が適当に相槌を打ちながら学校へと向かう。


 学校に着くと、始業まで5分を切っており、狭い下駄箱には朝練終わりの生徒も入り混じり、多くの生徒で混み合っていた。


 下を向きながら歩いていると、いつまでもべらべらと口が止まらなかった愛衣が急に押し黙った。それを合図に、僕は前に視線を向ける。


「おっす、実笠。おはよう」


 愛衣が静かになる理由なんて、この男くらいだ。


「おはようさん、幸田こうた。今日も相変わらずカッコいいな」


「何バカなこと言ってんだよ。佐野倉もおはよう」


「お、おはよう。雲宮くもみやくん……」


 先ほどまでギャル全開だった愛衣が、まるで預かった猫のように大人しくなる。毎朝のことではあるのだが、何度見ても奇妙だ。


 髪先を指で弄ぶ愛衣を横目で流し、下駄箱に靴を入れる。


「今日も朝練?」


「そーそー、今週末に大会があるからさ。コーチが絶対に来いってうるさいんだよ」


「言われなくても幸田は行くだろ」


 幸田の肩に背負われた大きなテニスバッグをボスッと殴る。


「もちろんねー。何なら、実笠にもらったラケットで試合に出てやろうか?」


「いらん、いらん。見に行かないんだから、使われたって分からないよ」


 僕と幸田は並んで教室までの廊下を歩く。

 愛衣はしばらく後ろを黙って付いてきていたが、友達を見つけたようで、僕たちを追い抜いて小走りでさっさと先に行ってしまった。その時ちらっと向けられた愛衣の視線に、幸田は全く気づく様子が無い。気づかれても、愛衣的には困るのだろうけど……。


「実笠もテニス続けてればよかったのに」


「中学は部活強制だったから入ってただけだよ」


「どうせ、また放課後は図書室行くんだろ? 最近、毎日行ってるよね。何しに行ってんの?」


「勉強に決まってんだろ。それか本読む以外にすることないでしょ」


 半分、嘘だ。


「ふーん。ま、暇なら大会見にこいよ。大きな会場だから、レクリエーションで選手じゃなくても試合できるコートあるからさ」


「……まあ、考えとく」


 教室に入り、人気者の幸田はさっさと人だかりに埋もれてしまった。僕は窓際の自分の席に座り、ぼーっと教師が来るのを待つ。別に、友達がいないとか、クラスで浮いているとかそういう訳ではない。黙っていれば、空気になれる程度だ。本当に、友達がいないわけじゃない。決して。

 

 一人で空気を演じていると、その空気を読めない愛衣が、ギャル集団のグループを抜け出して駆け寄ってきた。


 ギャル集団の視線が僕に向き、すごく居心地が悪い。


「ねえ、幸田くん次の試合いつだって?」


「今週末だとさ。聞かなくても自分から話してきたよ。ってか、それくらい自分で聞けよな」


「できないから、いつも実笠に頼んでんじゃん。ありがとね!」


 聞きたかったことはそれだけだったようで、愛衣はさっさと集団に戻って行った。

 

 僕はとても残酷なことをしているのかもしれない。結ばれるはずのない人と人の恋愛を手伝っているのだから。

 友達の中で、唯一気兼ねなく話せる二人には、もちろん幸せになってもらいたい。だからこそ、愛衣の頼みを無下に断れないわけでもあるのだけれど……。


 でも、僕のやっている行為は結果的に彼女を傷つけるかもしれない。場合によっては幸田すらも悲しい気持ちにさせてしまう行為だ。


 今すぐにでも、僕の赤い糸をちょん切って幸田の赤い糸にくっつけてあげたい。もちろん、赤い糸が見えるというだけで、それを自在に操ったり、干渉できる神様じゃないわけだから、本当に迷惑な能力だ。


 ハサミを取り出し、ゆるゆると愛衣に向かって伸びる赤い糸を切ってみる。もちろん、刃は空気を切るのみで、糸は繋がったままだ。

 切れるわけがないと分かっていても、何度かちょきちょきとハサミを動かしてみる。


「おーい、篠原。何物騒なもんだしてるんだ。早くしまえー」


 聞き慣れた声で意識を引き戻される。気がつくと、担任の教師が僕の名を呼び、クラスメイトの視線が集まっていた。くすくすという笑い声が聞こえて来る。


 冷や汗がドバッと出た。


 教師が来ていたのなら、さっさと教えてくれればいいのに。全く、薄情な友達たちだ。

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