放課後、図書室で叫ぶ

微炭酸

プロローグ

 運命の赤い糸を信じている人は、果たしてこの世界にどれだけいるのだろうか。将来を共にする人は生まれながらにして決まっており、恋愛においては運命の人とのつながりを、しばしばと表現される。

 

 そんな話、馬鹿馬鹿しいと大抵の人は受け流すような夢見な迷信を、僕も信じていない。いや、信じたくないという方が適切だろうか。

 ただ、赤い糸で繋がった者同士が、実際に家庭を築いて幸せそうに生活する様子をこれまで何度もたまたま見て来た。そう、ただ偶然、僕にだけ見えるが繋がった者同士が結ばれる。それだけの話だ。


 僕には、人と人の間に揺れる赤い糸が見える。信じたくはないのだが、いわゆる運命の赤い糸というやつだ。

 赤い糸は、大抵の人からは胸の中心からほつれた毛糸のように飛び出していて、どこかの誰かと一本の線として繋がっている。そして、将来的には赤い糸同士で繋がった人たちは、結婚や子供の有無等は差があれど、幸せな関係を持つ。


 放課後の校内を歩いて見渡しても、やはり皆、赤い糸を垂らしている。それが、どこへ繋がっているのか分からない人だったり、はたまた目の前で話している人と繋がっている人もいる。


 だからこそ、僕は運命なんて言葉を信じたくないのだ。


 喧騒に塗れた廊下を抜け、突き当たりの教室に入ると、それまでの賑やかな空気は一変し、思わず緊張してしまうほどの静寂の場が広がる。圧迫感すら感じるぎっしりと並んだ本と、目的は違えど、黙々と視線を落として作業をする人たち。時折、本のページが擦れる音や、カリカリとペンを走らせる音がより一層、空気を重くしている。

 でも、重たい空気は別に嫌な雰囲気ではなく、確かに透き通っていて、静まり返っているはずなのにそこには心地よい重厚なメロディーが存在しているのだ。


 学校という静寂が訪れない場所で、唯一音から隔離された空間。それが図書室だ。


 静寂という音符の群れをすり抜け、誰も座っていない丸机にカバンを下ろす。いつもの席だ。この席は、彼女がよく見える。

 一般生徒が座るテリトリーからは少し離れた、カウンターの向こうの席で彼女は静かに本を読んでいる。


 僕は教科書を広げて勉強しているふりをして、彼女をそっと見つめた。すらっと背中まである黒髪を強調するような控えめな顔立ち――とはいっても、彼女の澄んだ瞳にはどこか吸い込まれるような不思議な力強さが宿っている。ブレザーの袖から見える白い指が本のページをめくるたびに、視線が左右に揺れる。その様子に僕は見入っていた。


 我ながら、気持ち悪い。


 ふいに彼女が顔を上げて、図書室を見渡した。目が合いそうになり、慌てて視線を下げる。


 そして、また彼女の方を見る。


 何度見つめても、その様は変わらないし、何か減るわけでも、増えるわけでもない。そんなことくらい、分かっている。人は一日では変わらないし、ふとした瞬間に運命だって変わることはない。


 自分の胸に目を落とす。胸の中心からは毛糸のような赤い糸がゆるっと垂れ、どこかへと導かれるようになびいている。手を当てて、触れてみようとすると、手は糸を通り抜けて空を掴む。


 気がつくと、彼女の視線が僕に向けられていることに気が付いた。細い唇をキュッと結び、ガラス玉のような澄んだ瞳を向けて僕をじっと見つめている。

 

 胸がズキッと鈍い悲鳴をあげる。

 僕の赤い糸は、彼女には繋がっていない。別に繋がっていて欲しいなんて思ってもいないけど、もし、僕と彼女が赤い糸で結ばれていたとしたら、この状況はきっと運命だって言えるはずだ。でも、事実、僕と彼女の間には何の隔たりも糸も存在しない。


 彼女を見つめていた理由は、好きだからとか、恋したから、なんて僕には無縁の感情からではない。ただ、気になっただけ。僕の生活する上で、ごくたまに抱く疑問に彼女が分類されるから、本当にただそれだけだ。


 図書室は赤い糸が何本も漂っている。僕からも、周りにいる生徒からも。

 でも、やっぱり何度見ても、彼女から赤い糸は見えなかった。

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