第37夜 存在する者達の願い

 ーーGWも終わり、蒼月寺に新しい居候が棲み新緑の季節もだいぶ深まった頃だった。


 ーー玖硫 葉霧の通う学校は街中にある。


 少し高台になっており街を見下ろせる場所にある。


【私立各務学園高校】である。


 一貫性の私立校で……中にはセレブな生徒もいるが、極普通の学校だ。


 この日も、極普通に学校生活をしていた葉霧だった。



【二年七組】


 葉霧の席は窓側の一番後ろ。


 陽の当たる場所ではあるが、少しだけ開いている窓から、風が入ってくるこの心地良さは、気に入っている。


 ただ夏までには席替えして欲しいと思ってもいる。


 ふと窓の外に視線を向けた。


 カァ………

 カァ……


 カラスが降り立ったのだ。


 窓の外には通路がある。


 その通路の銀の手摺の上に一羽の少し大きい鴉が止まった。


(………何か……見られてるな……。)


 葉霧は鴉の大きな眼が気になった。漆黒の羽を閉じた鴉は、葉霧の方をギロッと見ている


(……鴉……?)


 葉霧はふとーー思う。


(……いたな、……。)


 少し前の事だ。葉霧が凍死させられそうになった事件があった。


 街に棲むあやかし達を統治している“妖狐”。その者の側に居たのが“鴉のあやかし榊”であった。


 葉霧はそれを思い出したのだ。


 あれ以来ーー会うことは無かったが、楓からも話を聞いていない。


(授業中だ。)


 まるでそう鴉に言う様に紫の眼を見据えた。


 葉霧は鴉から目を反らす。机の上のノートに視線を落とした。“退魔師”以前に高校生だ。


 鴉ーーは、暫くじっと葉霧を見ていた。

 紫色に煌めく眼をギラつかせながら。


 だが……羽を広げ飛び立った。


 バサッ……バサッ……


 羽音を大きくたてて空に飛んでいく。


 カァ……カァ……


 鳴き声が響いていた。


(何のだ。)


 葉霧は少しーー嫌な予感がしていた。



 ✢



【螢火商店街】


 楓ーーが、入ったのはこの商店街の中にある小料理屋。


【小料理屋 忍】


 ここは狐のあやかし忍が、経営しているお店だ。人間の姿に化けて生活してーー長いらしく、こうして人を相手に商売して暮らしている。


 この街に棲むあやかし達の中でもとても古い


 昼間から営業している小料理屋はーーランチの時間になると、近所の会社員たちも訪れる。定食メニューがあるからだ。


 この日もーー店内は既に満席だった。


「いらっしゃい」


 忍ーーは、三十代の女性の姿で暮らしている。本日も……見目麗しい和服美人。


 黒っぽい染めに金の薄柄。狐ーーだからなのか、薄の柄がとても多い。


 楓の姿を見ると穏やかで落ち着いた瞳も少し……鋭くなった。


わよ。」


 と、忍は一言だけ。告げるとカウンター席のお客に視線を向けて、話を始めた。


 楓は店を出て行く。


 忍はーー店を出て行く楓の気配に思う。


(さて………どうするかしらね、あのは。)



 この店には二階がある。


 店を出て直ぐ、階段があるのだ。

 そこの階段を登る。


 ちょっと古めの木板は上がると

ギシッ……と音を立てる。そこまで段数の無い階段をあがると座敷席がある。


 ここはーーちょっと“秘密の場所”である。

 人間は利用しない。


 戸を開けた。

 下駄箱の用意された簡単な入口。

 そこでスニーカーを脱ぐ。


 下駄箱には二足。靴が入っていた。スニーカーと、下駄。高さが合わず、置けないのかブーツが寄れて曲がり、下駄箱の前に置いてあった。


 襖を開ける。


「おそ~い。」


 楓の姿にぶすっとしたのは、亜里砂と言う名の“猿のあやかし”だ。


(……猿には見えねぇ……。)


 楓は思う。


 セミロングの黒髪ーーはブルゾンジャケットの肩に掛かる。長い睫毛にはやたらとマスカラが塗られていた。


 口元の真っ赤な口紅。

 色が白いから黒と赤がとても目立つ。


(今日……顔ひどくね?)


 楓はそう思いつつ座敷の席に座った。


 セクシー美女なのだが……本日のメイクは少し……塗りすぎ、厚すぎで不気味。


 その隣にはーー黒縁の眼鏡を掛けたまんまるとした顔立ちの男性。


 此方は……“狸のあやかし次郎吉”だ。

 ツンツン頭の短髪も何だか今日は元気がない。


 それにいつもはスターが散りばめられたプリント柄を好むのだが、本日は無地の真っ黒なポロシャツ。


 つぶらな大きな瞳も何処か元気がない。


 そしてーーその隣には老人がいた。


「……次郎吉、誰だ?」


 楓が聞くと


 フォッフォッフォッ……


 顎から伸びる白い髭を撫でながら笑う。

 嗄れた声。


 楓はその声にーーハッとした。


「もしかして……?」


 楓はそう思い出したのだ。


 この街に来たばかりの頃。

 情報が欲しくて……街を彷徨きふらっと立ち寄ったのが、この商店街の入口付近にある占いの店だった。


 そこに居たのがこの老人だ。


 浅葱色の作務衣姿に、合わせた帽子を被っている。肩まで伸びた白髪は、煌めいていた。


 何よりこの陰気臭い眼。胡散臭さを滲ませるこの眼は、楓も忘れない。


「久しぶりだな、小娘。」


 嗄れた声で喉元鳴らす笑い方。


「この人は……“燕爺えんじい”だ。忍姉さんと一緒でこの街に六十年近くーー棲んでるんだ。」


 紹介するのは次郎吉だ。


「ふ~ん、で? このあやかしオールスターみてぇのが集まって会合とはなんだ? なんでオレは呼ばれた?」


 そうーー。ここはあやかしが会合の為に使う座敷。この街のあやかし達の集会所だ。


「大変なんだ……。」


 楓の声にそう言ったのはーーやはり元気の無い次郎吉だ。いつもは……とにかく笑いが絶えない。


 楓も次郎吉とは心を割って付き合っている。葉霧の事も知ってるし……結果的にかけたのは、この次郎吉の様なものだ。


「楓、妖狐の釈離しゃり様は、知ってるよね?」


 睫毛が重いのかーーさっきから何度も瞬きをしてる、亜里砂はそう言った。


「ん? 名前は知らねぇが……妖狐は知ってる。」


 楓は三人を前にしているのでそれぞれを交互に見ている。


「釈離様の……様子がおかしいのじゃ。」


 髭を掴み撫で下ろしながら燕は、楓に目を向けた。


「どうゆう事だ?」


 楓が聞き返すと次郎吉が瞳を揺らした。

 不安そうに。


「社から出てこないらしい。」

「あ?」


 楓は聞き返す。

 とても不安気にそう言った次郎吉に。


「社の戸を堅く閉ざして……誰も近寄らせないらしいの、側近の“榊さん”の事すらも。」


 亜里砂もまた不安気であった。

 楓は三人を見据える。


「まさか……葉霧に様子を見る様に言え、とか言う気じゃねぇよな?」

「呻く声とかも聴こえるらしいんだ、使い魔も心配してる。」


 楓のキツい一言に次郎吉は身を乗り出した。


 バンッ!


 楓はテーブルを叩く。


「アイツは葉霧を殺そうとしたんだぞ!? 知るかよ!」


 次郎吉を睨みつけると、怒鳴りつけた。


「だからこそ……ワシらから話をする事にしたんじゃ、殿殿に、取次いで欲しい。」


 燕ーーが改まった様子でそう言うと、楓の目の前で三人は深々と……頭を下げたのだ。


「お願い! 楓! とにかく話だけでもさせて!」

「頼む! 釈離様は俺達にとって……必要な方なんだ!」

「これは……ワシらからのじゃ。」


 楓はーー余りにも必死でいて真摯なその態度を前に黙ってしまった。



 ✢

 ✢


 ーー夕暮れだ。


 教室の中もオレンジ色の光が包む。


「葉霧、どっか寄ってかね?」


 灯馬はーー葉霧の前の席だ。

 鞄を手にしながらそう言った。


 後ろでは、葉霧が椅子から立ち上がっていた。


「あ、葉霧くんコレ……」


 ふとーー水月が白い紙袋を葉霧の机の上に

 置いたのだ。


「何だ? 桐生……。」


 葉霧は“トルビィス”とロゴの入った紙袋を見るとそう言った。


「渡そうと思ってたんだけど……ずっと渡せなくて。」


 水月は葉霧の前に立つとーー少し力無く笑う。


「楓ちゃん。」

「楓?」


 水月はーー顔をにこやかにした。

 葉霧は聞き返していた。


「そう、渡して欲しいの。」

「何でまた?」


 聞き返してしまう辺りーー葉霧の、少し残念な所だ。女子から人気はあるが……イマイチ


 今もきょとん。として水月を眺めている。


「楓ちゃんも、あたし達と同じ年ぐらいの女の娘じゃない? だから……それ、人気あるしプレゼント。」


 水月はーー葉霧の性格がわかっているのか嫌な顔を一つもしない。それどころかにこにことしている。


「そんな気にする事ない、それにアイツは……俺達より遥かにだ、見た目で誤魔化されるな。」


 何故ここで毒を吐くのかはわからないが、葉霧にとってみればーー甘やかしたくないだけ。


「気にいってくれるかわからないんだけど……あ、誕生日がわからないから……あたしの“イメージ”にしちゃったの。」


 水月はーー本当に気にしていないのか全く

 顔色が変わらない。


 今もくすくすと笑っている。


「わかった、渡しとくよ、ありがとう桐生。」


 葉霧は、水月が“退かない”のを知ると、渋々と紙袋を手にした。


(葉霧も素直じゃねーな、本当は嬉しいくせに。)


 葉霧は鞄と白い紙袋を持つと灯馬と水月に

 別れを告げ教室を後にした。


 その顔は嬉しそうであった。 


 普通の女子高生なら、友達とプレゼント交換したり、買い物行ったり遊びに行ったりするだろう。


 だが楓は鬼だ。そんな事とは無縁なのかもしれないと、葉霧も何処かで思っていた。


 出来るならさせてやりたいがこればかりは無理がある。葉霧はわかっているし、そうやって言い聞かせてきた。


 酷い事をしてるのかもしれない。と、思った事もある。だが……葉霧は現実的に不可能だと考えてしまう。


 そう言う……性質タチなのだ。


 だからーー嬉しかったのだ。



 ✢



 ーー学園を出て坂を降りている所だった。


 目の前から、今の時期にしては似合わない厚手の黒のトレンチコートを着た男が歩いて来たのだ。


(……あのは……。)


 葉霧には直ぐにわかった。

 少し……遠目でも。

 忘れる筈の無い顔。であった。


 トレンチコートを着た細面で細身の男は、葉霧に向かって歩いてきている。


 カツ……カツ……


 アスファルトの地面を革靴の冷たい音が響く。


 オールバックの漆黒の髪。

 左手はコートのポケットに突っ込んでいるが、右手は下げている。


 白い手袋が目立つ。



 葉霧は立ち止まった。

 男は、葉霧の前に立ち止まる。


 細面の顔つきはやたらと狡猾そうに見える。細い眼は、相変わらずの厭らしい目つきだ。


 紫色に煌めく眼。黒の瞳が小さく不気味だ。


「お久しぶりです」


 響く……少し高い声はその男の風貌には少し合わない。違和感しか与えない。


「様子を見に来てたな? 何の用だ?」


 葉霧の眼はーー碧色きらりと変わってゆく。黒い瞳は男のにやりと笑う顔を映していた。


“妖狐釈離の側近”、鴉のあやかし榊である。


「ここでお話しても?」


 榊は細い目を更に細めた。

不敵な笑み。長身で葉霧より少し高く……見下されているだけでも……棘が立つ。


 学園の通り道だ。

周りには生徒たちがいる。

葉霧と榊を不審そうに眺めながら脇を通ってゆく。


「ついて来い」


 葉霧は表情こそは冷たく凍りつきそうだが

その声は……口調も強く主張していた。


 何よりも……声音が低く響く。


 いつもの穏やかで柔らかな声ではない。


 榊の横を通り坂を下る。


 フ…………


(随分と……逞しくなりましたね、あの頃とは別人です、どうやらは……本当の様ですね。)


 榊は葉霧の後ろを歩きながら不敵に笑う。

想像を超えた、喜びでも噛み締めているのかその表情はーー愉しんでいる様だった。




 ✢


 ーー葉霧が榊と来たのは公園だ。


 学園の坂道は一本道で路地も何もない。

敷地内だから周りは木々で囲まれている。


 塀で囲ってあるがその中は土と木々だ。


 坂道を降りた所に広い自然公園がある。

そこに来たのだ。


 噴水やベンチ。芝生などもあり週末ともなると、子供連れが多く訪れる緑に囲まれた公園だ。


 今は……夕暮れ。

 犬の散歩をする人やウォーキングする人などが行き交う。


 夕暮れは少し……傾きだしていた。


 葉霧と榊はーー公園の屋根のついたベンチシートにいた。


 榊はベンチに腰掛けたがーー葉霧はその前に立つ。隣に座る様に手で促す榊に


「用件は?」


 見下ろした。


 榊は手を組む。

 組んだ長い足の上で。


「至ってシンプルなご提案です、今宵……妖狐様にお会いになって頂きたいのです。」


 榊は葉霧を見上げながらそう言った。

 手を伸ばせば……首を掴めるほど。

 二人の距離は近い。


 その為……声音は小さい。

 周りを歩く人がいるのが見えているからだ。


「断る……と、言ったら?」


 葉霧は……刺す様な冷たさを滲ませていた。その表情も眼も。そして……声ですら。


「あの、どうなっても宜しいですか?」


 それは……豹変だった。


 話し方は変わらないがその顔は歪む。

 醜く………険しく。

 見上げる眼は……殺意を感じさせた。


 狂気すら滲ませていた。


「手を出せばどうなるか……わかってて言ってるか?」


 だが………葉霧はそれ以上の狂気を露わにしていた。碧い眼が一層……深く煌めき氷の様だ。


「貴方がいない時間は……把握してます、その時間に……どうにでも出来るんですよ。」


 榊と葉霧のーー息もつかせぬ様な緊迫した睨み合いは続く。


 どちらも眼を離さない。

 双方をーー伺う様な攻防戦であった。


 だが……それを破ったのはーー葉霧だった。地面に鞄を落とした。白い紙袋も………


「今ここで……死ぬか?」


 葉霧の……真骨頂であった。

 誰も見た事の無い葉霧であろう。


 右手に既に白い光を放っていた。


 険しい眼は……狂気を増し圧倒させる。掴みかかるか……掛らないか。そんな鬼迫すら感じさせた。


 榊は……肝を冷やした。


 思わず……後ろに下がっていた。

 その身体が。


 目の前の……圧は強大な壁が迫ってくるかの様だった。それも逃げられない状況で。


「やめておきます。」


 そうーー言葉を発していた。


(なるほど、ここまでしてくるとは思ってませんでしたね、それにあの光……。)


 榊は目を伏せた。


 葉霧はその様子に右手から白い光を消した。これは力を抜くのと同じ原理だ。


 念じる事をすると……光は現れてくれる。


 葉霧は……鞄を取る。


 榊は君でいた足を外すと、身を正した。

 膝に太腿に両手をついた。


「会って下さるだけで……構いません。」


 葉霧は……榊の丁寧な落ち着いた口調にその顔を向けた。


 そこに居たのはさっきまでの挑発的な榊ではない。最早……紳士であった。


 ビシッと背筋を伸ばし葉霧を見つめている。


「何の真似だ?」


 葉霧は榊に向き直る。


は、ここではお話出来ません、ただ……会って頂きたい。」


 榊は……動じない。葉霧の穢らわしい者でも見る様な卑下た視線にも。


「人を脅しておいて……随分と都合がいい話だな?」

「お怒りはご尤も、、ですが……時間がありません、どうか……」


 榊は……深々と頭を下げた。

 葉霧はーー驚いた。


「どうか……お願いします。」


 榊の強い主張であった。



























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