第36夜  お菊と浮雲番

 ーー「葉霧。大丈夫か?」


 楓は左肩の怪我を看ながらそう聞いた。血は……止まったものの傷口は深そうだった。


 牙の痕はくっきりとついている。


「ああ。大丈夫だ。」


 葉霧は痛そうに顔を歪めている。楓は心配そうな顔をしながらも


「オレを置いてくから……こんな事になんだ。」


 ぼそっ……と、呟いた。


 葉霧は……隣で左肩に手を充てたくても充てられず……どうしたらいいのやら。と、困惑している楓に、視線を向けた。


「そうだな……。ごめん。」


 葉霧は……心配そうにしつつも置いて行かれた事への不満は忘れない。そんな楓にーー少し微笑んだ。


 すると……お菊が葉霧に手を差し出した。


 ス……と。


「え……?」


 葉霧は右手を差し出したお菊に目を向けた。にっこりと笑うお菊の右手には、葉が一枚。


 その上に……紅い実の様な玉が乗っていた。小さな粒の様な実だ。


 ミンツ系に似た大きさの、丸い実。指で摘むと、落としそうな大きさだ。掌にぽんっと乗せて、口に運ぶのが世の常だろう。


「なんだ? それ……」


 聞いたのは楓だ。


 もぐらのあやかしであるフンバは……楓と葉霧の傍にいる。様子を見ていた。


 だが、彼は言う。


九葉ここはの実だ。それは……万薬とされている。」


 ちょっと得意気な顔をしているのは、気の所為か。


「万薬って……万能薬。みたいなもの?」


 水月はお菊の傍にしゃがみ込んでいる。


 あやかしを見たのは……この時が始めてだが、葉霧は幼稚園からの幼馴染みだ。退魔師の話も、聞いてきた。


 その為……目の前に起きてる現実を受け止めるのも早かった。


「傷に効く。」


 お菊は楓を見上げてそう言った。


 フンバは強く頷く。背中に魚。と、書いてある青い半纏の袖に、手を突っ込んでいた。


 楓はにっこりと笑うお菊から……紅い実を手にした。

落とさない様に、掌に乗せる。




 お菊は、実を乗せていた葉を、葉霧に差し出す。


「擦るといい。」


 葉は……大きくはない。ケヤキの葉に近い。葉茎を持ち……差し出している。


「擦る……? まさか傷口か?」


 灯馬は、膝に手をつき屈みながらさっきから様子を見ていた。


 お菊に聞いたのだ。緑の葉を持ったままお菊は、頷く。


 葉霧の事を、見つめている。ぱっちりとした黒い瞳で。


 くんくん……


 楓は紅い実を、掌に乗せながら鼻を近づけている。匂いチェックだ。


「なんか……甘いな。」

「お子様用だ。」


 フンバはそう言った。ちょっと……茶色い毛の頭からズレた手拭いの捻り鉢巻を直す。


 長い爪ひとつでぴんっと。押し上げた。


「は? お子様用? そんなんあんのか?」


 楓は目を丸くした。


「ねぇ? 楓ちゃん……試してみない? 葉霧くん……痛そうだし」


 水月はお菊の傍で楓にそう言った。肩を抑えている葉霧が……心配なのだ。


「そ……そうだな。葉霧。」


 楓は紅い実を摘まむ。葉霧の口に近づけた。

 葉霧はぱくっ。と咥えた。


 口の中に……丸い実を含んだ。


「噛む」


 お菊は嬉しそうな顔をしていた。葉霧にそう伝えたのだ。可愛らしい声で。


 葉霧は実を噛んだ。


 かりっ……と、音がした。


 するとお菊は目の前で口を動かす。


 もぐもぐ。


 と、まるで食べる仕草を真似していた。そのまま。


 ごっくん。


 と、飲み込む仕草まで真似をしたのだ。


 葉霧はその仕草の通り実を噛みくだく。かりかり……と、音がする。


「どうだ?」


 楓が葉霧の顔を覗き込む。


「甘いし……そんなに固くもない。タブレットみたいだ。」


 葉霧はそのまま実を食べた。楓はお菊から葉を取ると


「これで擦るのか?」


 と、聞いた。


 うん。と、答えはしなかったが、お菊は頷く。楓は葉霧が手を離した肩の傷口に葉を擦りつけた。


 葉の表面で牙でついた傷を擦ったのだ。


 ごしごし……と。


 少し……葉霧の顔は眉間にシワが寄った。


「あ。ごめん! 痛いか?」


 楓は心配そうに顔を覗き込む。


「大丈夫だ。この葉は……何なんだ?」


 間隔空いた傷口に交互に、葉を擦りつける楓の横で葉霧はお菊と、フンバに聞いた。


「それが……九葉ここは。お菊の里に生えてる。」


 フンバが、そう言うと傷を擦る楓の手元を覗き込んでいた、灯馬が声をあげた。


「お。葉霧……すげぇんだけど……。」


 灯馬はとても驚いた様な顔をしている。


「葉霧……傷口が塞がってくぞ……」


 灯馬は今……目の前で起きている現象にただ……目を丸くしていた。


 左肩にあった牙での噛み痕が……徐々にうっすらとしてきたのだ。


「不思議だ………。痛みも無い」


 葉霧はお菊を見つめて目を丸くしていた。


「でしょ? でしょ? それ凄い効くんです。そりゃもー泣いてる子供も一瞬で……涙が引っ込みます!」


 うんうん。と、フンバは強く頷きながらとても得意そうにそう力説した。


 お菊は腰に巻いてる黒い帯の中に手を突っ込んだ。そこから紅い巾着袋を取り出した。


 小さな巾着袋だ。小銭入れの様な大きさで、白い紐がついていた。


 お菊はその巾着袋を、にっこりと笑いながら葉霧に差し出した。


 葉霧はその巾着袋を手にした。


 楓は葉っぱを擦りながら覗く。


 葉霧が巾着袋を開けると、葉が数枚と赤い実が、幾つか入っていた。


「お菊は子供と遊ぶからそれを持ち歩いてんです。怪我をした子供の傷を……治す為に。」


 フンバは腕組みしながら、感傷に浸っているのか鼻を啜った。


 すずっと。


 葉霧は巾着袋を締めると、お菊の帯を少し引っ張る。お菊はそれをきょとん。として眺めていた。


「これは……ちゃんとしまっておくんだ。」


 お腹の帯の中に巾着袋をしまう。お菊は帯をじ~っと見つめている。


「あ。」


 楓の手から九葉ここはは消えた。

 突然。


 ぱっ。と、消えてしまったのだ。


「傷が治れば消える。便利なモンでしょう?」

「お前のじゃねえだろ。」


 余りにも得意気なフンバに、楓はその顔を覗き込む。


 葉霧の肩は傷も治り、服が……牙で噛まれたので破けているだけだ。


 灯馬はそれを眺めていた。


(すげーんだな。あやかしってのは……)


「んじゃ。帰るか。」


 楓は身体を起こした。


「そうだな。灯馬たちも寄って行かないか?」


 葉霧は立ち上がると灯馬と水月に視線を向けた。二人は……顔を見合わせたが直ぐに


「ああ。」

「行く!」


 笑顔での答えであった。


 ✣

 ✣



【蒼月寺】


 ーー壁に掛けられた柱時計は……静かに時を刻む。


 ボーン……

 ボーン……


 時を告げる合図は……静まり返った和室に響く。十二時ーー。


 緊張感……漂う空気に包まれた和室ーー。


 鎮音はーー目を開く。


 中庭ではーー【お菊】が走り回っている。


 そしてーー和室には……この緊張感に押し黙る面々ーー。


 葉霧……を、筆頭に楓。

 灯馬。水月ーー。


 そして……モグラのフンバ。


 優梨……は、固唾を飲んで見守る。

 この状況を……。


「で……何で……子供と土竜がいる?」


 鎮音はーー口を開く。

 この……威圧感だ。


 誰もが……口を開けなかったのは。今にも……暴れだしそうなそんな気迫を鎮音は漂わせていた。


「事情がある。」


 応えたのは葉霧だ。


 全員……正座をしている。


 フンバは楓の隣で畳の上に……短い足を曲げつつ座っていた。


 長い爪は……足の上。

 だが……ぐらつき……転けた。


「事情?」


 はぁ……


 鎮音はーーため息つく。


「ウチは……あやかし寺じゃない。」

「わかってる。」


 鎮音の声に……葉霧は応えた。


「ばーさん! 仕方ねぇんだ!」


 楓は隣で……何度か正座に挑戦しつつも、転がるフンバを掴む。茶色の毛をしたモグラの首元を。


「ひぇ………」


 急に持ち上げられて足と手はだらーんと伸びた。土竜……の身体は、全員の視線に注がれる。


「コイツを放置しとくと……また人間が喰われる。だったらここで……監視しとけ、って……葉霧が言ったんだ。」


 楓は鎮音を見据えながらそう言った。鎮音はーー鋭い眼を楓に向けた。


「ほぉ? “ペット”がペットを飼うのか。」


 ブッ!!


 葉霧と灯馬はーー噴き出した。鋭い眼差しと……とても険しい表情で放つーー鎮音の毒に。


 くっくっくっ……

 ぶっ……


 二人は必死に笑いを堪える。


「オレはペットじゃねぇっ!」


 楓は怒鳴る。


 水月はーーその様子を見るとくすっと笑う。何だかおかしそうに。


「不思議ね。もぐらなのに“もぐら”じゃないんでしょ? 喋ってるのも凄いけど……」


 何処か……目をきらきらとさせながら、フンバを見ていた。楓はフンバを水月の方に突き出した。


 ぐいっと。


「こんなんばっかだぞ? あやかしってのは。」


 そう笑う。


 へー。と、目を丸くしながらもぐらの鼻をつつく水月。フンバは大きな瞳で見つめられて少し……頬をピンクに染めた。両頬の三本のヒゲが、ぴくっと動く。


 紫の目は下を向く。


「俺さー。鬼って……あの昔ばなしとかに出てくんじゃん? ソッチを想像してたけど……楓みてーに人間っぽいのもいるんだな?」


 灯馬は楓を見るとそう言った。


「ん? ああ。いるよ。そうゆう奴らも。オレよりでけーし、顔もおっかねぇ。虎の腰巻きはしてなかったけど。」


 楓は少し思いだしながらそう言った。


 昔話などで……よく目にする虎の腰巻きした鬼の事である。


「そうなのね。人間と一緒ね。色んな人がいるもの。」


 水月は優梨の淹れたお茶に手を伸ばした。可愛らしい梅の花の模様の丸い湯呑だ。


「けど……葉霧。気をつけろよ? 今日はたまたま……その怪我。何とかなったけどよ。お菊のお陰で。」


 灯馬は左肩に視線を向けた。破れてしまったので今は……紺のプルオーバーシャツを着ている。


 葉霧は縁側に座るお菊の後ろ姿に、視線を向けた。水月の傍からいつの間にか、いなくなったフンバと、並んで座っている。


 葉霧は微笑ましそうに眺めていた。

 

 その後ろ姿を。












































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