3 夕焼けの花

『魔力は少しずつでいいので、決して途切れないように流すこと』

 用意する素材はそんなに多くはなかった。ハムランの葉、夕闇草の葉、爽やかな香りのレモニの果皮、そしてババさまの魔法鞄の中にあった彼岸花の根。どれも干してカラカラに乾いているのをひとかけらずつ、小さく切り取った。

 順番に気を付けながら、乳鉢に入れて丁寧にすり潰す。魔力を途切れないように注ぎ込むのは難しい。けれどこうして魔力を注ぐことによって、最初はただの茶色だった素材が徐々に色を変えるのは、どんな魔法薬を作るときも不思議で面白い。彼岸香の素材は魔力を受けて淡い赤になった。

 出来上がった粉は光を遮る黒い瓶に入れる。

 続きはまた明日。


『出来上がった粉の中に、同じ重さのパルム油を入れて魔力を注ぎながらよく混ぜる』

 粉は軽いので、パルム油をほんの少しだけ瓶の中に入れる。ガラス棒でよく混ぜながら魔力を注ぐと、黒い瓶の中が魔力でほんのり紅色に輝いた。


『注意深く。でも失敗を恐れるよりも、出来上がりを楽しみにして作ると良い』

 蜜蝋は白魔蜂の巣から採れる最高級品だ。白魔蜂の巣は山の麓にあって、採るのは大変だが蜜も別の薬の素材になる。

 芯に使うのは太い木綿糸。これを広口であまり深くない軟膏用の瓶に固定する。

 鍋を弱火にかけて、温度が上がり過ぎないように気を付けながら蜜蝋を溶かす。溶けたらすぐに鍋を火から下ろして、薬瓶の中身を入れて手早くガラス棒で混ぜる。

 昼間の太陽のような蜜蝋が、夕焼け色に染まった。


 魔法薬を使った蝋燭はこれまでも作ったことがある。

 鍋の蜜蝋が固まらないうちに瓶に流せば出来上がりだ。そのまま固まるまで待ってから、しっかり蓋を閉める。黒い瓶が美しい夕焼け色を隠してしまったのを残念に思いながら、魔法鞄の中へ仕舞った。


 ◇◆◇


 そして昼と夜が同じ長さになる日。

 私は朝からそわそわと過ごして、昼にはお店を閉めた。


「母さま、今日はババさまのお墓参りに行きます」

「まあ、こんな時間に。山奥まで行けば帰りには暗くなってしまうでしょう」

「けれどこの日に行くのは……、ババさまと約束していたので……」

「ならばせめて護衛を。冒険者を雇って連れてお行きなさい」

「大丈夫です。いつも薬草を採りに行く道だから」

「ティナ……。本当に薬師というのは言い出したら聞かないのね」


 母さまの視線を振り切るように、家を出る。今日は特別な日だから、水色のフリルのついたちょっとだけ可愛い服を着た。上から防具の革のベストとスカートを着けるから、ほとんどいつも通りだけど。

 ババさまのお墓の前にはまだ日の高いうちに着いた。蝋燭を取り出して地面に置き、日が沈むのを待つ。ここは本当に変わった場所だ。ちょうどババさまのお墓を中心にして、まあるく円を描くように土がむき出しになっている。草も生えないし、虫も鳥も、魔物でさえもこの荒れ地には近付こうとしない。

 だからと言って邪悪な気配があるわけでもない。薬師になってからというもの、そういう悪い気配には敏感になったけど、ここは大丈夫だと思う。


 やがて空の色が変わり、山奥にいる私にも日が沈む時間を教えてくれる。


「ババさま」


 蝋燭の瓶の蓋を開け、芯にそっと火を近づけた。表面のロウがじんわりと緩み、芯に火が灯る。

 薄暗くなってきたけど、蝋燭は思っていたよりもずっと大きな炎であたりを照らす。そして蝋燭が照らした場所から徐々に、不思議な光景が広がっていった。

 赤い花だ。夕焼けよりももっと赤い、美しい花。

 葉はなく、地面からまっすぐに茎を立ち上げて。その先には火花のように細い花びらを幾重にも広げている。繊細で美しい赤い花が、いつの間にか荒れ地一面に咲き誇っていた。


「これがババさまの行った世界?……きれい」

『彼岸花だよ』


 どこからかババさまの声が聞こえた気がする。

 けれどそれは、ただの風の音かもしれない。

 ヒューヒューと鳴る風を聴きながら、赤い花にそっと手を伸ばす。指先が触れても花は消えず、ひんやりと冷たく実体を持っていた。

 私は一つだけ、茎を折り取って花を顔に近付けてみる。

 その時遠くから私を呼ぶ男の人の声が聞こえた。


「……さん……ティナさーん」


 誰だろう?

 気がつけば空はもう赤みを失い、夕闇が迫っている。

 私を呼ぶ人が姿を見せるのと同時に蝋燭の火が消え、赤い花もまた消えてしまった。


「ティナさん、迎えに来たんです。あの……その……お母様に頼まれまして」

「母さまが?」

「暗くなるからと、心配されていて。俺、えーっと、ちょっと前まで冒険者をしていたので、護衛は得意なんです!」


 ありがとうございます。小さな声でお礼を言うのが精いっぱいだった。目の前にいるのは、よく傷薬を買いに来ていたお客様。背が高くて、優しいお顔をしている。

 冒険者だったのですね。ぽつりとそんな言葉が口からこぼれたら、彼が大きく顔を横に振った。


「今は違うんです。俺、オヤジの後を継いで大工の修行をしてて、それで……」

「冒険者をやめて大工に?」

「は、はい。だからもう旅はやめてこれからはずっと村に住みます。ティナさんの隣村なんです。それで、あの……俺と……いや、今はそんなんじゃなくて……」


 家に一緒に帰りましょう。背の高いその人は小さい声で言うと、夕焼けのように真っ赤な顔をして大きな手を私に向かって差し出した。

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