2 仕事と見合い
ババさまには私の他に身寄りがなかったので、
ふと気がつけば涙がこぼれているような、そんな日を何日か一人で過ごす。そしてババさまと暮らした小さな家を引き払い、私は父さまと母さまの住む家へと戻ることになった。
母さまはいつも不機嫌そうに見えたが、かといって先妻の子である私に辛く当たるようなことはない。家のこともほとんど手伝わずに済んだので、薬師として働くことができた。けれど実は薬師の仕事のことは、あまり快く思っていないのだろう。ことあるごとに苦い顔をする。
そして私が二十歳になった今、見合い相手を探すことに執心している。
「隣村の大工の息子が冒険者をしていたのだけれど、ようやく引退して大工を継ぐことになったのよ。歳もあなたと六つしか違わないし、一度会ってごらんなさい」
「でも母さま……、ようやく薬師として認められてきたので、もう少しここで……」
「薬師は隣村でも出来るでしょう。あなたももう二十歳なんだから、急いで相手を見付けなければ」
母さまの話から逃げるように、私は席を立って離れへ行った。
父さまが家の離れをお店に改造してくれたので、私は一日のほとんどをここで過ごしている。
自分が結婚をするなんて、どう考えても想像がつかない。小さい頃からババさまの元で修行していた私は、この村の同年代の子供たちとほとんど交流がなかった。十五歳からは半人前ながらも薬師として働き始め、話をするお客様は年上の人ばかりだ。十八を過ぎる頃には歳の近い者はみな村を出るか相手を見つけて結婚してしまう。そしてその頃から母さまは、しきりに見合いの話をするようになった。
二十歳になるまで待ってください。そう言って断ってきたので、先日二十歳の誕生日を迎えてしまってからは何となく断りにくい。
見合いの話に乗り気でないのには訳がある。
本当は少し前から、ちょっとだけ気になる人がいるのだ。お客さんだから、薬の話しかしたことはないけれど。
「ティナちゃん、傷薬はある?」
「あ、いらっしゃいませ。あります。ちょっと待ってくださいね」
お隣のエマおばさんはよく傷薬を買ってくれる。旦那さんが鍛冶屋で、切り傷や火傷が多いから。ババさまの傷薬のレシピは、火傷にもよく効いた。
傷薬はよく売れるのでいつも作って置いているが、仕上げは直前にやったほうがいい。
魔法鞄からパルムの実のオイルを取り出し、弱火で温める。その中に薬草の粉末と蜜蝋を入れて、ガラス棒でゆっくりかき混ぜる。蜜蝋が融けたら火を止め、粗熱をとって広口の瓶に流し込めば出来上がりだ。冷えると固まり、使いやすい軟膏になる。
「相変わらず手際がいいねえ。ティナちゃんもすっかり一人前の薬師だ」
「あ、あの……ありがとうございます!」
「お代はいつもと同じでいい?」
「はい。まだ熱いですから気を付けて持ってください」
「あはは。あたしは熱いのには慣れてるさ。鍛冶屋の嫁だからね。でもありがとう」
エマおばさんは楽しそうに笑いながら、軽く手を振って帰っていった。
傷薬はあの人もよく買ってくれた。この村の人ではないので名前も知らないけれど、背が高くて少し照れたような笑顔がかわいい。
村の外からもお客さんは来る。狩人や冒険者、行商の人や近くの村の人も。小さな村に薬師がいる事はあまりない。だからこんな小さなお店にも、お客さんは多い。
エマおばさんが帰った後もお客様が次々にやってきて、この日も忙しく過ごした。
◇◆◇
作り置きの薬はその場で渡すが、作っていないものは予約を受けて後日作る。そして手元に素材がなければ集めなければならない。
だからお店が休みの日は、素材集めに出かけることが多かった。素材は遠くの町で売っているものを行商の人に買ってきてもらうこともあるが、多くは近くの野山で採取できる。
そして次の休みの日。私は山に採取に行くために魔法鞄に採取用の道具を入れた。
「母さま、今日は薬草を採りに行ってきます」
「ティナ、またそんな恰好で」
今日は山へ行くので、汚れてもいい綿の作業着だ。そのうえに防御用の革のベストを着て革のミニスカートを腰に巻いている。スカートはポケットがたくさんついている実用品だけど、刺繍も入っていて案外可愛いんじゃないかと思う。魔法鞄は斜め掛けにして、腰のベルトには短剣をさした。短剣は便利だ。採取にも使えるし護身用の武器にもなる。いつも採取に行く山には滅多に魔物は出ないけど、たまに小さいのが出るから。
「せっかく年頃の女の子なのに」
「汚れたら洗うのが大変だから……」
「山に一人で行くなんて危険だわ。そんなことは冒険者に任せなさい」
「でも自分で採ったほうが質がいいの」
「まったく、薬師ってのはみんな頑固で偏屈ね。気を付けて行きなさい。はい、これを持ってね」
母さまが手渡してくれたのは弁当だ。母さまは料理上手で、弁当ももちろんとても美味しい。私に向けるのは相変わらず苦い顔だけれど。
山は小さい頃から、いつもババさまと一緒に来ていた。村からも近くて、薬草も豊富にある良い山だ。
いつも使うシミの木は、樹皮を削り取って葉のついた枝も切り取る。
「たくさん取り過ぎても木が弱るからね」ババさまはそう言って、木の様子を見ながら注意深く採取する量を決めていた。
草は根を使うことも多いので一本丸ごと掘って持って帰るけれど、これも群生している場所からほんの数本、近いうちに必要なだけ。
川に行くと拳よりも大きな石がゴロゴロと転がっている。それを一つ一つひっくり返しては、石にへばりついている虫を捕まえて瓶に入れる。ついでに大きな岩に生えているコケもナイフで削り空き瓶に入れた。
薬草の採取は子供の遊びのようで、小さい頃から大好きだった。
必要なものをだいたい採取し終えたら、川で手を洗ってお弁当を食べる。母さまのお弁当は、冷めていたけれどとても美味しかった。
今日の採取は思ったより早く終わった。帰るまでにはまだ時間があるから、少し寄り道して山奥へと行くことにしよう。種類豊かな植物に恵まれている山だが、その奥に一か所だけ草木が何も生えていない場所がある。ババさまは何故かここに骨を埋めてほしいと言った。いくつか石が転がっているだけで土がむき出しになっている寂しい場所。その中で一番大きな石の根元に、私がババさまの骨を埋めた。
お墓代わりの石の前で、ババさまを思い胸に手を当てて祈る。
村の人はみんな共同墓地にお墓がある。亡くなった母さまもそこにいる。ババさまはこんな山奥に一人でいて、寂しくはない?
私は頑張っていまも薬師をしているよ。最初は何度も泣きたくなったけど、今はもう大丈夫。
『秋の昼と夜の長さが同じになる日。その昼と夜の間の時間に、山奥の荒れ地で火を灯すこと』
ババさまの手帳の最後に書かれていたのは、彼岸香というロウソクのレシピだった。これがあればババさまの行ってしまった向こうの世界が見えるという。
二十歳過ぎたらというのは、私がババさまの死をちゃんと受け入れられる時間を作ったのかもしれない。
「ねえババさま。私、もう二十歳になったよ」
昼と夜の時間が同じになる日は、一年のうちで春と秋の二回。そして秋のその日まではあと十日ある。
山から帰った私は、翌日から彼岸香を作る準備を始めた。
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