夕焼けの花 1 薬師の娘【ファンタジー】
『この薬は必ず月のない夜に作ること』
薬師だったババさまの遺してくれた手帳を開く。手帳には大きく読みやすい字で、ババさまの薬のレシピがすべて書かれていた。その中から魔力強化薬のレシピを探し、机の上に一つ一つ丁寧に素材を並べる。
シミの木の樹皮、赤目熊の肝を干したもの、雪芭蕉の根、夕闇草の種。
分量を量り、順に白い乳鉢に入れてすり潰す。
机の片隅に置いたランプの灯が、ゆらゆらと揺れた。
ゆっくりと、少しずつ魔力を注ぎながらすり潰して混ぜていく。白い乳鉢の中で、茶色の粉がだんだん色を変えて淡い橙色になったら出来上がりだ。
「ティナ、夜中に何をしているの」
「あ、
「なぜこんな夜中に! ゴリゴリと、うるさいでしょう」
「この薬は夜中しか作れなくて」
「いいからさっさと終わらせて早くお休みなさいっ」
「……はい」
私は慌てて出来上がった薬を茶色い瓶に詰めた。
◇◆◇
魔力を注いで作る魔法薬は、光に弱いものが多い。短期間で使いきるものはこの茶色の小瓶に入れる。長期保存したいならもっとしっかりと遮光できる瓶が必要だ。
魔法薬の多くは粉末のままお客様に渡し、使用するときにはお客様自身が聖水に溶かして飲む。私のような若い薬師に入る注文は基本的な薬が多いが、それでも丁寧に仕上げれば効き目は増す。独立して五年、最近ようやく魔力強化薬のような難しい薬を注文してもらえるようになった。
実の母親が亡くなったのは私がまだ三歳の頃で、今はもう記憶も薄い。五歳の頃に父が今の母さまと再婚し、ほぼ同時に私は薬師をしていたババさまの所に弟子入りした。
ババさまは母方の祖母だ。本当だったら薬師を継ぐはずだった娘が、若くして亡くなってしまった。だから孫の私がババさまの後を継ぐことになったのだ。
それから十年間修行し、私が十五歳の時にババさまもまた亡くなる。ババさまはもうずいぶん歳だったし、普通に穏やかな老衰死だ。
亡くなる直前にババさまは私を枕元に呼んで、一つの古い革鞄をくれた。
「ティナや、このかばんの使い方は分かるかい?」
「これは……ババさまの魔法鞄。何度か使ったから分かるけど……」
「これとティナにあげよう。使用者権限をババとティナにしてある。他の者に中身を盗まれる心配もないよ」
魔法鞄は空間魔法でその中にはたくさんの物を詰めることができる。小さくても、とても高価なものだ。だから盗まれないようにいくつもの魔法で、指定された使用者にしか使えないように制限されている。
「この中にはわしの薬師としてのすべてが詰まっておる。そして無事一人前になった後継者に渡すんだよ」
「私はまだ……、まだまだ修行をしないと」
「大丈夫さね。ティナは立派なババの後継者さ」
その鞄の中には薬を作るための道具や素材、そして手帳も入っていた。それはまだ新しくて、きっとババさまが私の為だけに書いてくれた大切なレシピ手帳にちがいない。ドキドキしながら取り出して、開いてみた。
体力回復薬、魔力回復薬、痛み止め、傷薬、解毒剤が各種。作り方をちゃんと覚えているのも、まだ一回も作ったことがないのもあるけれど、どのレシピにも丁寧な説明が書いてあった。
「でも……私にできるかな? 薬師のお仕事……」
「なあに。ティナは十年も厳しい修行をしたんだ。やるべきことはちゃんと覚えてるさね。薬師ギルドにも、とっくに登録できとるよ」
「頑張ってみるけど……」
「ババがいなくなってもティナには父さまがいるさ。それに母さまも」
ババさまは手を伸ばして私の頭を撫でた。
「この手帳の最後を見てごらん」
「最後? えっと……ひがんこう?」
「そうそう。それはババがこれから行く世界を見せてくれる」
とても綺麗なところだよ。ババさまは懐かしそうな眼をしてそう言った。ババさまも母親である薬師からこのレシピを受け継いだのだという。
「ババが旅立っても、すぐには駄目だよ。そうさなあ。ティナが二十歳になれば、彼岸香を使ってもよかろうて」
そんな話をして私は薬師の魔法鞄を受け継いだ。そのほんの数日あとに、ババさまは静かに息を引き取った。それはとても穏やかな春の日だった。
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