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 田舎の朝は早いから、田舎のパン屋の朝はもっと早い。

 前日にできるだけ仕込みは済ませておいたけど、それでもまだ夜中と言っていい時間に目覚ましをセットして起きた。


 前任者が使っていた機材が綺麗に手入れされて置いてある。業務用なのでちょっと迷うこともあったけど、たまたま以前パン教室に通っていた時の機械と同じだったのでさほど困らずに作業を始めることができた。

 生地をこねるのも、発酵するのも専用の機械があって、どうにか自分一人で作れそうだ。一応市販のパン作りの本を持ってきているんだけれど、とりあえず慣れるまでは食パンが焼ければいいらしい。というか前任者は食パンしか焼いていなかったらしい。

 最低限必要な数の食パンが焼ければ、あとは好きにしていいって。


 オーブンに入れたパンが良い匂いを出し始めた頃、柊くんがやってきた。


「おはようございますー。わあ、良い匂い。久しぶりの焼き立てパンだあ!」

「こんな出来で大丈夫ですか?」

「えっと、もしかして試食していい?」

「はい」

「わーい。役得だ!」


 試し焼きの食パンを、柊くんは本当に嬉しそうに食べてくれる。


「美味しい!」

「ほんと?」

「ですです。もちろん本当ですともー」


 そのあとは、焼きあがったパンを次々とショーケースに運ぶ。

 パン屋のお店部分は普通の民家のリビングだったけど、ショーケースだけが場違いに置いてある。焼きあがった食パンが並べられてすぐに、カランコロンという音がして玄関のドアが開いた。


「シュー、パン屋が再開したって聞いたぜ」

「そうなんですよ、アーロンさん。見てください、このおいしそうなパン!」

「へえ。いいじゃねえか。三つよこしな」

「まいどありー。12レガロでーす」


 客との会話が聞こえてくるけど、12レガロって何?

 気になる。でも外の会話を気にしている暇はない。

 一本丸ごと並べられていたパンが、あっという間に三本も売れた。そしてアーロンさんという人がまだ店内にいるうちに、また次の客が店に入ってくる。


 そういえばここに引っ越してきてからまだ外をちゃんと歩いてない。

 少ない荷物はあっという間に片付いたし、早くパンを焼きたかった私は早速翌日から開店することにしたからだ。慣れるまで大変だろうからと、一週間分くらいの食料がキッチンに置かれていたので買い物もしていない。それから新しい住処を探険することもなく、ただひたすら開店の準備に時間を費やして今に至る。結局この村で会ったのは柊くんとそのお母さんだけだった。


 食パンが3本で12……レガロ?

 聞き間違いかな?

 いや、そんな時間はないんだって!いきなり一人で三本も買うなんて、足りなくなったらどうしよう。次を焼かなきゃ!

 その後は店の声など耳に入らないくらいに走り回って、思っていた以上に大量のパンを焼いた。日が高く昇って昼前にようやく、ぐったりと椅子に座る。


「おつかれ……ああー! 藍ちゃん、だいじょうぶですかあー?」

「朝ごはん……食べるの、忘れてた……」

「あああ……すみません。僕、全く気がつかなくて!ちょっと待っててくださいねっ」


 柊くんは裏口から飛ぶように駆け出して、またバタバタと賑やかに音を立てて戻ってきた。


「ほんと、ごめんなさい。引っ越したばかりでご飯作るのも大変ですよね。昨日はちゃんと食べましたかー?」

「はい。昨日はお弁当を買ってたから」

「あのですね、村長が……あ、昨日会った母なんですけどね、慣れるまではうちにご飯を食べに来いって。昼飯はとりあえずこれをどうぞー」


 肉と野菜を煮込んだシチューが、鍋に入っている。


「僕もここで一緒に食べていいかな?」

「もちろん」

「やったー!」


 午前中に一生懸命作った食パンは、一本だけ残っていた。多分これは柊くんが私のために、売らずに残してくれたんだと思う。

 それを厚めにスライスして、さっとトースターで焼き目をつけてシチューと一緒に食べる。

 おおっ!

 このシチュー、すごくおいしい!


「このパン、美味しいですねー」

「ほんと?」

「ですです。村人たちもみんな、焼き立てのパンをすっごく楽しみにしてたんですよ!」


 にこにこ笑いながら食べてる柊くんを見たら、思いきって応募してよかったと思う。本当はちょっと自信なかったんだ。パン作りだって趣味でちょっと習っただけだったし、全然知らない土地だったし。


「ところで午後からなんですが、もしよかったら僕が村の中を案内しましょうかー?」

「いいんですか?」

「ですです。じゃあ食べたら早速行きましょう。明日の仕込みは帰ってから、僕も手伝っちゃいますからねー」

「あ、すみません……」

「いいんですよー、僕もパン屋の店員ですから。あはは」


 柊くんは、本当に楽しそうに笑う。

 私もいつの間にか、つられて笑っていた。

 裏口から外に出る。裏庭は家がもう一軒建つんじゃないかと思うくらい広い。両隣の家も同じように庭があって、境目は白い木の柵で区切られている。


「庭は畑にして野菜を育てている家が多いですけど、アーロンさんの家なんて草ぼうぼうですから。ははは。放っといても大丈夫ですからね。もし野菜を育てたくなったらうちの道具を貸しますです。さあ道に出ましょう。れっつごー!」


 家は全部が通りに面してて、数えたら二十三軒あった。これまではパン屋だけが空き家だったけど、今は全部の家に人が住んでるという。

 家の玄関にはそれぞれ看板が下がっている。パン屋の看板は食パンで、唐草模様のような記号のようなものが書かれていた。

 首を捻っていると柊くんが何となく困り顔で説明してくれる。


「ああ、そのグニャグニャってのはこの村で使われてる文字みたいな?」

「草書みたいなものですか?」

「う、うん、そうそう。草書みたいな。絵が描いてるから分かるよね?あっちが肉屋さんで、そっちが八百屋さんって昨日も言ったっけ?」

「はい。野菜の絵が描いてありますね」

「鍛冶屋さんには武器だけじゃなくて包丁や雑貨も置いてるから今度一緒に見に行きましょうねー」

「……武器?」

「あ、ええっと、ここは猟師が多いから、剣とか売ってるんですよ」

「猟師……で、剣?」

「ま、まあ、次に行きましょう。れっつごー」


 田舎のほうじゃ、猟師も剣で狩りをするのか。

 なるほど。

 ってそんなことある?


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