何か一つ手に入れては、あなたの影が近くなった気がしてたまらなくなる。

よだれを零し、喉を鳴らす。

鳥の頭を持つ獣人ばけものたちは、主を取り囲んで命令を待つように鎮座している。


「どこに行ったんだか・・・。まぁいい。人質がある以上派手なことは出来ないだろ。多分」


悪趣味なネックレスを暇つぶしに弄る男には余裕の表情が見て取れた。

それもそのはずだ。黒髪の男は無能力者でノーマーク。

白髪の女は発言者だが、姿を隠していることからもこの状況をすぐに打開できる力を持っているとは考えにくい。

もしくはブラフという線もあるが、こちらには人質がいる。策を弄するにしても難しい。

救援を呼ばれると痛いところだが、まだそこまでの猶予は与えていない。

男が思慮を巡らせている中、不意に足音が響く。


「お、観念したか。・・・ってお前か。女はどうした?」


足音の主人は司だった。周りに他の姿はない。

司は声を無視し、男の方へと歩いて向かっていく。


「・・・お前に興味はねェの。俺は力試しがしたいんであって、弱いものいじめがしたいわけじゃねェからな。

 ほら、行った行った。追わねェから何処へなりとも逃げろよ」


その通告も無視して司は歩く。その歩みは揺らがない。

まるで"するべきことがわかっている"かのように男の元へと近づく。


「わかんねェやつだなぁ。さては囮作戦ってか?  一般人を囮にするほど切羽詰まってんのかよあの女は。

 邪魔だからどいてな・・・。参番、テキトーにボコせ。」


その言葉を聞いた獣人の中の一体が、司に勢いよく飛びかかる。

軌道は直線。およそ人並みではない速度で間合いを詰め、右拳を叩き込む。


しかし、その拳は届かない。 司が片手で軽くいなしたからだ。

自らの一撃を防がれた"参番"はキョトンとしている。

"参番"が態勢を整えるよりも早く、


「・・・っらァ!」


その腹に司が右ストレートを思い切り打ち込む。

それは、腰の回し方も打ち込み方もなっていない素人のパンチ。

だが、参番と呼称されている獣人は、その一撃によって大きく弧を描くように吹き飛ばされ、舗装された壁に大きな音を立てて叩きつけられた。


「おいおいどういう事だこいつは。そんな簡単に発言者になれるわけねェだろ・・・」


男がたじろぐ。それもそうだ。一般人が発言者へと簡単に変われるはずがない。もしそうなら、この世は化け物で溢れかえっている。

男にとってこの能力は、選ばれしものだけが使える特別な力。

完全なるイレギュラー。外野から打ち込まれた新たな配役者。自らの能力を真正面から叩きのめす相手が今、目の前にいる。


「面白えじゃねェか!」


男は端的に言って馬鹿だった。直情的で短絡的。力を試すために見知らぬ女を誘拐することも厭わない、そんな性格。

だからこそ、司の存在が輝く宝に見えた。もしくは越えるべき壁か。


「お前ら! 全員でかかれ! フォーメーションを組んで戦え!」


その言葉を皮切りに、総勢14体からなる鳥獣人が司に襲い掛かる。

今までとは違う、考えられた動き。壁や柱を使った、空中を含む三次元的な攻撃。

ある者は天井を走り、ある者は床を舐めるようにして接近する。

だが、それでもまだ及ばない。


「ど、けェッ!」


司の右腕が近づいた鳥獣人をなぎ払う。その一撃で鳥獣人はコンクリートの壁に打ち付けられ、ずるりと床に落ちた。

この化け物に骨があるかはわからないが、もしあるとするならば粉々になっているだろう。

しかし、その様子を見ても獣人達は司を目掛けて突進を続ける。

従順なのか、それとも恐れを持たないのか。

一匹、また一匹と司に砕かれていく。


「(ちょっと待てよ・・・! パンピーならタイマンでボコせる自慢の獣どもだぞ!?)」


しばらくの間は司に触れる事すら出来なかった鳥獣人だが、フォーメーションという作戦のおかげか。

鳥獣人の内1体が司を掴むことに成功した。


「よしッ! ひき倒せ久番きゅうばん! 寝かせりゃこっちのもんだ!」


その言葉を聞いた獣人は、掴んだまま強引に押し倒そうと腰を入れる。

だが、動かない。

タイミング、力の入れ方、呼吸。動きに落ち度はない。

対し、別段格闘技経験のない司が繰り出したのは極めて原始的な方法。


「せ、いッ!」


つまり、力比べである。

掴んでいる鳥獣人の腕をさらに上から掴んで、無理矢理に放り投げる。

掴んでいた手を腕ごと引き剥がされてしまった鳥獣人は無残にも振り飛ばされ、廃ビルの闇へとすっ飛んで、消えた。

司の体裁きはもちろん出鱈目だった。だが、それでも襲い来る鳥獣人を軽くいなしてしまう。


ある時は振りかぶって拳で殴りつける。

鳥獣人は一瞬のうちに地べたと同化する。

ある時は片手間に蹴りをぶち込む。

鳥獣人は衝撃に耐え切れず吹き飛び、何度かバウンドした後、動かなくなる。


まさに、竜が人と戯れるような光景。


獣人の数が半分を切った頃には、男の姿は無かった。

葉月を連れて逃げたのだろうとすぐに推測がつく。


司があたりを見回すも、見える範囲に男の姿はない。

先ほどの司と同じく隠れているのか、それとも逃げたのか。

逃げたのなら追わなくては。

ひび割れた右こぶしの骨が軋み、痛覚に脳髄が侵される。

だが、全身を覆う高揚感と湧き出る力は留まることを知らない。

何かに突き動かされるように、司は男を探し始めた。




一方の男は、震えながら柱の隅に身を隠していた。

普通は見えるはずもない死角。それを理解していたからこそ、ここに身を隠した。

恐怖によって吐き出される息を必死に抑え、肩の呼吸も止めようと腹に力を込める。

男はただ震えているだけだった。

だが、それこそが命取りとなる。


「・・・見つけた」


司には男が震える音が聞こえていた。理由はわからない。ただ聞こえる。いつもは聞こえない微細な音が。

体が軽い。空さえも駆け抜けられそうだ。力が湧き出る。今なら誰だってぶっ飛ばせる。


目的地、男がいる場所に向かって走る。一歩目で司は今まで自分の足では体感した事もないような速度に達する。

速度に耐え切れない体は宙に浮き、まるで一発の弾丸かのように加速した。

しかし、速すぎるが故に男が隠れているであろう柱をゆうに越えてしまい、司は四方にある終点。灰色の壁へと猛烈な速度で接近する。


「ぐあ・・・!」


文字通り壁に着地する。その反動は大きく、壁に大きくヒビが入る。そしてその反動は司の体にも影響を及ぼした。


引き裂くような痛みが足先から下腹部までを覆うかのように襲った。

バキバキと骨が割れ、砕けていくのが理解できる。


「あぁッ!」


だが、止まらない。

その反動をバネにするかのように司は壁から跳び立つ。

轟、と風が音を立て、司を運ぶ。

その勢いのまま柱を何度か経由し、司は男の前に着地した。

が、当然その着地も痛みと破壊を伴う。


司が世字熟語を発言してからこの間僅か数分にも満たない出来事であったが、

司の足腰は最早機能を停止していた。


「う、あ・・・」


使い物にならなくなった下半身。ズボンは血が滲み、朱に染まっている。

声にならないほどの激痛が司を支配する。

怒りと高揚感でそれを溶かす。だが体はおよそ立てるような状態ではない。


だが司は立ち上がる。・・・立っている。それは何故か。


「あ、ぅ」


治る。治るのだ。瞬時に。およそ奇跡ともよべる怪奇現象。

飛び出てしまった骨は即座に収納され、傷は塞がり、曲がった足はぐるんと回転して元の位置へと還る。


その姿を見た男は。


「ひぃ、ひぃっ! バケモノ・・・!」


戦意喪失。気力もなく、両手を合わせて許しを懇願していた。

姿だけ見るのなら司が負っているダメージの方が圧倒的に大きい。

だが、それに反して戦況は司に傾いていた。


「た、助けてくれ! なぁ、あんたの妹は返す! 許してくれよ!」


ごん、と頭を床に打ち付けてこすりつける。

そうだろう。そうする他ないだろう。

司は知るよしもないことだが、男が敗北したのは初めてのことだった。

致命的に覚悟が足りていない。ここまでしておいて、許してもらえると思っている。

この場で司に不意打ちをするよりも、土下座をするほうが勝算に繋がると思っているのだ。

それが司には、どうにも許せなかった。

流れ出る血の勢いそのままに、司は口を開く。


「許すと思うか? お前は、俺の妹を傷つけたんだ・・・!」


こいつだ。こいつが葉月を誘拐し、危害を加えた男だ。

許すな。許すな。許すな。許してなるものか。

幻聴が聞こえる。兄の声にも似たそれは、断罪を求めていた。

とっくに臨界点を超えた司の前で、男は無意味な弁明を続ける。


「傷はつけてねェ! あくまで女をおびき寄せるために利用しただけだ! 本当だ!」


そのどことなく冗長な言い訳は、司をさらに激高させる。

怒りの向こう、そのまた向こうへと。握りしめた拳からは異音が聞こえてくるようだった。


「それなら許されるとでも思ったのか・・・? もういい。もういい!」


司は立派な武器である"拳"を振り上げ、男に向かって振り下ろす。

空手に直せば下段突き。司の全体重を乗せた最上級の一撃が、男を襲う。


「ひッ」


当たれば絶命は必至。

そのことに司は気づいていない。気づく余地もない。

ここまで怒りに囚われた司に、冷静な判断を求めるほうが酷というものだ。

だが、拳が男に届く刹那。その攻撃をいなした者がいた。

軌道がずれた"それ"は床に打ち付けられ、轟音とともに地響きを起こす。


「何だよ。俺の妹は見捨てると言いやがったくせに、こいつは痛めつけもせず助けるっていうのか?」





「・・・殺すんじゃない」




割って入ったのは黒衣の女、マドイだった。

マドイは司の腕に自分の腕を重ねて軌道をずらし、床に衝撃を逃がした。

男は無事だが、それゆえに司の怒りはおさまらない。

司はマドイを睨み、声を出す。


「別に、殺そうとしたわけじゃない。軽く痛めつけてやろうと思っただけで」

「軽く、ね」


そう言ってマドイが床を見る。ぽっかりと空いた穴が拳の威力を物語っていた。

それを見て司もようやく気付く。

この拳が当たればこの男は死んでいた。ということに。


「どこをどう見れば"軽く痛めつける"なんだ? 私にはよくわからないな」


だが、それのどこに問題がある? という思考が司の脳髄をめぐる。

司は冷静さを取り戻しつつあった。だが、冷静さとは裏腹にその怒りと殺意はより強く司に根を張った。

"殺してしまってもいい"と判断を下せるほどに。


「あんたには関係ないだろ。俺がこいつを殺そうとも」


反吐が出る。と司は軽蔑した目線をマドイに送る。

それに対し、マドイは強い口調で反論した。


「ある。私はミコトにお前を頼まれている。お前が妹のことを頼まれているようにな」


兄貴の名前を聞き、司の中に戸惑いが生まれる。

その瞬間を縫うようにして、マドイは意気消沈している男に向かっても口を開いた。


「おいお前。紅葉くれはの一味か?」


男はしばらくきょとんとした様子だったが、その言葉が自分に向けられているものだということに気づき、答えを返す。


「紅葉? 知らない・・・。俺は手に入れた力を試そうと」


か。お前、ここに行け。そして、葦高円居の紹介で来たと言え。身柄を保護してくれる」


マドイは懐から名刺のようなものを取り出し、半ば押し付けるような形で男に手渡した。

そのチケットを男は困惑しながらも受け取る。


「で、でも俺は・・・」

「従わないのであれば、少々手酷い対応をさせてもらうが」

「わ、わかりました! 行きます! すぐ行きます!」


マドイの脅しは凄まじい効果だった。

男はまるで尻に火でもついてしまったかのように走り出し、闇に消えていった。

気づけば、鳥獣人の姿もすっかり消えていた。戦いは終わったのだ。

マドイはふう。と一息をつき、埃を払う。


「待てよ! まだ俺は納得して・・・」


だが司は納得できない。

男を追うため引きずるようにして足を動かそうとした、その時だった。



「う゛」



猛烈な倦怠感が司を襲う。

まるで重しでも乗せられたかのように、司はその場から動けなくなっていた。


「大丈夫か?」


マドイは司の顔を覗き込む。司は「余計なお世話だ」とでも言わんばかりにそっぽを向く。

しかし、態度と裏腹にその顔は青い。まるで死人のようだ。


「気分が悪い。頭がガンガンして、なんだよこれ。指一本動かせない」


体が石のように固まっていくのを感じる。動かない。

違和感を感じているのも束の間、四肢の末端から感覚が無くなっていく。


「お前・・・に運ぶ。文句は・・・な?」


マドイは司に何か伝えようと口を動かしているらしかった。

しかし次第に言葉はとぎれとぎれになり、司の耳に届くのはノイズばかりになっていった。

それに倣うように感覚もおぼろげになる。視界も揺らぎ、涙を浮かべたような風景が映る。


「何言ってるんだ・・・? 聞こえねぇよ。もっとハッキリ言って・・・」


返答の言葉を言い終わるより早く、司の意識は途切れる。

まどろんだ目で最後に司が見たものは、慌てて司を抱きかかえようとするマドイの姿だった。

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