メッセージ
ブックマン
メッセージ――横溝雄一
「あなたの残りの人生はあと一時間です。それまでに、やり残したことを終わらせてください」
毎回のことではあるが、この言葉を一回聞いただけで状況を理解してくれる人はいない。説明に時間を取らされるのが恒例だ。
日向にメールが届いたのはつい三時間前だ。
名前と住所、顔写真が貼られたメールは、必ず当日に送られてくる。返信不可。送り主不明。そのメールが届けられれば、日向の仕事が始まる。
メールに添付された人物と会い、先ほどの言葉を口にすれば砂時計の砂は落ち始める。
砂時計は残された一時間の寿命をわかりやすく象徴していた。
一方の方向にしか落ちず、ひっくり返しても砂の移動方向は変わらない。
たった一時間のリミットを意識させるにふさわしい代物だ。
目の前に立つ男――横溝(よこみぞ)雄一(ゆういち)は何事かと目を丸くしていた。
横溝雄一が仕事から帰宅したのはつい先ほどのことだ。
その仕事終わりに、見知らぬ人が訪ねてきて「あなたの寿命はあと一時間です」と言われたところで、「荒唐無稽!」と笑い飛ばすのが関の山かもしれない。
しかし事実は事実なのだから、それ以上言葉を費やす必要性は感じなかった。
その言葉が彼の脳に浸透するのを待つだけでいい。
「きみは何をいっているんだ」
横溝雄一は痩躯な体を玄関の扉から半分だし、探るような目線を送っている。
「そのまんまです」
「いたずらのつもりか?」
「別に信じろといっているわけではありません。無理に信じなくても結構ですから」
日向の言葉を最後まで信じなかったものも大勢いる。別にそれでもいいだろう。
信じようがどうだろうが、一時間経てば結末は同じだ。
この一時間の間に自分の人生に見切りをつけることが肝心なのだ。
横溝雄一の顔が瞬時に真剣になる。きっと日向の顔がいたずらを楽しんでいる顔に見えなかったからだろう。
「砂時計を渡しておきます」
日向は、横溝雄一にそれを手渡した。
砂時計は向きや重力に関わらず、流れる向きは一方通行。
逆さにしても下から上に移動する砂に、横溝雄一は「なんなんだ、これは」と怪訝そうな顔をした。
「時間はないですよ。あと一時間。それまでに終わらせるべきことがあれば、それを済ましてきてください」
横溝雄一は、理解はしたが納得いかない様子をみせた。
「きみは、何者なんだ。いったい何が起きている」
「私は何者でもないですよ。そしてあなたは、一時間後に死ぬことが決まっただけです」
「誰がそんなことを決めたんだ」
「さあ。神様とか、死神様とか。そんなもんじゃないですか」
横溝雄一はいまだに合点がいかない様子だったが、部屋の奥に戻っていくと上着を羽織って外に出た。
日向もあとを追う。
「なぜ、ついてくるんだ」
「あなたの最期を見届けるのも、仕事です」
最期という言葉に、横溝雄一は顔を強張らせたが、すぐに日向から背を向けて走り出した。
彼がこの状況を理解したのか知らない。しかし、すぐに行動に移すのは賢い判断だ。もしかしたら彼は、すぐに行動しなければならないほどの事情でもあったのか。
広い道に出ると、横溝雄一はタクシーを拾った。
日向もタクシーに乗った。
「なぜ、きみも乗るんだ」
「仕事なので」
横溝雄一は不満そうな顔をするも、「総合病院まで」と切羽詰まった声でいう。
日向がこの仕事をして学んだことは、まずそこまでみんなが死を恐れていないということだ。
死を宣告しても、まだ一時間の猶予が与えられれば心に余裕が生まれる。ただ、その猶予が長すぎてはならない。
死刑囚が執行の日を知るのは執行当日の朝で、そのあと間もなく死刑となるらしい。それは、人は死ぬ瞬間よりも、死ぬことを待つ時間のほうが怖いからだ。それを配慮して、日本では死刑囚の死刑は唐突におこなわれる。
これも、たった一時間しか与えられないからこそ、恐怖のあまり発狂する人は少ない。
そしてさっき、「最期を見届けるのも仕事です」などといって横溝雄一と行動を共にしている理由はもうひとつある。
人は、集団になればなるほど死を恐れなくなる。彼が落ちついた状態で一時間を過ごすには、日向が彼の精神安定剤になる必要がある。彼をひとりにするわけにはいかない。
横溝雄一は焦った様子だったが、死を怖がっているわけではなさそうだ。砂時計の動きを凝視し、足は貧乏ゆすりで忙しなく動いている。
道が空いているのにも拘わらず、のろのろと運転するタクシー運転手に苛立っているのだろう。
それでも病院は遠くなかったため、すぐに到着した。
横溝雄一は急いで代金を払った。
「おつりは結構です!」
病院に駆け込む。早口で受付を済ませると、看護師の注意を無視して、全力で病棟を疾走した。
日向もその背中を追っていると、ひとつの病室にたどり着いた。
「横溝明美」と書かれたネームプレートが張られている。
なんとなく状況を察した日向は、病室に足を踏み入れた。
病室のベッドに若い女性が横たわっていた。
多くの管につながれたその姿は、まるで機械の配線のようだった。
呼吸音がわずかに聞こえているものの、それは生命力に富んではいない。
白く殺風景な部屋と、規則的に聞こえる心電図の音が、この部屋に落ちた沈黙を際立たせていた。
横溝雄一はベッドのわきに座ったまま、砂時計を握りしめ、横溝明美をみつめていた。
「三年もたっている」
彼は日向に背を向けたまま、そういった。
「妻は植物状態だ。医者は『目を覚ます可能性は低い』といった。延命治療を続けていても、そんなものは徒労に終わるかもしれない。だが、やめる覚悟はなかった」
日向には、彼がどんな表情でしゃべっているのかわからなかった。
「妻は無意味なことを嫌っていた」
突然、彼は話題の方向を変えた。
「私はプラモデルを集めるのがすきなんだ。特に、ガンダムとか」
横溝雄一は「ターラーラーラーララ、ラララーラ」と歌い始めた。
日向も、聞いたことのあるメロディーだ。ただ、この部屋の雰囲気には似合わない。
「ある日突然プラモデルが全部消えていた。妻に聞けば、『あんなもの、捨てちゃったわよ。邪魔だったし』といったんだ。
男性にはコレクション癖があるみたいだが、女性にはないようだな。女性が集めるのは靴や洋服のようなものばかりだ。靴や洋服は、どれだけあっても困らない」
「延命治療は無意味だといいたいんですか」
「もし妻が私の立場だったら、とっくに延命治療を中止するはずだ」
「目を覚ます可能性はゼロではないでしょう」
「それでも、妻は中止するはずだ。ないような可能性にかけて、痛々しい姿でベッドに寝かせておくより、楽に死なせてやると思う」
「でも、あなたはそうはしなかった」
「決断をずるずると引きずっているうちに、三年もたってしまったんだ」
その時初めて、横溝雄一がなぜこの病院に訪れたのかがわかった。単に、妻に会うためではない。
「私の寿命は、あと一時間弱らしい、な。それまでに――」
「奥さんの延命治療を続けるのか、中止するのかを決めるんですか」
「そうだ」
砂時計の進行をみるかぎり、あと四十分ほどだろう。
今まで多くの「一時間」を見てきた。
最後にどんな一時間を過ごしてきたかは人それぞれで、規則性はない。
お気に入りの本を読み続けたもの、友達に電話をかけまくったもの、おそろしく高い酒を飲んだもの、たばこを吸い続けたもの、思いを寄せる人に告白して華々しく散ったもの。
人によって異なる一時間の過ごし方を見守るのが、この陰気な仕事唯一のささやかな楽しみだった。
日向の背後にあるドアが開いた。
そこから、医師と看護師らしき人物が病室に入ってきた。
「横溝さん、こんな時間に珍しいですね」
口を開いたのは、担当医と思われる医者のほうだ。
声をかけられても、横溝雄一は軽く会釈しただけで、言葉を発することはしなかった。
「で、どうですか、例の件。まだ、治療を続けますか」
「……妻が目を覚ます可能性は……」
「前にも話した通り、十五年間植物状態だった人が、突然意識を取り戻したという事例もあります。可能性は高くはありませんが、あるにはあります」
いっそのこと「奥さんはもう目覚めません」といってくれたほうが楽だろうに。担当医は横溝雄一を追い詰めていることにまるで気づいていなかった。
それからというもの、病室内では誰も喋らず、たんに時間だけが削られていった。
横溝雄一の手に握られた砂時計は斜めに傾いていたが、それでも砂は一方に移動し続け、残りの寿命を刻んでいく。
残り、二十分。
「先生」
横溝雄一の声が病室に響く。
「延命治療を、今すぐ中止してください」
担当医だけでなく、後ろに控えた看護師からも息を呑む気配がした。
「よろしいのですか。さきほどもいいました通り――」
「どうせもう治らないんでしょう!」
横溝雄一は急に大声を上げた。
「もう三年もたってるんですよ。先生だって、治るはずがないと思ってるんでしょう!」
「い、いえ、そんなことは」
担当医が主観でものをいってはまずいと思っているのだろう。
担当医はしばらく口を噤んでいたが、少しすると「いいでしょう」と抑揚のない声で言った。
「植物状態は脳死と違って、自発呼吸が可能です。呼吸器を外しても生き延びられます。なので、点滴を外してゆっくりと――」
「いえ、今すぐ。楽にしてやってください」
「はい?」
「今すぐです。薬でも投与すればいい。とにかく急いでください!」
担当医は看護師と目を見合わせ、どうしたものかと相談しあっているようだった。
最終的に、横溝雄一の剣幕に押されたように「わかりました」と担当医はいった。
「いくらか手続きが必要ですが、そこまで急いでいるのなら」
看護師は薬を持ってくるためか、いったん退室した。
「奥さんのご両親と相談はされたんですか?」
担当医が尋ねた。
「家族全員延命治療反対で、継続を支持したのは私だけです。家族は、『例え治療を続けていても、目覚める可能性は低いし、目覚めたとしても日常生活を送ることは難しいだろう』と。結果、判断はすべて私に委ねるといってくれました」
「随分さばさばした家族ですね」
「ホントですよ。妻に似ていて」
日向は砂時計をじっと眺めた。
残り、五分ほど。
時の流れは早いものだ。
あと五分たてば、横溝雄一は何らかのかたちで死ぬ。死因はわからないが、メールが届いた時点で死はすでに確定している。
「先生、持ってきました」
看護師が病室に戻ってきた。
「わかった。やってくれ」
担当医も、看護師も、神妙な面持ちだ。
「本当によろしいのですね。一度これを静脈に流せば、後戻りはできませんよ」
担当医は看護師に握られている注射器を指さした。
担当医たちとは裏腹に横溝雄一は「早めに済ませてください」と覚悟の色を窺わせた。
心電図に表示された数字が次第に下がっていく。
それと同時に、砂時計はあとわずかで一時間を終える。
病室では誰も喋らない。
誰もが心電図の音と数字に意識を傾けている。
横溝雄一の妻である横溝明美から管は取り除かれ、ただ眠っているようにも見える。きれいな寝顔だった。
控えめに言っても美人の部類に入るだろう。
砂時計は残りあと一分だ。
そんなタイミングで、心電図の警告音が鳴る。
脈拍数が下がり、あと少しでゼロになる。
彼が与えられたのはたったの一時間だ。そんな短い中でも、やり残したことをやりとげた。
死はいつだって唐突だ。
しかし、一時間前にそれを察知できたなら。
その一時間があれば、きっといろんなことができるのだろう。
人が思っている以上に、一時間という時間の中でできることは多い。数多くの「一時間」を見てきた日向にはわかる。
それと同時に、人というのはあまり時間を意識してない生きものだとわかった。きっと自分には時間がある、と思っている。無意識に誰もがそう思っているのだ。
だから無為な時間を過ごそうとも、本人の中でそれは問題にすらならないのだろう。
日向は砂時計に目を向けた。
残り三十秒。
心電図の警告音が鳴り響いている。
残り十秒。
砂時計の砂はあとわずか。
砂が吸い込まれるように落ちていく。
そして、心電図の数字がゼロになるのと同時、砂時計の砂が落ち切った。
メッセージ ブックマン @0809
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