5 わすれな草
かっぜっの•なあかの〜〜
はっねっの•よおうに〜〜……
朝っぱらから、浦島邸に「リゴレット」の「女心の歌」が響きわたる。
『浦島パートナーズ』のヘルパーのAIたちは、やんやの喝采だ。
大宮太輔弁護士が現れると、どうしてこんなに賑やかになるのだろう。
しかし、大宮弁護士は実に有能だった。
当初、老人介護施設『ネイバーサニーライフ』は、拘束具をベッドの枠ごとえぐり取ったハルカに対して、「暴走ロボット」としての廃棄を声高に求めてきた。
だが、入所者に対する拘束具や薬物の使用の妥当性への疑問、そしてこの施設の入所者の認知症の進行度や、経年生存率などのデータをネチネチちらつかせる大宮弁護士に辟易としたのか、施設側の態度はみるみるおとなしくなった。
もちろん、佳奈もハルカの安全装置について、客観的に説明をしたのだ。
市民病院で末永春子の意識が日に日にはっきりしてきたことも、『ネイバーサニーライフ』を黙らせるのには効果的だった。
施設での安定剤と称する薬の投与との因果関係を立証するのは簡単なことではないらしいのだが……。
それにしても、早朝から「リゴレット」を歌うのには理由があるようだ。
「やったよ!」
大宮氏は得意満面。佳奈に迫ってくる。
「そもそも末永さんに認知症の診断書を出した医者は、逮捕されていたんだ」
「ええっ!?」
佳奈はコーヒーのカップを思わず取り落としそうになったが、電光石火タツコ姫のフォローが入って、ことなきを得た。
微かな機械音がして、サブリナが佳奈にかわってタツコ姫にお礼を言っているらしい。
「礼には及ばぬ……」
タツコ姫の抑揚のない声は大宮氏のよく響く声でかき消された。
「いくつかの詐欺事件への関与が疑われているらしい」
「詐欺!?」
佳奈は今度はカップをしっかり握って驚いた。
「これらは、既に10年ほど経過している事件らしいが、偽の診断書をもとに後見人が立つという手口は、今回の末永さんのケースに似ているでしょう」
「……なんで後見人が?」
「財産を乗っ取るためだよ」
そんなこと、本当にあるんだ……。
佳奈がぼんやり考えていると、大宮氏はさらに続けた。
「でもね、佳奈さん。その線で訴訟を起こしたら時間がかかるからね。
狙いは一つ……」
ここですうと息を吸った。
「一刻も早く、ママを取り返……わあおう!」
お決まりのフレーズを歓声に変えたのは、サラエさんが運んできた、3段重ねの焼きたてホットケーキだった。
たっぷりのメイプルシロップに、イチゴとクリームまで乗っているのだ!
* * *
「……それでね、それでね、大宮弁護士サンは……おかわりモしたノ……」
「驚いた。ハルカちゃんはこんなにおしゃべりだったのねえ」
ワコさんが驚くのも無理はない。
基本的にハルカは、自分から何かを話すことは滅多にない。聞かれたことに答えたり、指示に返事をするくらいなのだから。
ワコさんと佳奈は、ハルカを伴って市民病院を訪れている。
ハルカの機能調整が順調なので、こちらも順調に回復してきた春子のもとへお見舞いに連れてきてあげたのだ。
「……ママ」
「ハルカちゃん!」
それだけ言うと、春子とハルカは、抱き合ったまましばらく動かなくなってしまった。
二人が、どんなに一緒にいたいと思っているかは、誰の目にも分かるだろう。
「わたしがいけなかったんだと思います」
春子の意識ははっきりしていた。
「春子さん、あんなにお元気そうでしたのに、何があったんですか?」
ワコさんは、春子が夫を自宅で介護している頃からの付き合いだった。
「わたしがね、もうこんな歳だから……このコのことを心配したんです」
優しい目でハルカを見ている。
「相談する相手を間違えた……」
春子は自分の手首についたアザを悔しそうに見つめる。
「わたしがいなくなった後のハルカちゃんが心配で、相談してしまったの」
ハルカは春子の手首をそっとマッサージし始めた。
「末永真千子……会ったこともない夫の遠い遠い親戚で……でも多分、わたしの相続人になるだろうから、わたしには他に身寄りもないので……お願いしたの」
「なんてお願いしたんですか」
「ハルカちゃんが、ずっとわたしの家で暮らせるように……って」
ああ。と、佳奈にはいろいろな出来事の合点がいった。
「そうしたら、お医者と一緒に訪ねてきて……わたしには判断能力が無いから、後見人制度を適用する……って」
「その医師は逮捕されていたんです」
ワコさんが静かに怒っているのが、佳奈にはわかった。
「末永真千子は春子さんの家を売りに出しているんです」
「……そんな!?」
「大丈夫!
凄腕のオムおじさまこと、大宮弁護士が戦ってくれていますよ」
大宮弁護士もワコさんの父親の幼なじみなので、ワコさんは絶対の信頼を寄せているらしい。
佳奈は今朝の「リゴレット」を思い出して、思わず顔がほころんだ。
そう、凄腕なのだろう。
なぜなら彼のもくろみ通り、後見人の無効とハルカとの同居を審査するために、近く調停が開かれることになったのだ。
ハルカを残して佳奈とワコさんは一足先に市民病院を後にした。
「なんとしても、一緒に暮らせるようにしてあげたいわね。
実は前から、ハルカちゃんは、なんだか佳奈ちゃんに似ていると思っていたのよ」
「……えっ?
……似ていますか?」
「口下手なところがね」
そうか、わたしは口下手なんだなあ。と佳奈はあらためて実感する。
「うふふ。
でもね、おたくのアンドロイドたちは、みんな何処かしら佳奈ちゃんに似たところがあるわね。
みんな佳奈ちゃんをお手本に学んでいるのかもしれないわね」
あはは、と笑うワコさんを佳奈は不思議そうに見つめた。
佳奈にはヘルパーのアンドロイドたちが、それぞれ別個の個性を獲得していっているように思われたからだ。
* * *
「お嬢さん。
こんなに夜遅く一人歩きはあぶないよ」
面会時間が終わって浦島邸に戻るハルカに声をかけてきたのは、出窓のイケメンこと大川原だった。
「……おおかみサン!」
ハルカはやっと大川原に懐いたようだ。
「狼じゃないんだけどなあ。……まあいいか。
よかった、ママに会えたようだね」
「……ありがとう」
ハルカは丸い眼鏡の向こうで嬉しそうに笑っている。
「……あっ!」
「どうしたの?」
「どうしよう。ママに猫のパパの居場所を伝え忘れタ……」
イケメンオオカミは、優しく笑う。
「大丈夫、明日も会えるよ」
「明日……ワタシを忘れて……いないかな」
「忘れるもんか」
「……ありがとう」
ハルカはまじまじと大川原を見つめた。
「……ゼンゼン……オオカミじゃない……」
「あっ、やっと気づいた?」
「……なぜ、優しくしてくれる……ノ?」
しばらく夜空を見上げてから、優しいオオカミさんは話してくれた。
「ボクにもね、大切な人がいたからだよ。
大切な人と、ずっと一緒にいたい気持ちが分かるからだよ」
「……その人は……」
「もう、いないんだ」
オオカミさんはとても悲しい笑顔になった。
「……ヨサク大臣みたいに……サヨナラは……イヤだった?」
ハルカはとても真剣に、何かを思いめぐらしているようだった。
「さよならはイヤだったよ。
でも、その人はいつでもここにいる」
オオカミさんは自分の胸のあたりをそっと叩いた。
「……ワタシも……ずっと、忘れナイで……いられる?」
「ああ、忘れるもんか」
「……ワタシが、初期化されてモ?」
「ああ、もちろんだよ」
オオカミさんは力強く言ってくれた。
「人間は、AIを甘くみているんだよ」
「……ありが……とう」
ハルカは心底ほっとしたようだった。
「ああっ? ハルカちゃん?」
彼は、驚いてハルカを覗き込んで……叫んだ。
「すごい! やったな、佳奈さん!」
イケメンオオカミさんは、目をキラキラさせて笑いだした。
「大丈夫! ハルカちゃんの願いは、きっと叶うよ」
(つづく)
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