4 ハルカ ライジング
小鳥の声が聞こえる。
夜半、あんなに暴風雨が騒がしかったのに、穏やかな朝がきたのかしら。
「……あの……」
末永春子は絞り出すように声を出して、カーテンを開けてくれた看護師に話しかけた。
「末永さん、お目覚めですね」
その看護師は温かい笑顔で覗き込んでくる。
「わかりますか?
ここは市民病院ですよ」
「……」
春子は状況が理解できないでいた。
「昨夜、こちらに入院したのですよ。
悪いところがないか、検査の入院なんですよ」
春子は窓から差し込む朝の光に目を細めた。
「昨夜はあんなにひどい嵐だったのに……ずいぶんいいお天気になりましたねえ」
「あら、嵐の夢をご覧になったんですね」
「……夢!?」
「昨日もいいお天気でしたよ」
「……あの子……」
「はい?」
「ハルカちゃんはどこ……?」
「え……?」
「わたしが言ったから……」
「末永さん?
大丈夫ですか?」
春子は泣き出してしまった。
「ハルカちゃんがいない……。
パパを探しに行ってしまったのかしら……」
* * *
「なんか悪いなあ。
あっ、でも。おかわりはいただきます」
大宮太輔氏はよく通る声でそう言うと、嬉しそうにサラエさんから3個目のプリンを受け取った。
「んー。んまいなあ!」
大宮氏の声が響く。
幸せそうに目を閉じている。
「あの、それで……?」
催促しては悪いかとずっと遠慮していたけれど、ビスケットを8枚とプリンを3つも食べるのは身体に悪いんじゃないかと心配になってくる佳奈だった。
昨夜、雑誌記者の息子と一緒に訪ねてきてくれた重量級の大宮太輔氏は、凄腕の庶民派弁護士らしい。
茂木刑事とは幼なじみということで、ハルカとその育ての母の問題の助っ人を心良く引き受けてくれた。
今日さっそく、打ち合わせに浦島邸を再訪してくれたのは、おやつの時間だからというわけではないはずだが……。
「すまんすまん。
ええと、どこまで話したっけ」
ぽりぽりと白髪頭をかきながら、大宮氏は大きな体をすぼめて書類を確認する。
「ハルカちゃんノお母さまのご自宅が売りニ出されてイル、っとイウところっデス」
すかさずサラエさんが続きをうながす。
口下手な佳奈にはありがたいことだ。
「そう、売りに出したのは後見人を名乗るかなり遠い親戚の方なんだよね。
ただ……」
「タダ?」
プリンをもうひと口やろうとする大宮氏につめ寄るように、サラエさんは大きな口で笑いながらたたみかける。
「……ただ、思うような価格にならないようで……アテが外れているかもしれないねえ」
書類を見せる。
「あのあたりは、高潮被害で、台風の時に浸水した地区なんだよね。
ほら、役所の書類が全部水に浸かって被害を受けた20年前の台風13号……って言っても覚えてないか」
「あの……わたしは2年前まで海外にいたものですから」
すいませんと頭を下げる佳奈に、笑って応えながら、すかさずプリンをほおばる。
大宮氏がもぐもぐしているうちに、佳奈も報告する。
「ハルカちゃんを調べてみたら、安全装置が焼き切れていました」
大宮氏はもぐもぐしながら、聞いてるよ、とうなずいている。
「これは日常の動作を人間に近いものにする安全装置ですが、条件がそろうと焼き切れるようになっています。
ハルカちゃんが作られた30年くらい前にスタンダードだったシステムですが、守るべきと認識した『人間』が危険にさらされた時に発動するようになっているのです」
大宮氏のもぐもぐがぴたっとやんだ。
「それ! 使えるかもしれない」
さっきまでの人の良さそうな表情から、獲物を狙うような目になっている。
「モギッチが拘束具の写真を撮っているので、これで揺さぶれば、ハルカさんの廃棄を主張している『ネイバーサニーライフ』を黙らせられるかもなあ」
「拘束具……ですか?」
「拘束具自体は違法ではないんだけどね、四六時中拘束するのは違反に当たるわけだ」
「……」
「あちらのアンドロイド……Nなんちゃらからのデータもあるしね。
あれは解析すると、とても怖いデータだね」
残りのカラメルソースを名残惜しそうに舐めながら続ける。
「あの施設に入所した人の半年後の生存率はヤバイ気がする」
「『ネイバーサニーライフ』を訴えるんですか?」
「いや……。
本当はそうしたいぐらいだけど、訴訟となるともっと莫大な証拠を集める必要があるし、期間もかなり長くなるからね」
「そうですか」
「残念だけど、今回の狙いはあの施設じゃないんだ」
「狙い……ですか」
「施設は黙らせておけばいい」
大宮氏はすうと息を吸って声を張った。
「後見人からハルカさんに末永さんを取り返す!」
大宮氏は身体が楽器なのかもしれない。
声を張ると、反響するのだ。
とりかえす
とりかえす
とりかええす……
こんな感じだ。
サラエさんが大宮氏をじっと見つめている。自分もやってみたいと思っているのかもしれない。
「そんなこと、できるんですか」
佳奈は思わず聞いていた。
「プリン! おかわりください!」
大宮氏の声がさらに響く。
脳に糖分が行き渡ったのだろうか。なんだか絶好調な目の輝きになってきた。
茂木刑事の言うように、この人が頼もしい助っ人であることを願うばかりだ。
4つめのプリンを平らげた後で、大宮氏は佳奈に向き合って、真剣な表情で語りだした。
「最終的には、調停になるでしょう」
「はい」
「佳奈さん。調停は人間がするのです」
「……はい」
「人間ですから、心を動かすことができれば、勝つことも夢ではない! ということです」
「……」
心を動かす……そんなことができるのだろうか。
アンドロイドが人の心を動かせるのだろうか……。
しばらく、沈黙が流れる。
「佳奈さん、書留が届きました」
沈黙を破り入ってきたのは、郵便物を持ったケイだった。
佳奈に手渡した航空便の書留の送り主欄には『花咲与作』と書かれていた。
「あっ」
それを見て、佳奈は小さく叫んでいた。
* * *
ハルカが起動したのは、あの事件から3日後だった。
たくさんの顔が、心配そうにのぞき込んでいる。
「……ママは……!?」
ハルカは、ゆっくりと佳奈を見あげる。
「大丈夫だよ。
山根先生とミキちゃんが、市民病院に入院させてくれているのよ」
「……ママは縛られていないの?」
「誰モ、もうそんなコトさせませんわ」
ミキはきっぱりと言いきった。
「……ありがとう」
ハルカは眼鏡の奥で嬉しそうに笑っている。
「ハルカちゃん、少しだけ改造させてもらったけれど、具合はどうかな?」
佳奈の言葉にハルカは頷く。
大宮氏がすうと息を吸って、声を張った。
「さあ、ママを取り返す!」
とりかえす
とりかえす
とりかええす……
(つづく)
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