2 超人ハルカ
気持ちのいい風が吹いている。
今頃の季節の夕暮れ時には、海からの風がやわらかく頬にあたる。
美しい海辺の街は、あちらこちらに花が咲き乱れて、例年以上にあでやかだ。
いつものように仕事を終えて、『ネイバーサニーライフ』に向かうハルカを呼び止める男があった。
「やあ、よく会うね」
鼻すじの通った、いわゆるイケメンという風貌の男だ。
ハルカはこの男に見覚えがあった。
「毎日、お仕事の後にどこへ寄り道しているの?」
『浦島パートナーズ』の副業、『ティールーム水晶亭』のお客さまだ。
いつも3時頃に出窓でコーヒーを飲んでいる。
「……こんにちは」
「ハルカちゃん、可愛い赤い帽子だね」
「……ありがとう……」
「ところで、毎日どこへ行くのか、教えてくれない?」
「……なぜ……でスか?」
ハルカは少しだけ後ずさった。
「だって、この時間によく君を見るんだもの。
浦島邸とは反対の方に歩いて行くでしょ。
どこへ行くのか知りたいじゃないか」
男はどんどん近づいてくる。
「……あの……『ネイバーサニーライフ』に行クところです」
「へえ、そこにおばあさんでもいるんだね」
男は親しげな笑顔を向ける。
「……いえっ。ママです」
ハルカは強く首を振って、言い切った。
ハルカはロボットなので、もちろん本当のママはいない。
その人は、ハルカを慈しんでくれた人。
この可愛い赤い帽子もその人に買ってもらったものだ。
「ふうん。そうなんだ」
男はあたりを見回して続けた。
「ねえねえ、このあたりのお花はあのドラム缶ロボットが植えたものでしょ?
ママに少しだけおみやげに積んで行ったらいいんじゃない」
ハルカはちょっと落ち着かなくなった。
なんとなくこの状況は、むかしママから聞いたお話を思い出させた。
赤い帽子の可愛い女の子がお花を積んでいるうちに、オオカミが先まわりしておばあさんを食べちゃうお話だ。
「……あの……知らない人……と話しちゃ……いけナイ……って」
「あーあ、そうか。ごめんごめん」
その男は美しい顔をくちゃくちゃにして笑いかけてくる。
「いつもティールームで会っているから、馴れ馴れしかったね」
男はぽりぽりと頭をかきながら、自己紹介した。
「申し遅れました。
僕の名前は、オオカ……」
やっぱりオオカミだ!
と、ハルカが思ったその時、明るい声が割って入った。
「あらっ、大川原くんとハルカちゃんじゃない!」
* * *
ワコさんは、ずいぶん長い間笑いころげていた。
「だいたいねえ、お花を積んで……って、大川原くんは怪し過ぎるのよ」
涙まで出ている。
「ひどいなあ、ワコさん。
こんなに善良な市民なのに……」
「それにしても、ハルカちゃんは想像力が豊かなのねえ」
「……あの、ママに……教わっテ……」
3人でわいわい笑いながら、『ネイバーサニーライフ』に到着すると、玄関からNー41という最新式のアンドロイドがじっとこちらを見ていた。
2人と別れて玄関へ入っても、まだNー41はハルカをじっと見ている。
「……こんにちは」
ハルカは会釈をして、ママの元へ急いだ。
カチャリカチャリと、音が聞こえている。
あれは、拘束具を外す音だ。
「……ママ」
ママの手首のアザは濃くなっている。
看護師はハルカと入れ違いに慌てて出て行った。今日は言い訳もしない。
「……ママ、わすれな草……あっタよ」
わすれな草を見て、ママの目が輝いたようにみえる。
良かった。
貴重な時間を少しだけ費やしたかいがあった。
「……オオカミさんが、持って行ったら?って、言ってクレたの」
嬉しそうに報告するハルカにママは笑いかけてくれる。
「……ご親切に……」
けれど、ママは戻ってはこない。
今日のように仕事のある日は、ママと過ごす時間は僅かだ。
夕食を食べさせるくらいのことしかできない。
この頃はママが戻ってこないことの方が多くなってしまった。
それでも、ハルカは嬉しそうに話しかけたり、身体をさすったりしてあげるのだ。
……ゆうやけこやけで
……ひがくれて……
『ネイバーサニーライフ』にハルカの澄みきった歌声が響いた。
ミキちゃんみたいに上手ではないけれど、ハルカの声は、どこか懐かしくて切ない響きだ。
ハルカは、ママを赤ちゃんみたいに抱きかかえて歌い続けた。
やはり、Nー41がドアごしにこちらを見つめているのがわかった。
そういえば、今日は、ママと過ごしている間ずっと、Nー41の視線を感じていたのだ。
「さあさあ、もう面会時間は終わりですよ」
いつものように、看護師にせき立てられて、ハルカは立ち上がった。
「……ママが眠ルまで……何モしないデ見守ってくれるんデスよね……」
念を押すハルカに、
「もちろんです」
その看護師は、ハルカを見ないで答えた。
「……明日モ来るからね」
ハルカの声は、ママに届いただろうか。
* * *
ハルカが『ネイバーサニーライフ』の玄関を出ようとする時、Nー41が後を追うように近づいてきた。
Nー41はじっとハルカを見つめて、通信してくる。
<あの人は、あなたの何?>
<……大切な人です>
ハルカが答えると、Nー41は目を細めた。
<大切……わからない>
<でも、あの歌はとても気持ち良かった>
<……ありがとう>
はにかみながら、ハルカはお礼を言った。
<ありがとうはこちらからよ。
ありがとう!>
Nー41はますますハルカを見つめている。
そして、突然目をつぶった。
<歌のお礼に……>
ぱちっと目を見ひらく。
<このデータは知っていた方がいいわよ>
Nー41はハルカにそのデータを送ってくれた。
その内容に、ハルカは衝撃を受けた。
「ああっ!」
一声叫んで、ハルカは耳をすませる。
パチリ、カチャリという金属音とママのあらがう声が聞こえた。
<あなたがいない時には、ほとんどベッドに縛りつけて薬で眠らせているわ>
「あああっ」
叫びながら、ハルカは廊下を駆け戻った。
階段を音も無く駆け登る。
ハルカがママの部屋のドアを開けると、看護師の姿はもうなかった。
そして、ママはベッドに拘束されていた。
硬い拘束具は動くと腕や足に食い込んで痛いのか、ママは身体を動かさないようにしてぼろぼろ涙をこぼしている。
「ママ……」
駆け寄ってみると、拘束具には鍵がかかっている。
「あああっ」
ハルカは拘束具をこじ開けようとしたが、開かない。
「ウあああっ」
ハルカの中で、何かが壊れたような感覚があった。
そして、補助的なスイッチが入るのを感じたその瞬間、拘束具はベッドの枠ごとちぎれ飛んでいた。
「ウあああっ」
注射器を持って戻った看護師が見たのは、ママを守るように仁王立ちしながらうなり続けているハルカだった。
「ウあああっ」
どんな力を出したのだろう。
ハルカの腕もちぎれかけていた。
(つづく)
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