第4話 わすれな草
1 ハルカの憂鬱
『浦島パートナーズ』の朝は早い。
小鳥がさえずり、この海辺の街のあちらこちらに咲きほこっている花々の朝露がまだ消えない頃。
丘の上の浦島邸では、『浦島パートナーズ』のAI搭載アンドロイドたちが活動を始める。
「しっかり充電している?
なるべく午後3時にはお茶の時間を持ってね」
オーナーの佳奈に見送られて、介護施設、病院、個人宅と。行き先はまちまちだが、みんなそれぞれ支度をして6時過ぎには出かけていく。
今日は土曜日なので、ハルカはお休みをもらっていた。
ハルカは自分のクロゼットを開ける。
ハルカはロボットなのにたくさんの服を持っているのだ。クロゼットにはずらりと可愛らしい服がかかっている。
それも全部丁寧に手作りされた服だ。
これから、これらの服を作ってくれた人に会いに行く。
春らしい青い小花柄のワンピースを選んだ。
* * *
「ほら、ちょっと着てみて」
その優しい人はハルカを呼んだ。
「わあ、やっぱり!この柄にして良かった。
ハルカちゃんにとても良く似合うわあ」
その人はハルカの髪を優しく撫でてくれた。
「この模様の花はね、忘れな草」
「……ワスレ……ナグサ」
「そう、そうよ。
わたしを忘れないで! っていう意味なの」
「忘れナイ……」
その人は嬉しそうに笑っていた。
「ハルカちゃん、可愛い!
だあいすき」
* * *
「ハルカちゃん、可愛い!素敵なワンピースだね」
佳奈がにこにこと笑っている。
ハルカはものすごく人見知りだけれど、佳奈のことは信頼している。
「これからお母さまのところへ行くのよね。
お母さまによろしくね」
「……ハイ」
ハルカは丸いフチのメガネの奥で嬉しそうに笑って、玄関を出て行った。
その人はハルカの本当のお母さまではない。
ハルカは人間ではないので、本当はお母さまはいないということは知っている。
けれど、その人のことを思うとハルカは優しい気持ちになる。
その人に会いに行くのだと思うと嬉しくて、ミキちゃんみたいに歌って踊りたくなってしまう。
「ママ……」
小さく呟いて、踊り出したい気持ちをグッとこらえる。
* * *
ハルカはママと30年一緒に暮らしてきた。
20年前に春香という赤ちゃんを病気で亡くしたママは、ハルカが発売された時、一目見るなり運命を感じたのだと話してくれたことがある。
「ハルカちゃんだってすぐにわかったのよ」
パパは、とても高価だったハルカをママのために買ってくれたのだ。
それから夢のような30年間。
ハルカはメイドロボットだったけれど、ママは最初ハルカにはほとんど家事をさせなかった。
それどころか、ママはハルカにたくさんの可愛らしい服を手作りしてくれた。
可愛い色のメガネも靴もたくさん買ってくれた。
夜はママのお布団で眠った。
パパとママとハルカの日々は、いつでも笑顔の日々だった。
ママはたくさんの歌をハルカに歌ってくれて、たくさんの物語をハルカに読んでくれた。
歌って笑っているうちに月日は流れて、パパの介護が始まると、ハルカも一生懸命ママを手伝った。家事もするようになった。
パパもママもハルカの作った料理をたくさん褒めてくれた。
去年パパが亡くなってからは、ママとふたりきり。
そうしたら、庭に子猫が迷い込んできて、ママはその猫にパパという名前をつけた。
パパを見てママは笑う。
ハルカに「楽しいね」と笑いかける。
それで、ハルカも嬉しくなる。
そんな日々だった。
けれど、ママとハルカと猫の「パパ」との穏やかな暮らしは、長くは続かなかった。
ある日突然、ママは介護施設に入ることになった。
パパの介護でお世話になっていたケアマネジャーのワコさんの紹介で、ハルカは『浦島パートナーズ』で働くことになったのだ。
* * *
ママが入所しているのは、『ネイバーサニーライフ』という、この街では一番規模の大きい介護施設だ。
全国的に展開しているこの施設は、天才浦島博士の助手だったという平良博士が創設したAIとロボット科学の大企業『ネイバーJカンパニー』の傘下にある。
雑誌などでよく取り上げられているように、『ネイバーJカンパニー』製の最新式の介護アンドロイドなどでも有名な施設なのだ。
<わたしはNー41。新しい介護アンドロイドです>
『ネイバーサニーライフ』の入り口で、その最新型アンドロイドが通信してきた。
ある程度の医療行為の資格を持つばかりでなく。ミキちゃんに匹敵するくらいの可愛い外見のきらきらアンドロイドだ。
小さく会釈して、ハルカはママの部屋に向かった。
いつもより少し早く着いてしまったからなのか、看護師たちはばたばたと慌てているようだ。
ハルカは、ぱっと見はとろい少女のようだが、聴覚などは、かなり高性能。
ママの部屋からは、カチャリカチャリという音が聴こえている。
ハルカがドアを開けると、人間の看護師がベッドに備え付けの拘束具の鍵をはずしているところだった。
「ママ……?」
「寝返りをうってベッドから落ちないようにしていただけですよ」
じっと見つめるハルカに、その看護師は言い訳した。
ママの手首にはアザができている。
「朝食の配膳は廊下にきていますから」
言いながらそそくさと出て行ってしまった。
ワコさんを通じて、土曜日だけは朝の朝食時間からママのお世話をできるように頼んでもらっている。
だが、このところ来る度に、ママの容態は悪化していくようだ。
ハルカはママの細い手首をそっとさすってあげる。
「ママ、ハルカだよ」
ママは焦点の定まらない目でハルカを見つめるだけだ。
暖かいタオルで顔を優しく拭いて、ゆっくりと朝ごはんを食べさせる頃には、ママの視線はだいぶはっきりしてくる。
「どうも、ご親切に……」
でも、ママにはハルカがわからない。
それでも、ハルカはママと過ごせる土曜日が嬉しくてたまらない。
『浦島パートナーズ』での日常を細かく話したり、ママから教わった物語を語ったり、ママから教わった歌を歌ったりして過ごすのだ。
ママは少しずつ笑顔になってくる。
本当は外に連れて行って、与作大臣の植えた花盛りの街を見せてあげたいなあ。
この施設は外出禁止だから、それもかなわない。
ハルカが浦島パートナーズから派遣されて行く『ひまわりホーム』では、最新式の設備はないものの、天気の良い日には、少しでも外で過ごさせてあげようとしているのだが……。
楽しい時間は早く過ぎていく。
もう夕焼けが始まる。
ママを窓の近くまで連れて行って、ハルカは「ゆうやけこやけ」を歌う。
その時、誰かの視線を感じた。
少しだけ開いたドアからこちらを見ていたのは、入り口で声をかけてきたNー41というアンドロイドだった。
夕食が終わり、帰る前にと、ママの身体を綺麗に拭いてあげると、ママがやっと戻ってきた。
「……ああ、気持ちがいい」
ママは嬉しそうに目を細める。
「ありがとう、ハルカちゃん」
「ママっ」
ハルカは自分が何かで満たされていくのを感じていた。
「ハルカちゃん。大丈夫?」
ママはハルカにしがみついてくる。
「……ウン」
ハルカは優しくママを抱きしめた。
「……ねえ、あの子、どこにいるの?」
ママは子猫のパパのことを心配しているのだ。
「あのネ……パパはネ……」
ハルカが言い終わらないうちにドアが開いて、朝の看護師が現れた。
「まだいらしたんですか?
これから就寝のお時間ですから、早くお帰りください」
看護師の手には鍵が握られている。
「……ママに何をするの?」
看護師はもっていた鍵をポケットにしまいながら、笑ってみせる。
「危ないことがないように、おやすみになるまで見守っているだけですよ」
ママは、ハルカにしがみついたまま今にも眠りそうだ。
「とにかく、早くお帰りください」
たたみかけるように、看護師が言う。
「……ママ、心配シナイで……」
ハルカはそっとママを寝かせて、立ち上がった。
「……ママを、お願いシマス」
深々と頭を下げて、部屋を後にした。
あんなに楽しかったのに、今はもう哀しみがハルカの胸には広がっているのだ。
(つづく)
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