3. 遠い海鳴り
「驚いたなあ」
日に焼けた顔で沢木康夫氏は笑った。
「本当にみつこじゃないんですか?」
信じられないという風にしげしげとサブリナをみつめている。
「みなさん大変お世話になりました」
それは沢木老人の葬儀から10日ほど経った秋晴れの日だった。
唯一の身内である息子の康夫氏が、ワコさんに連れられて「浦島パートナーズ」を訪ねてきたのだ。
60代だろうか、海洋学者で現在は南太平洋での海面上昇被害を調査研究しているそうで、長い間帰国していないとのことだった。
「交通手段の不便な離島での調査中だったので、こんなに帰国が遅くなってしまって申し訳ありませんでした」
佳奈やその場にいるヘルパーさんたちにも深々と頭を下げている。沢木老人に似ている風貌なのだが、真摯で腰の低い態度だった。
「では、父の最後はあなたが看取ってくださったんですね」
サブリナの手を両手で包みこむように握ると、目には涙があふれてくる。
「父はあなたに会えて喜んでいたでしょう」
ロボットのサブリナに人間にするように話しかけてくる。
「みつこを手放したことをすごく後悔していたんです」
「みつこは僕が物心ついた頃から我が家におりました。
母の身体が弱かったので、家政婦さんをお願いしていたけれど、父が頑固者なのでなかなか務まる方がいなくて苦労していて……。
それで当時高級品だったみつこを購入したらしいです」
「父に文句を言われても、もくもくと働くみつこに父がどんどん懐いていったそうなんです」
こぼれてくる涙を拭おうともしないで、サブリナの手を嬉しそうに握ったままである。
「みつこが来てから父がすごく穏やかになったと、よく母が申しておりました」
「尚子サンでスカ?」
「え? ご存知でしたか。母は尚子といいます」
サブリナに敬語を使う沢木康夫氏が、佳奈はとても好きになった。
そして、 こんな風に沢木老人もサブリナの手を握って離さなかったな……と、思い出していた。
* * *
初夏の木漏れ日の中、沢木老人がサブリナに出会ったあの日から、サブリナは毎日沢木宅へ通った。
それが沢木老人の願いだったからだ。
もちろんマジックでバツ印を付けられることはなかった。
当然毎朝のお叱りの電話もなくなったが、ある日サブリナが戻らない夜半に沢木老人から電話がかかってきた。
「おい、みつこが止まってしまったぞ」
しかし、慌ててサブリナを迎えに行った佳奈に、沢木老人の言葉は意外なものだった。
「みつこを叱るんじゃないぞ。メンテナンスどうのと偉そうに言うなら、ちゃんと充電ぐらいしてやれ」
サブリナは旧式なシステムに無理矢理スペックを上げてあるので、フルに充電をしても比較的短時間で充電切れを起こしてしまう欠点があった。
佳奈がメンテナンスに工夫をこらしても、それは度々起こってしまった。
「みつこがまた動かないぞ」
その度に、なんだか楽しげに電話をかけてきた。
沢木老人は動かなくなったサブリナの手を握って待っているのだ。
結局、小型の充電ブースを沢木宅に据え付けることになってしまった。
サブリナはよく沢木老人に仕えた。
食事や入浴はもちろんのこと、ボサボサだった髪や髭もきちんと刈り込んであげて、通院も管理した。
晴れた日には毎日海岸まで連れて行くのが日課になった。
海岸線は、ますます深刻になる高潮のために護岸工事が施されている。
「昔とはぜんぜん違う」と文句を言いながらも、飽きずに波音に耳を傾けている沢木老人に辛抱強く付き合った。
そんな日々が続いたあと、沢木老人にガンが見つかった。
胃壁に粉を吹いたように広がった発見しづらいガンで、見つかった時にはもうどうすることもできなかった。
しかし、沢木老人は最後の日々をサブリナと穏やかに過ごすことができたのだ。
* * *
「僕が子供の頃、よく家族と我が家の近くの海岸でピクニックをしたんです。母の日光浴も兼ねて。みつこが弁当とお茶を用意して。父と僕は笑ってばかりいました」
沢木康夫氏は懐かしそうにあらためてサブリナをみつめた。
「みつこは我が家に笑いの絶えなかった頃の幸せな思い出なんです」
「そんなに気に入ってらしたのに、なぜ手放されたんでしょう」
当然の質問をワコさんが口にした。
「僕が大学受験の頃でしたね。40年も前のことです。リコールだったはずです」
「リコール? まあ、そうなんですか」
「なにか安全面で問題があるとか……そんな事だったかなあ」
「購入価格の倍額で引き取ると勧告のような感じで電話があって……。
父は断ったんです。金も新しいロボットもいらないと言って。
でも結局、装甲車みたいなごつい車がみつこを連れに来て……」
佳奈も『ミツコ』のリコールは聞いたことがあった。
「父はものすごく怒鳴っていましたが……だめでした」
最後は車の運転手に懇願したのだという。
「直してくれと……」
必ず直して家に帰してくれと訴えていたそうだ。
「みつこがいなくなっても、必ず帰ってくるはずだからと言って、不自由しても他のロボットは買いませんでした。
母の具合がいよいよ悪くなると、父は仕事を他人にまかせて家のことなどをやっていたようです。
僕は留学して研究室も海外で……。ネット電話はしていましたが、向こうで結婚してからはほとんど戻ってくることもなくなってしまって……お恥ずかしい……親不孝者ですね」
沢木康夫氏がサブリナのいれたお茶を美味しそうに飲み干してひと息つくと、柱時計が3回鐘を鳴らして午後3時を知らせた。
「父はみつこを返すべきじゃなかったと、よく言っていました。とても後悔しているようでした」
なごり惜しそうに何度も振り返りながら、沢木康夫氏は帰っていった。
* * *
「沢木さんは、よっぽどみつこに会いたかったんだね」
佳奈とサブリナは沢木老人が好きだった海岸線に来ていた。
ここ数年護岸工事が進んで、海岸線は以前のような優雅な波打ち際ではなくなっている。
微かな機械音がして、サブリナはまるでなにかを考えているようだった。
波打ち際がさま変わりした海の音は、低くうなっているように聞こえる。
その海鳴りを聞きながら、佳奈は夕焼けが始まった秋晴れの空を見上げた。今日も幸せな夕暮れがやってくるのだ。
微かな機械音がする。サブリナは何かの音を再生し始めた。
「カナ、コレ聞いテ」
佳奈はサブリナの再生音に耳をすませた。
風の音と、遠く波音が聞こえる。それから笑い声。
優しい声の女性と男性の声が二人。そのうち一人は若い声だった。
サンドウィッチがどうとかおにぎりがどうとか他愛ないことを言ってはどっと笑ったりしている。
そして、微かな機械音と、短く「ハイ」というサブリナによく似た声。
「これは?」
「ミツケタ。ミツコ272号の記憶データ。
クラウド上ニハミツコたちノ記憶データタクサンアル」
「コレハみつこノ大切ナ記憶デス」
まだ海岸線が美しかった頃の海鳴りが聞こえてくる。
佳奈はサブリナが再生しているざわめきに聞き入った。
微かな機械音。
「ハイ、ワカリマシタ」
そして、佳奈のよく知っている沢木老人の声が笑いながら言う、
「ありがとうみつこ。ありがとうな」
録音はそこで終わっていた。
「ああ、そうか……」
「沢木サマコノ音聞イタ。亡くナル時」
「みつこも会いたかったんだね」
サブリナが小さく頷いたように見えた。
「沢木サマ泣いテイタ。アリガトウと言っタ」
二人はしばらく黙ったまま空をみつめていた。いよいよ暗さを増して、細い月と宵の明星が光りはじめていた。
「さあ、明日は病院のお手伝いがたくさん入っているから「浦島パートナーズ」は忙しくなるわよ。
サブリナはヘルパーさんたちの監督をしっかりお願いしますね」
微かな機械音がする。
「ハイ、ワカリマシタ」
(第1話 遠い海鳴り 了)
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます