2. ミツコ
「あの、大変申し上げにくいのですが……」
「言いにくいことなんざ言うな!」
今日も元気に攻撃してくる沢木老人である。
「言うだけ時間の無駄じゃ」
たたみかけてくる言葉に怯みながらも、伝えなくてはならないことがある。
「わたくしども所属の介護保険適用のヘルパーは全部で7名ですので……」
佳奈は無理やり笑顔を作りながら続ける。
「昨日までで全員が伺ったことになります」
もちろんこの笑顔は電話の相手には見えないので、自分を勇気づけるための笑顔なのだ。
「ですから今後は、昨日までに伺ったヘルパーの中から選んでいただきたいのです。」
「全部気に入らんと言っとる!」
即座に怒鳴ってくる。
「そうなりますと……」
「もっといいヤツは金がかかると言うんじゃろう!」
なぜか勝ちほこったような沢木老人の罵声だった。
とはいえ、これはちょっと的はずれと言わなくてはならないだろう。
「あ、いえ。そんな保険適用外のS クラスのヘルパーはわたくしどもにはおりません」
「なにい!いいヤツはいないというのか」
怒りながらも、拍子抜けしている感じが伝わってくる。
「わたくしどもは大手ではなく中小の……それも小の方の……いえ、弱小の派遣会社なので」
「……」
「残念ながらうちのヘルパーたちは型式が古いので、保険庁の種分け区分ではB クラスになります」
「……」
「でも、うちはヘルパーの質の良さとメンテナンスでは定評があるのです。
お気に召さない点を具体的におっしゃっていただければ、できるだけご希望ににそうように調整することもできます」
「理由なんかわからん。気に入らんのだ」
取りつく島もない言い分だったが、沢木老人は目に見えてトーンダウンしてきた。いつもの苛立ちは感じられなくなっている。
まさか弱小と聞いて可哀想にとでも思ってくれたのだろうか。
そういえば、マジックの件はともかく、AIたちに暴力を振るうわけではないのだから、もしかしたらそこまで理不尽な人ではないのかもしれない。
ただ偏屈なところがあるだけで……。
「あの、今日はとりあえず初日のハルカを伺わせます。
それと担当のケアマネジャーとわたくしも同行させていただきます。
介護方法のご希望など、もう一度詳しくお話しいただければ、できる限り対処するようにいたします」
これが昨日ケアマネジャーのワコさんと相談した結果だった。
もちろん、面談をしてもなんの決め手にもならないかもしれない。けれど。沢木老人の頑なさは単に認知症が進んだからという風なものとは違う気がしていた。
そもそも、先月脳梗塞の発作で入院するまでほとんど病院にも行かず一人暮らしをしていた沢木老人である。退院後も定期的な通院が望ましいけれどもままならない。
通常は介護ヘルパーには通院などもまかされているのだが、この状況では、そんな責任を果たせそうにない。なんとか処方された薬を飲ませるのが精一杯なのだから。
ほんのささいな糸口でもつかめれば……。
「……」
「お料理の好みなども遠慮なくおっしゃってください。いろんなことを少しずつ良くしていきましょう」
少しの沈黙の後、沢木老人はやっぱり嫌味たっぷりに口をひらいた。
「ふん。おまえのところのポンコツどもじゃ何かが良くなるとも思えんが、話を聞きたいというなら会ってやらんこともないがの」
前言撤回。
くえない偏屈老人だ!
……いけないいけない、落ち着いて! とにかく、会ってくれるというのだから。
「まったく。さんざ国に尽くして長生きしてもロクな介護も受けられん。嫌な世の中だ!」
はき捨てるように、いつもの決めゼリフを沢木老人は投げつけてきた。
それが特に気に障ったわけではなかった。
念を押しただけなのだが、佳奈の最後の言葉はなんだか脅しみたいになってしまった。
「ただ、どうしてもわたくしどものヘルパーでは対処できないという場合には、大手派遣会社さんと交代することになると思います。
きっと特別料金のS クラスや、最新式の特S クラスヘルパーさんも取り揃えていらっしゃるはずですから」
* * *
「ワタシモ一緒イイですカ?」
ハルカを乗せてエンジンをかけていたら、サブリナがバンに近寄ってきた。
「今日イチニチ、ハルカサんト一緒イイですネ」
なるほど、サブリナがサポートをしてくれたら傾向と対策を練りやすいかもしれない。
サブリナは姿こそ旧式でいわゆる機械的な外見と音声だが、そのA I のスペックの高さは「浦島パートナーズ」では群を抜いている。
クラウド上での情報収集と実体験をもとに、経験を積んで成長していく自律型A I を搭載している。
対象物に優しく触れたり力強く持ち上げたりする自律制御能力も経験から学んで上達していく。今でもこのタイプのA I は開発者にちなんで浦島方式と言われている。
この浦島方式A I によって、あらゆる家事をこなすことができるようになったサブリナは、今から80年以上前に、妻を失った浦島博士が幼い娘を育てるために開発したのだった。
サブリナ誕生から約30年後に、サブリナの姿を模して一般向けの浦島方式A Iを搭載した世界初のお手伝いロボット「ミツコ」が発売された。それが今から50年ほど前のことだ。
たくさんの道具を使いこなして家事をする「ミツコ」に世界は熱狂した。世界中のセレブリティの間でブームになるほどの伝説の大ヒット商品だったといわれている。
実はある事情で、現在「ミツコ」はほとんど残っていないのだが。
「ミツコ」の成功を受けて、各所で次々開発されたお手伝いロボットは外見や声をより人間に近づけることに重点がおかれてきた。
人工皮膚や音声システムの進歩で、人間的になっていったけれど、こなせる仕事自体は初代の「ミツコ」の時点でほとんど完成していたといわれている。
そして、よりコミュニケーションに重点を置いて用途も多様化しているのが現在のA I 事情である。
事実「浦島パートナーズ」の他のメンバーたちは、毎年廃棄されていくいろいろな用途のA I たちを佳奈が拾い集めて構成したものだ。
曾祖父ゆずりの佳奈のロボット工学の腕で、A Iのスペックを上げることと、人間のような暮らしをさせることで、人間との共感度を上げている。
彼女たちは作られた目的は違っていても、今は「浦島パートナーズ」を支える大切な仲間になっている。
この頃では、彼女たちの内に感情らしきものの芽を感じる佳奈だった。
それは佳奈の至福の瞬間でもある。
* * *
最寄り駅でワコさんを拾って、沢木宅に到着したのはちょうど午前7時になる頃だった。
沢木宅はこの海辺の街の東側、つまり海岸線に近い住宅地にある。バンを止めてドアを開けると、遠く海鳴りが聞こえてくる。
年月の経った庭木の緑が眩しい朝の日差しを遮る広い庭で、電動車椅子の沢木老人は待っていた。
毎日のレコーダーで確認しても、沢木老人は庭で過ごすことを好んでいるようだった。
メイド服姿に小さなメガネをかけたハルカを先頭に、ワコさん、佳奈と続く。
門を開けて庭へ入ってきた一行をみとめて、さっそく沢木老人は怒鳴りはじめる。
「遅いぞ!」
遠く聞こえていた波音はかき消えた。
「わしの世話なんぞしなくていいと思ったか!」
ワコさんが小さく息を吸ってなにか言おうとしたときだった。微かな機械音がしてサブリナが合流してきた。
サブリナを見るなり、沢木老人の罵声がぴたりとやんだ。
「……」
まるで凍りついてしまったかのように動作さえ中途半端なまま止まってしまった。不精にぼさぼさとのびている白髪の一本一本でさえ時を止めたかのようだ。
「……」
しかしその一瞬間の後に、沢木老人は叫んでいた。
「みつこ。どこに行ってたんだ」
誰かを叱りつけるいつもの罵声ではない。
悲痛な叫び.
しっかりとサブリナを見すえて、まるで押し寄せる怒涛の大波に抗うかのように、不自由な身体を震わせている。
「みんな……みんないなくなった」目にはみるみる涙が溢れてくる。
「康之も。尚子も……みんないなくなった」
つづく
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