シロと呼ばれた白い子犬

月乃兎姫

シロと呼ばれた白い子犬

「パパぁ~♪ ボク、コレがいいなぁ~♪」


 今年幼稚園に年長組みになったばかりの幼い男の子は、白い子犬を抱きしめながら近所のペットショップで父親にそうねだりました。


「10万円もするやつか。もっと安いものだとばかり思っていたが、子犬って案外高いモノなんだなぁ。だが、本当にコレでいいんだな? あとから違うのと言っても返品することはできないからな。ちゃんと一人で世話するんだぞ! 分かったな?」

「……う、うん! もちろんだよ♪」


 男の子は父親に頭を撫でられながら、嬉しそうに子犬に頬ずりしました。

 男の子はずっと念願だった子犬を手に入れることができてご満悦の表情でした。


「ところで、その犬の名前はもう決めたのか?」

「う~~ん、とね……シロ!」

「シロ? 何でシロにしたんだ?」

「白くて、ちっちゃくて……それにかわいいから♪」


 これが男の子と『シロ』との初めての出会いになりました。


 それからと言うもの、男の子とシロはいつもどこに行くのも一緒でした。シロが大好きなボール遊びのときはもちろん、散歩のときも、ご飯のときも、お風呂のときも、眠るときまでいつも一緒でまるで本当の兄弟のように過ごしました。


「シロずっとそのままの姿・・・・・・・・・で一緒にいてよね!」


 シロには男の子の言葉は理解できませんが、「ずっと傍にいて欲しい……」っという男の子の想いはちゃんと伝わってました。


 ……ですが1ヶ月、2ヶ月、半年っと日が経つにつれ、少しずつシロを取り巻く環境が変わっていきました。男の子としていた毎日の散歩も2日に1回、3日に1回と序々にその回数が減り、食事も毎日だったのが最近は2日に1度ありつけるかどうか。また大好きなボール遊びもここ1ヶ月はまったくしていません。シロはボールを咥え男の子に「あそぼうよ♪」と誘いますが、


「シロ。あとで……」

「くぅん」


 っと手で払われてしまい、断られてしまいます。

 シロは悲しそうに鳴きますが、とうとう相手にはされませんでした。


 そこから更に半年が経ち男の子も小学校に入学した頃には、いつしか子犬だったシロも今では男の子よりも身体が大きくなり、立派な成犬と呼べるまでになっていたのです。


 ……ですが、シロに対する男の子の態度は一向に変わりませんでした。いいえ、むしろ以前よりも更に悪くなっていました。


「くぅ~ん」


 シロは空腹に耐えかね、からっぽのお皿を咥え男の子に食事をねだりますが、


「シロ2日前にエサあげたでしょ!」

「くぅ~ん」


 そう男の子に怒られてしまい、シロは悲しそうに鳴きながらエサを諦めます。シロは頭が良く、エサがあるところはわかっていますが、そこにあるのはエサが入っていた空の袋だけでした。袋に頭から突っ込むと、空の袋を舐め水だけで空腹をどうにかしのぎます。



 そんなある日のことでした。シロは『男の子』と『男の子の父親』とおでかけすることになりました。もちろんシロにはどこに行くかわかりませんが、首輪にリードをつけられたので『散歩に行く』のか、もしくは『公園でボール遊び』をしてもらえると思い大喜びでした。


「ワンワン♪」

「シロ! 吠えてないで、いいから早く車に乗ってよっ!!」

「く、くぅん? ワンワン♪」

(今日はこの乗り物でどこかへおでかけでもするのかな? でも遊んでもらえるなら、どこでもいいよね♪)


 シロは男に怒られ不思議そうに首を傾げましたが、「男の子と一緒にお出かけ出来る♪」というだけで嬉しくなり、喜んで車に乗り込みました。


「…………」

「…………」


 移動している最中、男の子も男の子の父親もまったく何も話しません。互いに無言のまま、一言すら言葉を交わすことなく、男の子は窓から望む景色を眺め、男の子の父親は運転に集中していました。そしてそれから車に乗って数時間以上が経った頃でした。公園に着くどころか、いつしか車は人どころか建物も少なくない風景になっていました。


「……わう?」

(……ここはどこだろう?)


 窓から見える景色はシロにはまったく見慣れない、初めて目にする風景でした。周りを見渡してみてもそこは公園と呼ぶにはあまりにも木が多すぎました。そして車ががたがた、がたがた……っと舗装されてない道を進んで行き、どんどんっと山の奥深くへと入っていきました。


 シロが不安になり「ワンワン!」と吠えてみると、


「シロ、もうすぐ着くから静かにしろ!」

「く、くぅん」


 そう男の子の父親に怒られてしまい、シロはしょんぼりっとしてしまいました。


 キキーッ。そして突如として車が森の中で立ち止まりました。


「くぅん? ワンワン♪」

(ようやく着いたのかな? やっと遊べるんだ♪)


 シロはここで男の子と遊べると大喜びして、千切れんばかりにしっぽを振り振り。


「ワンワン!」

「……ほら、シロ。…………降りて」


 シロは喜び鳴いていると男の子に白い首輪ごと強く引っ張られ、車の外へと出されてしまいます。周りは本当に木が多く、そこは『森』と呼んでも言いくらいの場所でした。


「ほんとうに……いいんだな? 後悔しないな?」

「いいから、パパ早くしてよ!!」

「わかった。わかったから……」


 男の子と男の子の父親が何かを話していましたが、シロには人の言葉を理解できません。そうこうするうちに男の子の父親が車の中から、あるものを取り出しシロへと見せてきました。


「ほ~らシロ、コレをよく見るんだぞぉ~。シロが大好きなボール遊びだぞ~。ここで投げても、ちゃんと取ってこれるよな?」

「わぅ? ワンワン♪」

(今日は男の子とのボール遊びじゃないんだ……。でもでもコレをちゃんと取ってこれたら、今度は男の子がボクと遊んでくれるよね? 頭を撫でて褒めてくれるよね? ならボク頑張るよ♪)


 そうシロは期待するとまるで返事をするように「ワンワン!」っと元気に鳴きました。


「よぉ~しいくぞ~、ほぉ~~らっ!! シロっ!! あっちだ!! ちゃんと取ってこーーい!!」


 男の子の父親は大きく振りかぶり、森の中にボールを投げこみました。男の子とは比較にならないくらい、ボールは遠くに遠くに、そして森の奥の方へと飛んでいきました。


「ワンワン! ワンワン!」


 シロにとっては、本当に久しぶりのボール遊びだったので楽しくて仕方がありませんでした。


 また急いでボールを取ってきて頭を撫でてもらいたい、男の子に褒めてもらいたい!

 シロにはただただそれだけの想いで、一心不乱にボールが飛んで行った方向に全速力で走ります。


 するとシロが一心不乱に走り出したと同時にバタンバタン……ブ~ンっと、何故かボールを取りに向かって行ったのとは反対の方向で大きな音がしました。


 シロが不思議に思い振り返ってみると、今乗ってきたばかりの乗り物が遠くへと走り去るのが見えました。


「(あれっ? ボール遊びは? 男の子は? ボクは一体どうすればいいの?)」


 シロは森の奥深くへと投げられたボールを取りに行くのも忘れ、遠くに走り去る車を急いで追いかけようと走り出しました。既に遠く離れてしまった車の窓には男の子の姿がしっかりと見えました。


「パパっ!! シロが来たよ!? もっともっと早く、車のスピードを上げてよ!! じゃないとシロに追いつかれちゃうでしょっ!!」

「……分かっている」

「ワンワン! ワンワン!」

(ボクまだ乗ってないよ! こんな所に一人で置いてかないでよ!)


 シロは一生懸命に走り車を追いかけようとしますが、どんどん距離が開くばかりでした。そして水溜りへと左前足を捕られて横倒しに転んでしまいます。その衝撃で泥水が目へと入り、視界が歪んでしまい前がまったく見えません。それでもシロはすぐに立ち上がり、走り出しました。ここで男の子の姿を見失ってしまっては、もう二度と会えないかもしれない。その思いだけで走るのを止めませんでした。


 ……ですが、とうとうシロは車を見失ってしまったのでした。


「くぅ~ん」


 シロは車を見失ってしまい、男の子の姿が見えなくなると悲しそうに鳴いてしまいます。それでもまだシロは諦めていませんでした。


「ワンワン!」

(早く家に……男の子の元に帰らなきゃ!)


 それだけがシロの望みであり、唯一の心の支えになったのです。



―1ヵ月後-



「…………ぅぅ」

(やっと、ここに……家に帰ってこれた)


 空腹と喉の渇きで声も出せません。傷だらけでやせ細り黒く薄汚れた犬がいました。それはあのシロでした。


 シロは男の子の匂いだけを頼りに1ヶ月以上かけ、何百キロと離れた男の子の家に帰ってきました。もはや『シロ』とは名ばかりに、毛もきたな薄汚うすよごれてしまい、元々が白い犬だとは思えないくらいです。


 そして元々シロは満足な餌を与えて貰えず痩せてましたが、今の姿はあばら骨が浮き上がり、とても言葉にするのも躊躇ためらってしまう姿になっていました。体の傷も噛み傷、擦り傷、とても数え切れないくらいの痛々しい傷ばかり。右の後ろ足も少し曲がり、既に骨折しているのかもしれません。

「それでも男の子の元に帰りたい…………」その願いだけでここまで来れたのです。


「シロ♪ シロ♪」


 シロの耳にいつしか懐かしく、探し求めていた大好きな男の子の声が庭から聞こえてきました。


「(ワンワン!)」


 自分の名前を呼ばれ喜んで叫びたいシロでしたが、喉の渇きのせいで満足に声が出せませんでした。それでも『自分の名前を呼んでくれる男の子の元に早く行きたい!』と痛がる足を引きずりながら、やっとの思いで庭の白い柵までたどり着きました。



 そこでシロが目にした光景とは…………



 家の庭で男の子とシロと呼ば・・・・・れる白い子犬・・・・・・が楽しそうにボール遊びをしている姿でした。


 その光景を目にした瞬間シロは初めて……「自分が男の子に捨てられた」のだと、気づいてしまったのです。


「わんわん!」

「どうしたのシロ・・?」


 男の子と遊んでいたシロと呼ばれる白い子犬が、柵から眺めていたシロ・・に気づき吼えたのです。


「…………」


 シロは近づいてきた男の子に何かを伝えたいのですが、ショックと喉の渇きとで声が出ませんでした。すると男の子も柵の外にいるシロに気づきました。


「パパっ!! 柵のところにいる黒くて汚い野良犬がウチのシロを狙ってるよ! 早く助けに来てっ!!」


 男の子はそう叫ぶと父親に助けを求めました。男の子の父親は男の叫び声を聞きつけると、ゴルフクラブ片手に柵の外にいるシロ目掛けて、激怒しながら走ってきました。


「この野良犬がっ! あっちにいけっ!!」


 ゴルフクラブを振り上げ野良犬を叩きのめそうとした矢先、何かに気づくと振り上げたまま静止しました。男の子の父親は、じっと何かを見つめていました。

 それは黒くて汚い野良犬が、首に付けていた薄汚れた白い首輪を見ていたのです。掠れてよく見えませんがそこにはローマ字で『siro』とありました。


「お、おまえ、まさか……シロ? もしかして……あのシロ・・・・なのか? どうしてここに……」

「(コクコク)」


 声が出せないシロは頷くと、口からあるモノを男の子の父親の前に置きました。


「…………これは?」


 そのあるモノとは……シロがボール遊びで使っていた赤いゴムボールでした。シロは言われたとおりにちゃんと男の子の父親の言いつけを守ったのです。


「パパぁっ何してるのさっ! 早くその汚い野良犬を退治してよ!! ウチのシロが怖がってるでしょっ!!」

「あ、あぁ……わかった。わかったから……」


 男の子は『シロと呼ばれた白い子犬』を抱きかかえながら、父親にそう言いました。シロには男の子の言葉はわかりませんでした。

 


 ……ですが、男の子から嫌がられてることだけはすぐに判りました。



「ほらこっちだ! こっちに来いシロっ!!」


 シロは地面に踏ん張り必死に抵抗をみせますが、男の子の父親に首輪を掴まれ、そして骨折している右の後ろ足を強く握られてしまいます。


「わぅっ!?!?!?」


 骨折して曲がった右の後ろ足を強く握られ、痛さでシロは叫びました。


 男の子の父親はそんなシロを構わずにずるずる、ずるずる……っと地面を引きずりながら、車の後部座席へと放り込むようにシロを無理矢理乗せました。


 シロは必死に男の子の姿を探します。車の窓から見えるのは、男の子と『シロと呼ばれた白い子犬』が楽しそうに庭でボール遊びをする姿が見えるだけでした。


 シロは車の中で涙が溢れる目をつぶります。目をつぶるとそこには男の子と昔の自分が、楽しそうにボール遊びをしている風景が写りました。


 そしてそれがシロの目に映る……男の子の最後の姿になりましたとさ。



おしまい

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