第20話 ピンチ拡大
「何でこうなるかな?」
あまりの急展開に路人はむすっとそう言っていた。暁良が誘拐されて丸一日。共犯者だと思っていた奴が目の前に現れるなんてことがあっていいのか。いや、普通はないだろう。
「簡単な話ですよ。俺の企みを勝手に赤松が利用した。おかげで奇妙な展開になっていただけです」
にこっと笑い佑弥は言い放つ。が、路人は納得できずにむすっとしたままだ。それは研究室に集まった誰もが同じで、連れてきた優斗だって納得しているわけではない。
「君の味方はあの菱木操だけだってことか?」
路人はじいっと佑弥を見ながら訊く。何か怪しい動きはないか。真剣に見極めようとしているかのような目だ。
「そうですよ。まあ、彼は単なる協力者です。俺は赤松のやり方が気に食わなくて、大学を抜け出したあなたを探していたんですよ。しかし一向に尻尾を掴ませてくれない。そこで流行っていた科学者狩りを利用したんです」
佑弥はすらすらと理由を述べるが、その背後にいる優斗は信じるべきではないと目で合図を送っている。それは用意周到な写真や暁良の誘拐のタイミングなど、疑うべき点が山のようにあるからだ。
「信じると思ってるの?」
試しに路人はそうストレートに訊いてみる。しかし佑弥は笑うだけで余裕の態度だ。その様子が、らに疑惑を強めると解っているだろうにやっている。何だか礼詞とは別の意味で腹立つなと路人はイライラしてしまった。
「信じる信じないは一色先生次第ですけど、あなたがあそこから逃げたした理由は赤松より解っていますよ」
路人のイライラを感じ取り、佑弥はそんなことを言い出した。それに対して路人はじいっと見つめたままだ。
「あなたが逃げ出したのは過度な重圧や研究への不満ではない。ただ小さい頃から我慢していた色々なことをやりたかっただけだ。小さい頃からあなたは自分がやりたいことはこんなことではないという態度だったそうですね。それがいつまでも続くことで不満が爆発した。そこに科学技術省立ち上げの話があり、余計に嫌気が差してしまった。その頃、研究の中心が赤松に移っていたことを幸いに、逃げ出したんですよね。けれども総てを投げ出すほどあなたは無責任になり切れなかった。だから態度が中途半端なんだ。ここにいるのは、戻るタイミングを見失っているだけではないですか?」
ズバズバと遠慮なく言う佑弥に、横で聞いている翔摩と瑛真の方がハラハラしてしまった。確かに路人がここにいる理由はやりたいことを実現するためだろう。そしていずれ戻らなければならないと自覚していることも合っている。しかしただそれだけで逃げたのだと指摘されていい気分になるはずがない。案の定、路人の顔色が悪くなっている。
「どうでもいいよ。戻らなければと思っているのは、まだ教授としての籍が残っているらしいからだ。さっさと見限ってくれと直談判しないとね。それに俺が科学技術省に必要だと思うか?君ならばどう思う?赤松のように責任感のあるタイプの方が、周囲との軋轢もなく済むだろう。それに社会の要請に合わせられるのはいつも赤松だった。はあ、こんな議論は無駄か」
思わず言い返してしまったが、それは無意味だと路人は手を振った。すぐに思考を修正し、佑弥を見つめ直した。こいつの企みが今の言葉に集約されている気がした。つまりこいつもまた連れ戻すために用意された駒なのだ。ただし、礼詞の命令で動いているわけではない。
「何者なんだ、菱木操。まあいいか。で、何がしたいの?」
まだ路人は暁良の居場所が掴めていない。あんな牢屋のようなものがある場所なんて知らないし、そもそも礼詞がそのまま暁良をそこに入れているとは思えない。
「それはあなたがしたいことですよ。陣内暁良を取り戻したいんですよね?だったら、俺たちの罠に嵌ってください」
にこっとした笑顔を保ったまま、佑弥はそんな不穏当なことを言い放つのだった。
一方。暁良は休憩がてらに夕食だと言われ礼詞と一緒にレストランに出掛けていた。勝手にいなくなるとは思っていないのか、はたまた客の中にまた仲間が紛れ込んでいるのか。ともかくどこかを拘束されるなんてこともなく、暁良はステーキに齧り付いていた。
「どうだ?説得する気になったか?」
がつがつとステーキを口の中に突っ込む暁良に呆れつつ、礼詞は気持ちの変化があったかと訊く。
「いいや。俺が知るより、あんたが今の路人を知ったらいいんじゃないか?今の路人はいつも楽しそうにしているぜ」
朝と昼が抜きでまだまだ腹が減っているんだよと睨みつつ、暁良は礼詞に言い返す。どう考えても過去の路人を知って戻るよう説得することは出来ない。だったらお前が歩み寄れよと思ってしまったのだ。
そもそも、路人は二度と戻らないとは言っていなかった。まだ遊んでいたい。それだけなのだ。それを勝手に戻って来いだの説得しろだの言うのは間違っている。
「楽しそうにしているね。そんなものはあいつに必要ない。俺たちがあいつに期待するのは正確に研究をこなすことだ。その正確無比な頭脳を誰もが求めている。お前たちが今、何不自由なくロボット技術を使えるのも、総ては路人の研究があってこそだ。あいつは何を勘違いしたのか自分が役に立っていないと思っているが、そんなことはない。いつも中心にいるのはあいつだ」
礼詞はがつがつ食べ続ける暁良に、お前の認識が間違っていると主張する。ついでに路人の認識も間違っていると指摘してきた。
「こういうのを平行線って言うんだな」
難しいなと、暁良は食べる手を止めて頭を掻く。それに路人が何かで嫌になっているのだ。それも探らなければならないらしい。
「多くの人間が一色路人の復活を待っているんだ。だからこの一年半、誰もが休憩期間と納得して手出ししなかった。僅かに接触する者もいたが、それでも帰れと言うことはなかったんだよ。それは暗黙の了解があるから成り立っていただけだ。そもそもあんな目立つ男が逃げ切れるわけないだろ。何をやっても人の耳目を集める」
さっさと説得しろと礼詞は言うだけでなく、ちゃっかり愚痴を付け足してきた。まあ、その礼詞の指摘は間違っていないので暁良は何も言えない。必死にネットの情報は消しているようだが、路人の行動を記憶している人は多いだろう。特に大の大人がクマのぬいぐるみを抱えている姿なんて、噂話にはもってこいである。
「苦労しているようね」
そこまで話が進んだところで、横のテーブルで食事をしていた女性が声を掛けてきた。
「あっ」
しかもその女性を、暁良は知っていた。どうしてここにという思いと、また嵌められたのかとの思いが交錯した。しかし礼詞も驚いているので罠ではなかったらしい。
「一色先生。どうしてここに」
礼詞の問いに、一色穂浪は僅かに微笑んだ。しかし表情はどこか厳しいままである。写真で見た通り、女傑という感じがビシビシ伝わってくる。
「あの子の性格を見越して陣内君を取り込もうというのは面白い案ね。でもそれだけではへそを曲げた路人を動かすのは難しい。それに陣内君も納得できない。そうよね?」
暁良の横に座った穂浪はそう訊いてくる。あまりに圧が凄くて暁良は素直に頷いていた。
「そうです。納得できません」
その答えに満足したように頷くと、今度は礼詞を正面から見る。ああ、これでは路人の母親コンプレックスが治ることはないなと、暁良は横にいる穂浪を見て思った。穂浪はどこをどうとっても世間一般の母親像からずれている。
「一色先生。他に何か策があると言うんですか?」
緊張した面持ちで礼詞は訊く。ここで反対されると面倒だと思っているのは明らかだ。それだけ穂浪の発言力は大きい。まあ、相手はノーベル賞受賞者。当然と言えば当然だった。
「君の動きを予測して一つの策をすでに発動している。いいかな。路人は単に説得すれば素直になるタイプではないよ。むしろ意固地になる。だから今回のような逃亡をすることになるんだ。もちろん陣内君は重要な要素だ。これからも協力してもらう。しかし、それだけではダメだよ。私に任せなさい」
ようやくにこっと笑って言い放つ穂浪だが、その喋り方が路人とそっくりで暁良は笑いそうになった。どうやら女性らしい言い方は対外的なものであって、普段はそんなの面倒だと思っているらしい。うん。どこまでも女傑だ。
「ということは」
「路人はすぐに戻って来るよ。まったく、昔は手の掛からないいい子だったというのにね」
穂浪は困ったものだと言うが、それは何か間違ってないかと暁良は思う。が、路人と自分のピンチはさらに拡大したというわけだ。
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