第12話 コンプレックス

 無事に路人の朝ご飯を買い終え、猫の飼い主の元へと行く準備が始まった。

「予めアポイントを取っておくべきかな」

 暁良は住所と一緒に記載されている電話番号に気づいて呟く。すると電話で猫を持っていくことを拒否されたら終わりだろうと翔摩から真っ当な意見が飛んできた。

「うっ。やっぱりそう思う?」

 それは薄々気づいていたことだけに、暁良はやっぱりかと猫を撫でながら肩を落とした。やはりあの女の子、猫を巡ってケンカしたに違いない。そして、捨てて来いとでも言われたのだろう。で、運よく猫がこの研究室に入り込み、預けていったとしか思えない。

「玄関前に置いてこればいいだろ?そんな猫に義理を感じる必要はない」

 もぐもぐとカレーパンを食べる路人は一刻も早く猫と別れたいとそう言ってくる。本当に無責任な奴だ。朝からカレーパンが食いたいと、何も聞かずに出掛けた暁良にメールをしてくるし、どこまで我儘を貫くつもりなのか。

「それは根本的な解決になっていないだろ?またあの子が持ってきたらどうするんだよ」

 暁良が正論を吐くと、路人はぐっと猫を睨みつけた。お前のせいで大迷惑だと、口では負けるから目で訴え始める。

「ここは当たって砕けろ。行くしかないな」

 翔摩は俺も付き合うと溜め息だ。ここ二日間徹夜している身に、余計な仕事は辛いという感じか。それでも、今までは翔摩が路人の面倒の大半をみていたらしく動きは早い。暁良がついでに買ってきたおにぎりを口に突っ込んで立ち上がる。

「猫を入れる何かがいるだろ?誰も車の免許なんて持ってないからな」

 さらっとまた電車移動だと言う翔摩に、マジかよと暁良はより一層肩を落とす。そう言えば前回もどうして車ではなく電車なのかと思ったが、向こうに駐車スペースがないという理由ではなく誰も運転出来ないだけだったのだ。

 車はある程度の自動運転が実現しているとはいえ、運転免許は必須だ。もちろん暁良も高校生なので持っていない。

「重いぞ、こいつ」

 ケージに入れても大変だなと暁良が遠い目をしていると

「俺も行く」

 となんと路人まで立ち上がった。いや、明らかに仕事が増えるだけだ。できれば研究室に残ってほしいし、そもそも猫が嫌いなのではないのか。

「ちゃんと向こうに渡すのを見届けるんだ。二度と猫が戻って来ないようにしないと」

 すると路人は何を言っているんだと、嫌いだからこそ行くんだと力説する。もう暁良もツッコむ気力がなく、ああそうですかと言うしかない。そして瑛真はどうするのかと視線を向けると

「路人をよろしくね。ちょっと仕事があるの」

 とパソコン画面を見たままだ。こちらも何かの依頼をこなしているところというわけだ。となると、働いていないのはこの研究室の主の路人だけなのではとの疑問が浮かぶ。

「よし。行くんだったらさっさと行こう。朝というのは一般的に忙しい。そこに押しかけられるとより迷惑。こちらが被った分の迷惑を帳消しに出来る」

 路人はそんなことを言ってご満悦だ。いや、追い返される可能性を考慮しろよと暁良は冷たい目で路人を見てしまった。こいつ、常識というものを間違って使っている。

「ああ、あった。これでいいだろう」

 マイペースにケージを探していた翔摩が、研究室の奥底から大きなプラスチック製の箱を持ってきた。厳密にケージではないが、猫を入れるには余裕があるものだ。

「この研究室って何でもあるのか?」

 箱を受け取ると、暁良はまだ踏み入れていない奥側を見て暗くなる。手前を片付けただけでも大変だったというのに、奥は棚が密集し段ボール箱が無造作に積み上げられる状態だ。断捨離どころか丸ごとすべて要らないものとして処分したくなる。

「まあ、何かと工作するからな。路人さんにロボットの試作品製作や科学者狩り用の罠とか、そういう依頼も舞い込む。そういう時に使うものが揃っているってところだな」

 お前、あそこも片付けるのかと翔摩は期待と不安の目を向けてきた。それだけでやる気は一気になくなる。要するにあそこも路人の私物だらけというわけか。片付けようとすれば路人の妨害に遭い、また進まない状況に陥る。

「さっさと猫をそれに入れなよ。行くよ」

 そんなどんよりした暁良の気持ちに構うことなく路人はもう行く気満々だ。新たに作り上げた罠をリュックに詰め、しっかり背負っている。ファッションセンスはましであるもののあのリュックはどうにかならないのかと、そんなツッコミが出かけて飲み込んだ。たぶん、服がまともなのは奇跡的なのだと思うことにする。

「はあ」

 結局、常識的な奴ってのはいつも割を食うんだよなと、暁良は猫を箱に入れながら思うのだった。





 電車に揺られること十五分。さらに歩いて十分の位置に目的の家はあった。

「家で飼えないから問題になったというわけではないんだな。まあ、ちゃんと飼い猫だって登録されているから当然か」

 猫と家を見比べ、暁良はどうして女の子が猫の処遇に困ったのかと首を捻ることになる。その家は十分な広さがあり、一軒家としては立派な方だ。前回のKSR事件で訪れた桂木邸ほどではないものの、都会の真ん中にそれなりの広さの家であった。

「まあ、この猫が本当にあの女の子のものだったらってことじゃないの?迷い猫を拾って揉めたのかもよ。それならばいいことをしたってだけで終わるね」

 ラッキーと、確実に猫と別れられるだろうと思う路人は笑った。あの女の子の気持ちを考えることはまずないわけだ。

「何はともあれ、家の人と話すしかないな」

どういう理由であろうと、猫を届けてから確認すればいいだろうと翔摩はチャイムを押した。どのみち、この家にあの女の子がいなければ連絡も何もできない。猫騒動は終わりなのだ。

「はい」

 インターホンから女性の声がした。成人であるらしい声から、この人が磯上瑞穂なのだろうと暁良は緊張する。

「朝早くにすみません。お宅の猫を保護したのですが」

 あらかじめメモに書いていた口上を翔摩は読み上げる。社会性に自信がないというのが、こういうところで表れている。思えば翔摩もどうしてこういう調子なのか。暁良はまた謎が増えたなと思う。

「すぐに出ます」

 女性は猫と聞いてより声を固くしたように感じた。これは、ひょっとしてあの女の子の家で合っているのだろうか。そんなことを考えていると玄関ドアが開き、一人のほっそりとした女性が現れた。土曜日だというのに仕事なのだろうか。きっちりとした格好をしている。その女性は、路人と暁良、そして翔摩を見て眉間に皺を寄せた。まあ、どういう関係の奴らだと思って当然なので、暁良はその反応は無視する。

「すみません。この猫、お宅のですよね?ICタグにこちらの住所が記載されていました」

 これまた用意していたメモを読み上げながら翔摩が暁良をせっつく。ああそうかと、暁良は抱えていた箱から猫を取りだ出した。

「ええ。うちの猫です。わざわざすみません」

 そう言ったものの磯上瑞穂は嬉しくなさそうだ。むしろどうして戻ってきたのかと猫を恨めしそうに見ている。その目は、路人とは異なって何だか憎悪に満ちている気がしてしまった。

「あの、女の子がこの猫をうちの研究室の前に置いて行ってしまったんですけど」

 ここは事情を聴きださないとヤバそうだと、猫を持って瑞穂に近づきながら言った。すると僅かに瑞穂の顔が和らぐ。

「あなたたちも科学者なんですね。すみません、ご迷惑をおかけしました」

 この反応に横まで付いて来ていた路人の目が鋭くなった。それまでの浮かれた調子やのほほんとした空気が消える。これは何かに気づいたサインだと暁良は緊張してしまった。

 奇矯なふるまいの多い路人だが、その洞察力はずば抜けている。この猫を巡って何があったのか。

「あの子はこちらのお嬢さんですか?」

 しかし会話を途切れさせるのは不自然なので暁良はそう訊いた。もう役目は終わったと思っている翔摩は油断していたこちらに近づいて来ない。まったく、肝心なところで助けにならない奴だ。

「ええ。奈々といいます。丁度わがままが多くなる年頃で困っています。その猫も」

 そう言って瑞穂は猫を見るも受け取ろうとしない。しかし迷惑になると、相手が科学者だからというのが理由になっているが理解しているので困惑しているという感じだ。

「わがままって、今までこの猫を飼っていたんでしょ?どうして今更ダメだって言ったの?」

「――」

 急に問いを発した路人に大丈夫かと暁良は思うが、瑞穂が息を飲んだのでおやっとなる。

「あなた、その奈々って子からこの猫を取り上げようとした。だからケンカになってうちの研究室の前に捨ててくることになった。そうだよね」

 断定する路人に、そうなのかと暁良は瑞穂の顔を見る。たしかに今までのやり取りは色々と奇妙だと思ったが、そういう理由が根底にあるせいなのか。

「どうして?あの子、猫が好きなんでしょ?」

 問い詰める路人に、だから困っているんですと瑞穂は苦しそうに言った。

「えっ?」

「科学者ならば、そうなるまでに勉強が大変だってことは解っていますよね。今からちゃんとした教育を受けないと、これからもっと科学者の地位が上がる中で置いて行かれてしまいます。私は、自分がした苦労をあの子には味わってほしくない。それだというのに」

 瑞穂は理解できるだろうと言うが、残念ながら路人は苦労知らずの天才だ。それは通じないなと暁良は思う。

「苦労と思うならばやらせなければいいだろ?いずれ科学者だって飽和状態になる。そんなの、あなたの都合であってあの子の都合には合っていない。あんたは親だっていうのに、子どもが好きなことをやらせないのか?」

 すると暁良の予想に反して路人は真っ当なことを言い出す。しかしそれは瑞穂を怒らせるだけだ。

「それは成功されているから言えることです。私は、ここに住めるようになるまでに大変な苦労をしたんです。文系では職がなく、必死に勉強して夜間の大学に通って、ようやくあの子を育てられる環境を手に入れました。あの子に文系の道を進めだとか、理系であっても獣医師のようなものに進めとは、あまり言いたくありません。猫だってそのうちロボットに取って代わられる。ならば今の大事な時間を猫に費やすべきではないんです」

 切々と語られた内容に、暁良は路人と出会った日に見かけたロボット反対運動の大人たちを思い出していた。あの人たちは、これからその苦労をするのだろうか。そして理系科目が嫌いと言っている自分はどうだろうと、何だか暗くなってしまう。

「そういうの、本気で嫌いだよ。勝手に将来を決めないでくれる」

「お、おい」

 そんな反省する暁良の耳に路人の冷たい声が聞こえ、思わず止めに入ろうとする。しかし、路人の真剣な目に腕に触れようとしていた手は止まってしまった。

「言っておくけど、子どもの頃から科学に触れたからって、将来科学者になるとは限らないよ。それとも何、あんたも俺の母親のように逃げられないようにどこかに預けちゃう気とか?俺は、科学なんて大嫌いだった」

「――」

 吐き出された言葉は、路人の過去に関わることだった。科学が嫌いだった。今、楽しそうに何かを作り出している路人からは想像できない。

「でも、あなたは立派に」

「立派じゃないね。それに、子どもの頃を奪われたって、あんたはあの子に恨まれたいの?たった一匹の猫に癒される時間すら奪うっていうの?傲慢だね。あなたはあの子の面倒を見たくないんじゃないか?」

 その瞬間、路人の頬に瑞穂が平手打ちを食らわしていた。それはきっと、総てではなくてもどこかで思っていたことなのだろう。瑞穂の目が少し赤くなっていた。

「猫、ありがとうございます」

 これ以上話すことはないと、瑞穂は暁良の腕から猫を奪って家の中に足早に入って行った。窓から奈々がその様子を見ていたのを、暁良は帰ろうとして気づく。

「わざとやったのか?」

 暁良はまだ怒りの収まらない様子の路人に訊く。路人ならばすぐに奈々が見ていることに気づいたはずだ。だから、あえて自分のことを語る気になったのではないか。

「――帰ろう」

 路人はそれには答えず、足早に駅とは逆方向に歩き始める。また気分を変えたいというわけだ。

「路人さんは、今でもお母さんに捨てられたって思っているんだよ」

 路人を追い駆けながら、翔摩がぽつりとそう言った。

「捨てられた?」

「ああ。実際には英才教育を受けるために、四歳で大学に預けられただけなんだけどね。でも、預けっぱなしでずっと会いに来なかったらしい。今でも、会えない状態だという」

 だから母親というものにコンプレックスがあるんだと翔摩は溜め息を吐いた。

「そういうことか」

 ずんずんと歩いていく路人の暗い一面。それが出来上がった理由を知り、そしてあの奇矯なふるまいは母親に顧みられたいせいなのだということに気づき、暁良は何も言えなくなっていた。

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