第11話 猫は無理!

 さて、残された猫を抱えて困ったままというわけではなく、すぐに行動が開始されていた。

「今は野良猫防止のためにちゃんとICタグを付けることが義務付けられている。これで読み取ろう」

 翔摩はそう言ってスマホのような機械を猫に翳した。するとお尻のあたりで反応がある。

「これだな」

 そう言ってサクサクと仕事をしていく。それを見て暁良は飼い猫にまでそういう面倒な機械が付いているのかと呆れていた。便利になる一方ですべてが機械で解決するというような流れは、やっぱり暁良は好きになれない。

「出た。飼い主の名前は磯上瑞穂となっているな。たぶん、あの子の母親というところか。住所はここから少し離れたところだな」

 翔摩は読み取った結果をプリントアウトして暁良に渡す。その先どうするか。何だか嫌な予感がする。

「さっさと返してきてよ。俺はもう嫌だ」

 そんな様子を机の上に座ったまま見ていた路人はむすっとしている。本気で猫がダメらしい。

「そうは言うけど、もう夜の八時だぞ。今から行くのは、迷惑だろ」

 面倒という言葉を飲み込み、暁良はせめて明日にしてくれと訴える。やっぱり俺が返しに行くのねと、心の中で溜め息も出る。こういうところは、何とか機械で解決しないものだろうかと、ご都合主義な考えが生まれてしまった。

「夜の八時くらい、まだまだ起きている時間だろ」

 路人はじとっと暁良の腕の中で眠る猫を睨みつけて、早く返しに行けと訴える。猫が気が気でなくて何も手につかないのだ。

「あの女の子が寝ちゃっているよ。事情が解らないけど、お母さんとケンカしているんじゃないのかな」

 暁良は猫を撫でつつ正論を述べておいた。すると路人の顔がよりむすっとなった。

「ケンカねえ。確かにいきなり他人に猫の世話を頼むくらいだから、猫を巡ってケンカしているんでしょうね」

 瑛真はそう言いながら、ちゃっかり猫が寝るスペースを確保していく。それだけなく水やキャットフードも用意していた。こういう時、瑛真は路人の味方ではないらしい。

「そんなのどうでもいいよ。うちで預かる意味が解らないもん。ここは俺の研究室なの。猫の居場所はない」

 路人は説得する人数が三人となってもめげない。しかも徐々に我儘の度合いが増していた。これはこれで困ったものだ。さらに猫がいる限りは絶対に机の上から下りないとしがみ付いている。

「大人しそうだから大丈夫だろ。明日は学校が休みだから、朝には返しに行くって」

 仕方ないなと暁良が折れる羽目になる。すると翔摩も一緒に返しに行くからと説得に回った。ここで優先されるのは路人というのがルールであっても、無理なものは無理だと納得させようとする。

「ぐっ。なぜ猫」

 自分が子ども扱いされていると気付いた路人が唸った。そしてそろっと机の上から下りてくる。そして、猫を恨めしそうに見つめていたが、やがて諦めて罠作製に戻ろうとする。

「あっ」

 しかしそんな人間たちの妥協が通じないのが動物だ。瑛真の作った寝床に置いた途端、猫が目を覚まして動き出す。しかも、よりによって真っ直ぐに路人の方へ向けて歩き出した。

「そっちはダメだよ」

 暁良は必死に止めるも、猫の興味は路人に向いているらしい。一方、猫の気配を感じた路人はまた机の上に乗っていた。何とも不毛な戦いだ。

「はあ」

 これは今晩帰れないなと、暁良は猫を抱き上げて翔摩に押し付ける。取り敢えず、今日はここに泊まることを母親にメールだ。この研究室の面々と違って、暁良の親子関係は至って普通なのである。無断外泊なんて許されない。

「お、おい」

 しかし猫を抱きなれていない翔摩はもたもたしている。メールも落ち着いてできないのかと、この絶対に帰れないし猫の面倒は暁良が見なければならない状況に少しイラっとした。

これはとんでもない厄介事だ。まさか機械トラブルより猫の方が大変とは思いもしない。しかも頭脳明晰、ロボットや人工知能は任せろというメンバーがまったく猫の世話をしないとはどういうことだろう。瑛真も寝床の準備などはしてくれるが、猫に積極的に触れ合おうとしない。おそらく可愛いという感情は持っているものの苦手だ。

「あっ」

 もたもたと抱っこしていた翔摩の腕から逃れ、猫はやはり真っ直ぐと路人に向けて駆けていく。先ほど止められたから急いで近づこうという作戦のようだ。

「止めろっ。来るな!」

 猫が迫ってくると、路人は机の上に立ち上がると横にあった作業台の上に飛び乗る。何だか路人の動きが猫のようだ。案外、同じ動物だと思われているのかもしれない。

「ああっ。暁良、捕まえてくれ」

 路人がバタバタと戸棚や机を走り回り始めたので、翔摩は必死に猫を追いかける。が、抱き抱え方がなっていないだけあってするりと逃げられてしまう。そして猫は、ぴょんぴょんと研究室の高い場所を移動し続ける路人に夢中だった。自分もと机の上に飛び乗り、本格的に路人を追い駆け始める。

「あいつ、マタタビの匂いでも発しているのか?」

 あまりに真剣に猫が追い駆けるので、暁良はメールが打ち終わってもすぐに猫を捕まえずに観察してしまう。

「猫じゃらしだと思っているのかしら。動き回るから余計に追い駆けられるのよ」

 瑛真は猫の動きが面白いのか、路人を助けることを忘れてそんなことを言っている。まったく、こんなところでも他の人とのずれを発揮する面々だ。

「いいから捕まえてくれ!暁良!!」

 ついに路人が悲鳴を上げる。翔摩では解決しないと暁良に助けを求めた。

「はいはい」

 このまま見ていても面白いが、路人がバタバタと暴れるおかげですでに研究室が来た当初のように散らかり始めている。これは止めるしかない。

丁度よく猫が机の上から作業台に飛び移ろうとしていたので、暁良は素早くキャッチした。すると猫は不細工な顔を暁良に向け、何するんだよといった目で見てきた。

「はあ」

 自然と、全員から溜め息が漏れてしまう。完全に猫中心の状況に陥っていた。そんな沈み切ったところに暁良のスマホが震え、母親からの返信が入る。

『遊んでばっかいないで勉強しなさい!』

 そんな返信に、だからバイトだって言っただろと暁良は気が遠くなりそうだった。




 翌朝。暁良は猫に顔を叩かれて起こされた。

「ああっ」

 口に猫の手が入り、おげっとなる。すると猫は目覚めたことに満足したように暁良の顔をじっと見つめてきた。

「はあ」

 あの後、路人は作業中は絶対に猫を手放すなと暁良に厳命し、翔摩はまだ仕事の続きがあると逃げ、瑛真は瑛真でパソコン作業に集中してしまって手伝ってくれなかった。そこで仕方なく、暁良はソファで猫と一緒に寝ることにしたのだ。結果、大人しく猫は寝てくれたものの、こうして朝一番から起こされる羽目になった。

 起き上がってみると、暁良が眠ってから七時間経っているというのに三人は同じ位置で同じ作業をしていた。その集中力は恐れ入る。しかも、寝るという基本動作を忘れてしまっているのだ。

「朝の六時かあ。いつもならばまだ寝てるってのに」

 そんな三人と俺は違うのと、猫に餌をやる。どうせ起こした理由はこれだ。すると猫は満足とばかりに暁良の足にすり寄り、それから餌を食べ始めた。

「暁良、ごはん」

 そんな猫に気づいた路人が、俺の分はと要求してくる。まったく、暁良が研究室に出入りするようになって一週間で色んなことを依存してくるんだから困る。今までどうやって生活していたんだと疑問になった。

「買ってくるから、それまで猫を見ててよ」

「ダメ。連れて行けばいいだろ」

 猫の面倒なんて見ないと路人はぷいっと顔を背ける。どうしてそんなに嫌がるのだろう。別にアレルギーではなさそうだし、怖がり方も猫が本当にトラウマの人とは異なる。

「本当は大丈夫なんだろ。飯を買いに行く間くらい見てろよ。ていうか、コンビニに猫は連れて入れない」

 暁良はほらっとご飯を食べ終えた猫を抱えて路人に近づく。すると路人はすぐに机の上に飛び乗った。それまで作っていた罠がばきっと音を立ててもお構いなしだ。

「大丈夫とか、そういう問題じゃないの。俺は自分で何もできない存在が苦手なんだ。あと、自分の意思をしっかり表明できないのも無理。猫のことなんて何も解らないもん。絶対に嫌だ」

 路人は机の上に立ち上がり、やけに偉そうに言い切った。どういう理由だよと暁良はもう呆れる以外に反応が出来ない。

「私が見ているから」

 そんな不毛なやり取りを見ていた瑛真が、そろっと慣れない手つきで猫を受け取った。やはり路人が困っていると助けてしまうものらしい。瑛真にしても翔摩にしても路人に甘すぎやしないだろうか。

「じゃあ」

 しかし今、そんな指摘をしたところで無駄だ。暁良はともかく急いでコンビニに買い出しに行くことになる。

「にしても、あの女の子はどうしてここに来たんだろう」

 家はここから電車で五駅も向こうだ。小さな女の子が一人で移動するには不自然な距離である。しかもあの後、近くで女の子の姿を発見できなかったことから、迷わずに家に帰ったものだと思われる。

「トラブルの予感だな。単なるケンカであってほしいところだ」

 コンビニを目指しながら、この後の展開が思いやられる暁良だった。

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