第13話 路人の過去

 しばらく黙々と歩いていた路人だが

「あそこに入ろう」

 そう言って見えてきたファミレスを指差した。暁良としては長時間の散歩につき合わされたくないし、それに色々と聞きたいことがあるのですぐに同意した。翔摩は路人の行動に意見することはないので頷くだけだ。

 中はまだ朝早い時間とあって空いていた。このファミレスは朝食メニューを提供しているのだが、さすがに土曜日の朝には需要がないらしい。

「何か食べるのか?」

 席に着いてすぐに注文用の端末を手に取った路人に、暁良はまだ胃の中にカレーパンが残っているだろとツッコむ。

「疲れたから甘いのを食べんだよ。イチゴパフェとチーズケーキとあんみつ、あとはアップルケーキかな」

 楽しそうに端末を操作する路人はそう言って大量の甘味を注文してしまう。そんなに食ったら胸やけを起こすだろうと、そんなに甘いものを食べない暁良はドン引きだった。

「俺、なんかカレーが食いたくなった」

 想像しただけで口の中が甘いと暁良はカレーライスを注文する。すると翔摩もちゃっかりハンバーグを注文した。こちらは単に腹が減っただけだろうか。

 しばらくすると、台車の形をしたロボットがテーブルまでメニューを運んできた。こういうところの自動化はいち早く進んだため、暁良にとっても見慣れた光景だ。以前がどうだったかというのは、ネットで動画を見て知っているが、これだけは今の状態でいいなと思ってしまう。

「ああ。疲れたね。何だかバカみたいだ」

 イチゴパフェを一気食いした路人は、ようやく落ち着いたとぼやく。その速さに暁良は呆気に取られていたが、質問するのは今しかない。

「あの奈々ってこと猫、大丈夫かな?結局俺たち、猫の名前すら知らないまま終わったな」

 暁良はそう言ってカレーを口に運んだ。ほど良い辛さに、もやもやしていた頭が動き出す。

「大丈夫だよ」

 次にチーズケーキに取り掛かった路人は、あれほど瑞穂にケンカを売ったというのに軽く請け合う。

「どうして?」

「だって、あの人は自分が間違っていることに気づいていたもん。それにあの子のことを最優先に考えるからこその行動だった。きっと、今頃は仲直りしているはずだ。俺とは違う」

 チーズケーキを口いっぱいに入れて幸せそうな顔をしつつそんなことを言うのだから、暁良は路人の心の傷の根深さを感じてしまう。

「あのさ……路人のお母さんってどんな人なの?」

 躊躇いはあるものの、ストレートに訊いたほうが答えてくれるのでは。そう思って暁良は訊いた。横で翔摩がハンバーグを喉に詰めかけたがそれは無視だ。

「俺のお母さんねえ。ノーベル賞を取ってる」

「――えっ?」

 ケーキをもぐもぐと食べながらさらっと言う路人に、暁良は聞き間違えかと動きが止まった。危うくカレーが服にこぼれるところだった。

「ネットで調べればすぐに出てくるよ。もう十年前かな。そのくらいに取ってる。名前は一色穂浪。会ったことはないけどね。というか、向こうは二度と会いたくないと思っている」

 路人はチーズケーキを食べ終え、次はあんみつにするかアップルケーキにするかと悩み出した。

「二度と会いたくないって、本人に確認したのか?」

 暁良はこそっとテーブルの下でスマホをいじりながら質問を続ける。一色穂浪。たしかにノーベル物理学賞を受賞していた。それに路人の時と違って沢山の情報が出てくる。写真も出てきて、凛々しいという表現がぴったりくる女傑という印象の人物だった。

「したっていうか、向こうがそうメールしてきた。一回目の大学を終えた時だったかな。あの人は、自分の予想より早く大学を出た俺を疎ましく思うようになったんだよ。才能を見抜いたから伸ばしてやりたいという、一応の親心は持っていたけど、予想以上のものを持つ俺が嫌いになっていったんだ」

路人はやっぱりケーキからだよなとアップルケーキにフォークを突き刺す。それはこのファミレスの看板メニューで、リンゴの薄切りが大量に上にトッピングされている。路人はしばらくリンゴだけを食べ、ようやくスポンジ部分を食べ始めた。

「嫌いって、そんなの」

 おかしいだろと、嬉しそうにケーキを食べる路人を見た。どうもさっきから言っている内容と行動が矛盾していてイライラする。別に深刻に語ってほしいわけではないが、何だか無理をしているように見えるのだ。そんなの、普段はのほほんとしている路人に合っていない。

「おかしくないよ。彼女は俺のことをライバルだと思っている。おかげで周囲は俺に過度な期待を抱くことになった。一回でも大学を出れば、俺は普通の生活が出来るんだって思っていた。でも、それが裏目に出た。俺はどんどん普通から遠ざかっただけだった。そんな中で、科学なんて出来なかったらどれだけよかったかって、いつも思っていた。だけど、出来ないのは悔しいんだよね。困ったことに。いつしか、勝手に周囲の期待に応えていた。でも、やっぱり無理って続かないんだよね」

 もぐもぐと食べる路人は淡々と語るだけだ。それに暁良も翔摩も耳を傾けるが、違和感だけが残っていく。

「無理してやっていたけど、ついに嫌になって逃げ出した。今やっている研究室は、要するに避難場所でしかないんだよ。それなのに、どうやって調べているのか客はひっきりなしにやって来る。初めは断っていたけど、情報を出さないことを条件に出来ることや生活費も困ることだしと受けるようになっていったんだよ。それが相談を受けているっていうヤツなんだ。情報に関しては瑛真がちゃんと見張ってくれている。本当は今すぐにでも戻るべきだって思っているのにね」

 瑛真の役割は翔摩とは違うのか。暁良は横にいる翔摩を見ると、翔摩は少し困った顔で頷いた。三人の関係は、思っているよりも微妙なものであるらしい。

「その、戻るってどこに?」

 いつか路人はすごく遠い存在になるのか。それに気づいた暁良は思わず訊いていた。せっかく色々と面白くなるかと思ったのにと、あれだけ科学者のことが嫌いだったのに気持ちは大きく変わっている。

「どこかは言えない。それに、まだまだ戻る気はないよ。向こうが痺れを切らして連れ戻しに来るかもしれないけど、まだ、帰りたくない」

 路人は心配するなと笑った。普段は一切空気を読めないくせにこんな時だけと、暁良は僅かに顔が赤くなる。

「それに翔摩だって戻りたくないでしょ?まあ、必死に俺の代わりに依頼をこなそうと頑張ってくれているけどさ。嫌なんだったら無理しなくていいよ。あの事を思い出して辛いんでしょ?俺、そんなに金に困ってないし」

 今まで黙ったままだった翔摩に向け、路人は言った。すると翔摩はお金は大事ですと反論した。

「でもさあ」

「路人さん。研究室の電気代だけで月にどれだけ掛かっているか解ってますか?すぐに貯金はなくなりますよ。それに、路人さんが勝手に使える特許収入も僅かなんです。無理くらいしますよ」

 翔摩は大丈夫だと頷くが、路人はあまり納得していない感じだ。それはそうだ。毎回毎回、社会生活に必要なことを暗記したりメモしているようでは、苦労していることがバレバレである。

「翔摩もなんか苦労してるんだな」

 どういうことがあったのか、こちらは聞いていいのかどうか解らなかった。路人にまで気を遣わせるのだから、相当なトラウマを抱えているのだろうとは解る。

「苦労って。ちょっとした対人恐怖症だ」

 翔摩はむすっとして答えた。だからそれが無理しているように見えるんだってと暁良は笑ってしまう。

「ま、研究室は今後も変わらずってところだね。暁良、バイトを続けてくれるか?」

 あんみつに取り掛かりながら、さらっと路人は訊いてくる。本当はすごく周囲が見えていて、空気だって読めるのだ。それをあえて押し殺して生きるって、どういう意味を持つのだろうと、母親に顧みられたいだけではないような気がして心が苦しくない。

「もちろんだよ。こんな面白いバイト、他にないからな。それにお前ってすぐに部屋を散らかすし、どうせ友達が少ないんだろ?俺が友達になってやるよ」

 でも、そんな気持ちは一切見せずに暁良は上から目線に言う。すると路人は失礼なとむすっとした。それだけでなく暁良の食べていたカレーの肉を奪う。

「あっ」

「友達ね。うん、それがいい。ただ単にバイトしてくれるだけの存在じゃないもんね」

 路人はにこっと笑ってそんなことを言ってくる。ああ、なんだかんだで最後は負けるんだなと暁良も笑うしかない。

「さて、帰るとするか。今頃、ネットの情報を消し終えた瑛真が怒っているよ」

 空気が和んだところで、路人は立ち上がった。それに暁良と翔摩も素直に続く。

 俺はどうやらすごい奴らと一緒にいるんだなと、暁良は二人の間を歩きながらそれを実感していたのだった。

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