第8話 君にとって母親は?

 死体を前に、二人は途方に暮れていた。どこにも外傷はなく、本当に心不全で通ってしまうほどに綺麗なものだった。

「これは難しいな」

 正直、自分の手には負えない。それが暁良の正直な感想だ。

「だから言い争いになってたんだ。会社の体面を守るならば、このまま事件性はないで通すのがいい。でも、父親としては蟠りを残して経営していられるのか。そこが揉めるんだよ。で、あの先生が現れて決着を付けてもらおうって安易な発想なんだよね。でも」

 健壱はそこで言葉を切ると、静かに横たわる母親に目を向けた。本当はちゃんとその死を悼みたいのだ。それなのに、色々なことが一気に起きてどうしていいのか解らなくなっている。それを感じ取った暁良は、ますます引けなくなってしまった。しかし自分の手には負えない。

「死体が発見されたのは、あのロボットがパーティーの予定を告げたからだったよな。ということは2時か」

 たしか14時に予定されていた。その1時間前に他の客が来ている。これをどう考えていくか。そこが解く鍵だと思うより他なかった。

「そう。なんでそんな予定があるんだっていうのと、母さんはどこに行ったんだって騒ぎになったからすぐに見つけたよ。この部屋にいるのに気づいたのは戸田さんだった」

 戸田は二階の捜索を担当させられたので、それは当然の成り行きだ。それに戸田はずっと翼の右腕といより美弥の右腕として頑張っていた。下手な行動をするとは思えない。

「ううん。不自然な動きをした人はいないのか。でもなんだ、不倫はしていたのか?」

 本人の死体を前にしていい話か。そういう躊躇いもあるが訊かなければ進まない。暁良は嫌な気分になってきていた。この辺りはドラマでは描かれないところだろう。というか、今時こんなにも二時間サスペンスを知っているのは自分くらいではと、ふと疑問に思った。今という時代に不満のある暁良は、ちょっと昔のものへの憧れがあったりする。

「不倫は確実だろうね。なんだか最近、妙に色っぽい時があったしさ」

 そのあたりは解るだろうと健壱は溜め息を漏らす。母親の女性らしい部分を見た複雑さというヤツだろう。しかし、暁良は自分の母親を思い浮かべて無縁な話だなと思うしかない。暁良の母は一般的な母で、スーパーの安売りに命を懸けているようなタイプだ。こんな、昼ドラのような展開に巻き込まれることはまずないだろう。

「でも誰が相手かは解らないんだろ?その、にやけている奴っていなかったのか?」

 さすがの暁良でも配慮ある訊き方は無理だった。男ならではの何かを嗅ぎ取っていないのか。それをストレートに訊ねるしかない。

「いや。まあ、久米さんと戸田さんはないだろうなってくらいだろう。年齢的にも父と同じだし。その、あの二人にときめくんだったら父で良くないかって話だし」

 そのあたりの答えはさすがに言い淀んでしまった。まあそうだ。母親がどういう男を好んでいたかなんて考えたくないだろう。そこらのアイドルにカッコイイと言っているのとはわけが違う。

「そうすると、三宅慎也って奴か、あの上野蓮って人かか。でも上野さんってお前の姉貴の旦那だろ?それこそ」

 昼ドラのような展開と、ここでもちょっと昔のもの好きが顔を覗かせる。しかし実際に起こっていると生々しくて、ドラマのようなハラハラ感はなかった。むしろそれが事実ならば、蓮を毛嫌いして終わるだけだなと思う。

「ここで考えていても何もないよ」

「えっ?」

 考えが煮詰まってしまった二人の耳に、呑気な声がした。振り向くと入り口にクマのぬいぐるみを抱えた路人が立っている。たしか新製品を見せてもらっているのではなかったのか。それすら飽きたのだろうか。

「何もないって、どういうことですか?現場はここでしょ?」

 すぐに健壱は路人に食いついていた。やはり路人はどこか人を惹きつける力がある。色々な変人部分や奇矯なふるまいはあるが、それを押しのけて何か教えてくれるのでは。そんな期待を抱かせるのだ。暁良が片づけをしたりちょっかいを掛けてしまうのも、まさにそれがあるせいなのだ。

「現場にいる必要なんてないんだよ。総てはロボットに任せていればいい。あれだけ頼り切っているんだから簡単だよ」

 何を馬鹿なことを言っているんだといった調子で路人は言い切る。それってもうこの事件の真相が解ったということか。何もしていないのに?暁良は驚くと同時に疑いの目を向けてしまった。

「あのロボット。バグがあるんだろ?そんなのに任せて大丈夫なのかよ?」

「それは大した問題じゃないさ。それより」

 あっさりと暁良の懸念を躱し、路人はずかずかと部屋の中に入ってきた。そして美弥のベッドの前で立ち止まる。

 一体何をする気だ?暁良はここで奇妙なことをやらないかとハラハラしたが、路人は普段ののほほんとした空気から少し悲しげな空気を漂わせた目を美弥に向けただけだった。

「ねえ」

 路人は美弥から健壱へと目を転じると、鋭く睨む。その目は初めて暁良を正面から捉えた時と同じ、しっかりとした目だ。普段のどんな路人とも違う、怖さを含む目で健壱を捉えている。

「な、なんでしょう?」

 急に雰囲気の変わった路人に戸惑いつつも、健壱も正面から見つめる。ここで負けてなるか。そんな思いがあるようだ。

「君はお母さんが好きだったかい?」

「えっ?」

 予想もつかない質問に、暁良は思わず訊き返した。それは健壱も同じで、一体何を訊かれれているんだときょとんとしている。

「答えて。それによって、俺は真相を全員に披露するかどうか決めちゃうよ」

 路人は鋭い目のまま、これは冗談ではないと示している。一体どうして母親が好きかどうかが関わるのか。ひょっとして路人が導き出した答えはそんなにもえげつないのか。暁良はハラハラが止まらない。

「――好きですよ。好きだから、真相を知りたいんです。あいつらと俺は違う」

 真剣な問いだと解った健壱はちゃんと答えていた。どんな真実でもいい。美弥のことが、母親のことが好きだという感情に変わりはない。それを示した。

「解った。事件は単純明快なものだ。問題は誰にでも出来ることが可能だったということ。特定するには、ちょっとまだ足りないってところだね」

 路人は健壱の答えに満足したようで、そのまま部屋を出て行こうとする。しかも事件は単純明快だって?しかも誰にも出来た?不倫は関係ないのか?暁良の頭の中は疑問だらけだ。

「ま、待てよ」

 健壱を一人で残すのは気掛かりだったが、暁良はすたすたと歩いていく路人を追いかけた。急に動き出すし、変な質問はするし、そのうえで事件のことが解っているってどうなっているんだという気分だ。

「彼、羨ましいな」

「えっ?」

 追いついた暁良に、路人はクマのぬいぐるみを撫でながらそんなことを言う。どうやらクマのぬいぐるみをには何かあるらしい。しかも母親に絡むような。捨てて悪かったなと、胸がチクリと痛くなる。あれそのものは重要ではないが、クマのぬいぐるみを持っていることに意味があったのだ。

「君もお母さんを好きだって断言できる?」

 路人は反省して落ち込む暁良に気づき、くすっと笑って訊いた。こんなことに気づいたのは、一緒にいる瑛真や翔摩を除いて初めてのことだ。

「そりゃあ出来るよ。普段は口うるさいし、何かと面倒だなって思うけどさ」

 高校生が素直に母親が好きなんて答えるわけないだろと、暁良は顔が赤くなる。しかし路人に関わることだからと答えていた。

「へえ。いいな」

 路人はそんな暁良を本当に羨ましそうに見ている。これは、踏み込んで訊いていいのか。非常に悩んでしまう。

「俺は、そう言えない」

「――」

 予想できていた答えだったが、路人が言うと非常に悲しい事実のように聞こえるのは何故だろう。恵まれた才能があり、今は変な生活を送っているが、周囲から先生とちやほやされる存在だというのに。ただ母親だけが大きな影となって圧し掛かっているかのようだ。

「路人」

「真相を解こう。彼女を、独りにしておくなんて出来ないし。彼にはちゃんと、最期の時間を悲しむ権利がある」

 路人は気持ちを切り替えるかのようにそう言うと、またいつもののほほんとした空気を身に纏った。まるでそうしていることが、生きているうえで必要だというように。

「――ああ」

 今はまだ聞けないなと、暁良も頷くだけにしていた。しかし、路人の謎がまた増えたのは事実だった。それも、今までとは違う、人間らしい一面に関するものだ。

「母親。それが被害者だったから飽きていても出て行かなかったのか」

 ただ、路人がこの事件からすぐに手を引かなかった理由は明らかになっていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る