第2話 変人だらけの研究室

 ほぼ何の説明もないまま労働契約書にサインさせられ、はっきり言って法令違反だろと思うが、ようやく暁良は網から解放された。

「はあ」

 網から這い出して立ち上がると、やっと連れて来られた場所が確認できた。それにしてもまあ、よく散らかっているものだと思う。路人はどう考えても科学者だというのに、やって来た場所は倉庫と変わらないくらいに物が溢れ返っている。しかも何でもかんでも雑多に置かれていて、秩序というものがまるでない。まさにカオスだ。研究室をイメージしていた暁良にすれば肩透かしである。

「やあ。では改めまして。俺は一色路人。で、あれが桜井瑛真」

 部屋の中をきょろきょろと見る暁良に、路人はのんびりと挨拶をして無理やり握手までしてきた。そしてあのきつそうな女性の名前も教えてくれる。

「はあ。陣内暁良です」

 改めて自己紹介って変だろと思いつつも、これからしばらくは付き合わなければならない相手とあって調子を合わせる。

「この間の子は三日で逃げたわよ。また同じだと思うけど」

 瑛真は挨拶を交わすこともなく、そんなことを言って反対を表明し続けている。やっぱりきつい性格のようだ。美人なのに勿体ないよなと暁良は不満に思う。

「あの、三日で逃げたって」

 それよりも以前にバイトがいて、さらに三日で逃げたという事実が恐ろしい。今、俺は三日間はここにいなければならないことになったのだがと、瑛真の顔を窺ってしまう。

「そのままよ。ここ数日、路人は科学者狩りをやっている連中を捕まえるための機械を開発して遊んでいるのよ。その度に誰か捕まえてきて、丁度いいバイト君を作ろうしては失敗。人使いが荒い上に変人の相手とあっては逃げて当然だけど」

 本人を目の前に瑛真の言葉は容赦ない。言われた路人は話を聞いていないのか、のほほんとしたままだ。

「変人の相手」

 まあすでに変としか思えない人物だ。それに科学者狩りを狩る奴がいたなんて驚きである。そんな反撃、誰も予測していなかった。

「いい加減、その装置から離れてちょうだいよ」

 瑛真は屈んで網の調子を確かめる路人にそう注意する。網が破れていないか心配なのだ。

「遊んではいないよ。こいつを捕まえてくれって頼まれているんだ。それに瑛真がやれって言ったことだろ」

 すると網を片付け始めた路人はむすっとそれだけ反論した。今一つ状況が見えてこない。しかしまあ、逃げる理由は徐々に見えてきた。

「まあいいわ。一先ずここのシステムを教えておきましょう」

 瑛真は契約しちゃったしねと暁良にタオルを渡しながら話し始めた。よく考えたら目くらましに食らわされた粉まみれだったのだ。暁良は有り難く受け取って顔と頭を拭く。

「ここ、この部屋は路人の研究室よ。基本は特許収入で路人が好き勝手に研究している場所。でもそれだけでは成り立たないから、ロボットや人工知能、その他諸々のトラブル相談を受け付けて解決しているの。その過程で、間違って科学者狩りを捕まえることも引き受けたってわけ。ほぼあの人の趣味で成り立っている場所よ」

 淡々と説明されるここの実態に、暁良はすでに嫌な予感以外しない。要するにここは路人が好き勝手にやっているだけの場所。そういうことらしい。

「あの、そんな場所で俺は何を?」

 バイトの入る余地があるのか。まずはそこが謎だ。ついでに瑛真は何をやっているのだろう。路人の恋人だろうか。

「あの人、根本的に片づけが出来ないし、生活がなってないの。それの手助け。要するに路人の世話係よ」

 瑛真はそう言って路人を指差した。網を片付けていたはずの路人は、それを床に放置したままパソコンを弄り始めている。

「興味のままに動くってヤツですか?」

 あの網、多分俺の最初の仕事になるんだろうな。暁良はそう思いつつ瑛真に訊く。

「ご名答。寝る以外の行動は常にあの調子だから覚悟して。今もほら」

 パソコンを弄りながら、路人はついでとばかりにタブレット端末を操作して何かをやり始めた。同時に出来るのは凄いが、それってパソコンにまとめて出来ないのかともツッコみたくなる。

「はあ」

 前任者はきっと、科学者狩りをやっていても良識のある人だったのだろう。だから付き合い切れなかった。暁良は自分も三日が限度かなと思いつつ路人が次々に散らかしていく様を見る。今度はなぜかはんだごてを取り出していた。

「さっき路人さんが何か叫んでいませんでしたか?」

「うわっ」

 他に誰もいない。そう思っていたところに別の声がして暁良は驚いた。きょろきょろと見てみると、物で溢れ返った部屋の隅から誰かが出てくる。

「ああ。彼もここで働く一人よ。でもあなたと違って路人の助手。つまり正式に勤めている人」

 瑛真は何でも正確に言わなければ気が済まない性格のようだ。これはこれで面倒臭いと暁良はげんなりとする。その間に暁良のいる入り口まで、その助手がやって来た。

「また捕まえてきたの?路人さんも飽きないねえ」

 助手は暁良の変わらないくらいの年齢の男子だった。しかしまあ、いかにも理系という空気を漂わせている。冷たそうだし理屈っぽそうだし、ファッションセンスいまいちだしってヤツだ。

「飽きてほしいんだけどね。どうにも楽しいみたい。それはそうよね。歩いているだけで次々と誰かを捕まえられるんだから。鬼ごっこでもやっている気分でしょうよ」

 瑛真は後は宜しくと助手に暁良を押し付けた。まだ名乗り合ってもいないのに放置されては困る。

「あの」

「新人。名前は?」

 待ってくれと瑛真を止めるより先に、助手がそう声を掛けてきた。何だか言い方も腹立つ。出来ればこいつを狩りたい。

「陣内暁良です」

 むっとしつつも答えるしかない。路人の助手ということは、対処法を知っているのではないか。そんな下心もある。

「俺は城田翔摩。まあ、二日持てば大丈夫だから適当にやっといて」

 しかし翔摩はいなくなること前提でそれしか言わない。これには暁良もむきになってしまう。

「ちゃんと働きますよ。時給は950円って言ってましたよね。これって結構いいバイトですから」

 実際にそんなこと一ミリも思っていないが、暁良はそう意地を張るしかない。

「へえ。労働意欲があるなら最初から科学者狩りなんてしなければいいんだ。科学者を恨むなんて馬鹿馬鹿しいことこの上ないからな」

 意地を張られて翔摩はむっとしたようで、そう言い返してくる。どうやら同い年くらいという推測は当たっているようだ。理系でも単純な奴がいるんだとすっきりする。

「それで、一色さんってどんな人なんですか?」

 今までのムカつきが今のですっとしたところで、暁良は改めて路人について訊く。正直、変人以外の情報が得られていない。

「必ず路人さんって呼べよ。名字で呼ばれるの嫌いだからな。年齢は27歳。4歳の時に飛び級で大学に入り、すでに理学、工学の博士号を持っている人だ。天才的な頭脳を持ってはいるが社会性が破滅的にないせいで、自由に生きるためにここで研究している。そういう感じかな。ここまでで質問は?」

 翔摩が一旦言葉を切って確認をしてくる。が、質問すべきことが多すぎてどこから手を付けていいのか解らない情報だ。

「あの。そういう人でも今の時代、重宝されるんじゃないですか?」

 一先ず、社会性がなくても他の仕事が出来るのでは?その疑問をぶつけてみた。

「世の中そんなに甘くないよ。しかしロボットが重宝されているおかげで路人さんや俺のような生きる隙間があるってわけだ。仕事は作ってしまえばいい」

 解っていないなと、同い年くらいの翔摩に言われて腹が立つ。が、こいつも社会性がないってことは理解した。

「それで、世話って何をすればいいんだ?」

 そんな天才で変人の相手なんて想像もできないと暁良は訊く。もう路人のパーソナルデータはどうでもよくなった。ここにいる連中はみんな、社会からはみ出している。そういう理解でいいらしい。

「路人さんの行動をよく見て、それに合わせて行動。それだけだ。こういうのって、意外に機械に出来ないことなんだよな」

 溜め息交じりに翔摩が説明してくれるが、はっきり言って内容はない。しかし路人の手助けが業務という瑛真の言葉が正しいということだ。

「寝る以外はあの調子ねえ」

 今は、どう考えても遊んでいるよなと暁良は路人を見て呆れた。手にはへんてこな姿のロボットがある。どうやら自分で組み立てているものらしい。

「寝るのは二時間だけだ。だからまあ、学校に行く以外の時間の総てを取られることになるぞ」

「え?」

 それは労働法違反だろうと暁良は翔摩を見るが、どうやら冗談ではなさそうだ。顔に笑みが一切ない。

「気に入られればな。連れて来てすぐは誰だって気に入る人だけど」

 お前にやる気があっても無理かもよと、翔摩はそれだけ忠告してきた。それはそれで困るのではと思うも、今までそれで成り立っていたのだろう。だから二人してすぐに逃げると言えるわけだ。

「気に入られる、か」

 すでに暁良がいることなんて忘れているような路人に、それは無理かもと思ってしまった。まあ、成り行きでバイトになっただけ。本当に2・3日付き合えばいいだけなのかもしれない。でも、何だか気になってしまった。

「うわっ」

 路人がパソコンの横に置いていたペットボトルを倒し、床にお茶がばら撒かれる。翔摩は早速仕事だぞと教えてくれた。まさかの網の片づけではなくお茶の片付けからだ。

「路人さん。拭きますよ」

 先ほど自分の粉を叩き落とすのに使ったタオルを持って、暁良は路人の傍に行った。

「ああ。お願い」

 一瞬驚いたような顔をした路人だったが、のほほんと笑って床を示す。自分で片付ける気は一切ないらしい。

「これは捨てていいですか?」

 床に置かれていたために濡れてしまった書類を、暁良は摘み上げて訊く。

「駄目。乾かして」

「――はい」

 すでに前途多難。こっちを見ずにまたパソコンを操作する路人に、暁良は三日持てば奇跡だなと思うのだった。

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