第8話 危険な取引き
倉庫の周辺には暗視ゴーグルを装備した傭兵たちが闇の中に潜んでいた。
積み上げたコンテナの上にも
傭兵たちは異界の神も魔導書も信じてはいないし当然、崇拝などしていない。
彼らは教団から金で雇われているだけだ。
だが、彼らの雇い主の代理ともいえるヴェスナの能力を目の辺りにしていた傭兵たちも事態の異常さを感じ始めていた。
そしてこれからやってくる相手もヴェスナと同じ部類だと聞かされていた。
部隊の中には無神論者も信心深い者もいる。その誰もがこれから起きるかもしれない事態に不安の色を隠せないでいた。
午前0時をまわった時、警報装置が作動する。
倉庫内に設置された簡易司令部的な場所ではノートPCの画面に侵入者を映し出していた。
凜夏・ランカスターだ。
狙撃手も武装した傭兵が周囲に伏せてある事も知っていたが、魔導書を確保するまで手を出さないであろう事は察していた。
平然と約束の場所である倉庫へ歩み進む凜夏を狙撃手の狙撃スコープが捉える。
「顔を確認した。対象本人に間違いない。指示を乞う」
狙撃手が無線を入れる。
「そのまま入れなさい」
ヴェスナが命令した。
命令を受けた傭兵のリーダーは、狙撃手を含めた全員に凜夏に手を出さないように部下たちに指示を出す。
「各ユニット、対象には手を出すな。そのままこちらで誘導しろ」
倉庫の重い扉が開かれた。
暗いの倉庫の中、入ってきた凜夏にライトが照らされた。眩しさで一瞬、目を伏せるると、いつの間にか背後に黒い覆面と防弾ベストに身を包んだ傭兵が二人ついていた。傭兵たちは銃身の短いH&K G36Kアサルトライフルの銃口を凜夏の頭に突きつけた。
「そのまま中に入れ」
傭兵のひとりが言った。
「お前、死なないんだってな」
「そう聞いてるの?」
「ああ、一度試したいね。その頭を吹き飛ばしても平気かどうか」
「試せば」
「はっ?」
「試せばいいさ。その代わり私が反撃した時は覚悟した方がいい」
男は、それ以上口を開かなかった。
指示通り倉庫の中へ入っていくと奥にはヴェスナと武装した男たちがいる。見えている場所だけではない。周囲の物陰からも人の気配を感じる。恐らく倉庫の中だけでも二個小隊ほどの人数が配されていると思われた。
「待っていた。
ヴェスナが言った。
「未冬は?」
「無事さ」
傭兵のひとりが腕を後ろに回して縛られた未冬が連れ出さす。
「凜夏さん!」
未冬は、身を揺らせたが屈強な男に掴まっては動きようがない。
「未冬、待ってな。今助けてあげる」
「"
ヴェスナがそう言うと凜夏は"
貴重な筈の"
傭兵のひとりが床に転がった"
「なるほど、お歴々が欲しがるわけだ。確かに"
ヴェスナは未冬を押さえつける男に合図した。
未冬は縛られたままだが、凜夏の方に押し出された。開放されたつまずきそうになりながらも未冬は、凜夏に駆け寄った。凜夏は縛られたままの未冬を抱きしめる。思いの外、力強い抱きしめに未冬は少し驚く。
「大丈夫?」
「うん、でもごめんなさい。私の為に大事なものを奪われて」
「気にしないでいいよ」
凜夏は、未冬の身体から離れると折りたたみナイフを取り出し縄を切った。
「急いで耳をふさいで、未冬」
「え?」
凜夏がなにかをつぶやき始めた。
呪文……?
魔法を知らない未冬でもわかった。
英語でもロシア語でもない言語。呪文だ。
とすると一体、何の呪文?
ヴェスナは、傭兵が用意した頑丈そうなアタッシュケースに"魔導書"をしまう。
「いかがします?」
部下の傭兵のリーダーがヴェスナに耳打ちする。
「ん……? ああ、殺せ」
「了解。一応、お聞きしますが、殺せるのですか?」
「殺せる?」
「
「それを確かめたい。殺せなかったら私がやる。無理か?」
「いえ、お任せください」
リーダーが無線機のボタンを押す。
「全ユニット、対象への発砲を許可す……」
その時だ。
生き物の叫び声のような音が聞こえた。
それは咆哮だ。
倉庫の中が急速に変化していく。温度は急激に下がり、低い音が鳴り響き始め微細な振動も起きている。潜んでいた傭兵たちもそれに気づき動揺し始めた。
そして突如、天井付近が明るくなったかと思うと放電が起きてきた。その放電の中心から黒い球体が現れた。
傭兵たちは球体に向かってアサルトライフルの銃口を向けた。
何か起きてる!
倉庫内の誰もが不安に駆られた。
「凜夏さん……」
未冬も例外ではなく凜夏に呼びかけた。しかし凜夏は右手で未冬を制すると呪文を続けた。
再び咆哮が聞こえた。未冬は耳を押さえていたが咆哮は聞こえ続けた。
倉庫内で起きている現象にさすがにヴェスナも動揺する。現象の正体を知っているのだ。
「異空間の穴」
ヴェスナは"魔導書"が収められたアタッシュケースを見た。
その時、球体からいくつもの巨大な触手が現れた。
触手はコンテナの周辺を這いまわる。コンテナに潜んでいた傭兵たちが許可を待たずに発泡した。しかし触手は撃ち込まれた銃弾を物ともしない。
「凜夏! お前、"魔導書"を読んで……」
ヴェスナは凜夏を睨みつけた。
「まさかヨグ=ソトースを呼び出したのか!?」
動揺するヴェスナの頭上に触手の一本が振り降りてくる。ヴェスナはとっさに身を避けるが、傍にいたアタッシュケースを持った傭兵は触手に押しつぶされてしまう。傭兵の手から放り出された"魔導書"の入ったアタッシュケースが未冬の足元まで転がる。
「未冬! それを拾って!」
凜夏に促されて未冬は、足元のアタッシュケースを拾い上げた。
「こっちへ」
凜夏に呼ばれ、駆け寄ろうとしたとした時だった。
未冬の行く手を遮るように数本のナイフがコンクリートの床に突き刺さった。
「お前も"魔導書"も凜夏には渡さない!」
いつのまにか背後にヴェスナが立っていた。
仮面で表情は見えないがその赤い瞳は未冬を凝視している。
その周囲の空中には崩れた屋根からだと思われる無数の金属片が浮いていた。
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