第9話 不死の魔女は愛さない

 黒い球体から現れた邪神ヨグ=ソトースの触手が傭兵たちを襲っていく。

 傭兵たちもアサルトライフルやRPGで応戦するが別次元からの怪物には歯が立たなかった。

 倉庫の中は、縦横無尽に暴れまわる触手に破壊され続けていく。

 しかし触手が暴れまわってはいるが肝心のヨグ=ソトースの本体はまだ出現していない。本体が現れないのは凜夏が"空間の穴"に制限をかかっているせいだった。

 凜夏は、魔導書に書かれた呪文を使い、邪神を呼び込んだが、それはあくまでも撹乱の為だ。世界を滅ぼすためではない。そこで本体まではこちらの世界に侵入できないように質量の制限をかけておいたのだ。凜夏の高い魔力だから出来たともいえるものだった。


 破壊されていく倉庫の中、"魔導書"の入ったアタッシュケースを抱えて逃げようとする未冬の前にヴェスナが立ちふさがった。

「未冬から離れろ! ヴェスナ!」

 凜夏が叫んだ。

 その言葉を無視して指先を未冬に向けると宙に浮いていた鉄片がすべて未冬に向かって飛んでいった。

 避けようとした未冬だったが鉄片はぴったり追ってくる。

「未冬!」

 凜夏が右手を未冬めがけて飛んでいく鉄片を指差す。すると鉄片は未冬に届く前に四散した。

「邪魔するな! 凜夏・ランカスター」

 苛立ちながら叫んだヴェスナは仮面を取った。

 左周辺だけひどく焼きただれたヴェスナ・ヴェージマの素顔が晒される。

 ヴェスナが呪文を呟くと半壊した施設の瓦礫から新たな金属片が宙に浮いて集まっていく。第二波の攻撃準備だ。ヴェスナは浮かばせた鉄片を操り今度は凜夏に向けて飛ばした。

 身構える凜夏。だがヴェスナが狙っているのは凜夏ではなかった。鉄片は突然方向を変え、その後ろにいる未冬に飛んでいった。

「危ない! 未冬」

 未冬を庇った凜夏の身体を金属片が貫く。

「凜夏さん! 大丈夫ですか!?」

 倒れた凜夏を助け起こした未冬だったが、胸や脇腹に肩と身体のいたる箇所に鉄片が突き刺さっているのを見て唖然とする。

 「これくらい平気……」

 そう言う凜夏の顔が苦痛にゆがむ。その傷に例の治癒能力が働いていないように見える。

「どうして……」

 血まみれになった凜夏が未冬に肩を借りてなんとか立ち上がった。

「どうやら私は最大のカードを失ったみたい」

 ヴェスナは、無数な鋭利な金属片を操り、再び未冬に向ける。

「私の思ったとおりだ。ルールは破られてる。あんたは不死を失ってた!」

 未冬は青くなっている凜夏の顔を見上げる。

「その娘が原因だろ?」

 ヴェスナは未冬を指差した。

「え?」

 凜夏の不死の力が消えたのが自分のせいだと言われ未冬は戸惑った。

「おや、2不死の呪い"について聞いていないかったのかい?」

 戸惑う未冬にヴェスナがあざ笑うように言った。

「私たちにかかっている"不死の呪い"は愛する者に愛されることで消えてしまうのさ。お前は凜夏のことが好きだろ? 凜夏もお前のことを……」

 凜夏さんも私のことが好き……? それで不死の呪いが消えてしまった?

「ようやく察したようだね。そいつは自分がまだ死なない魔女だと思ってあんたを庇った。で、その様だ。心臓には届かなかったようだけど致命傷に近い。さあ、これからどうなるかねえ……?」

 ヴェスナの操る鉄片が迫っていく。

 こんどは未冬が凜夏を庇って前に出た。

「だめ! 未冬」

「でも、凜夏さんが……」

「"不死の呪い"は、私の愛する者が死んでも私は死んでしまうの」

 だから、あの女は私を狙い続けたのか

 未冬は、ヴェスナの企みをようやく理解した。

 周囲に逃げ込む場所を探してみる。すると、盾のなりそうな半壊のコンテナがあるのを見つけた。

「遮蔽物のある方へ逃げます!」

 未冬は瀕死の凜夏の腕を肩にかけて半壊のコンテナへ向かった。

 追おうとしたヴェスナの足元にヨグ=ソトースの触手が伸びて絡みついた。大きさは倉庫を破壊しているものほど小さめだったがそれでも腕の太さくらいはある。

 足をとられよろめくヴェスナにさらに触手が群がってきた。

 ヴェスナは、鉄片での攻撃を触手に切り替えた。大きめの鉄片が絡みつく触手を切断した。緑の液体が周囲に飛び散っていく。

 続けて他の触手を串刺しにして動きを止めていった。

 その隙きに半壊したコンテナの陰に隠れる未冬と凜夏。

「ごめんなさい、ごめんなさい、私のせいで……」

 涙を流しながら傷を押さえる未冬。その頬にそっと血まみれの手を触れた。

「違うよ、未冬。これは君のせいじゃない。人を好きになることに何が悪いことがある? そうでしょ?」

「でも……」

「それに君を好きなのは私も同じだから……おあいこだよ」

 そう言って凜夏はにこりと笑った。痛みをこらえているのか力ない。それがわかるから余計に胸が痛む未冬だった。頬からずりおちていく手を掴み強く握る未冬。

「私が凜夏さんのことを好きにならなければ、今でも不死のままだったのに……」

「だからそれは私も一緒だって言った……好きにならなければ?」

 凜夏の表情が変わっているのに未冬は気がついた。

「どうしました? 凜夏さん」

「ちょっとを思いついちゃった」

 そう言って凜夏はいたずらっぽく笑った。

「どうなるかわからないけど、それを試そうと思って。未冬、力を貸してくれる?」

「も、もちろんです! 私、凜夏さんが助かるためなら何でもします!」

 それを聞いて微笑む凜夏。

「じゃあ……こっちを向いて」

 そう言うと凜夏は、未冬の顔を引き寄せた。二人の顔がぐっと近づく。

「私の目を見て、未冬」

「あ、あの……なにをするんでしょうか?」

 何やら照れくさくなった未冬が聞いた。

「私たちが初めて出会った夜の事を覚えている? あの時、私はあなたを利用しようとしてある魔法を使って心を操ってしまった」

「それはもういいんです。過ぎた事だし……」

 凜夏は首を横に振った。

「違うんだ。今からあの夜にかけたあの魔法をもう一度、使おうと思う。今度は記憶を消すために」

「記憶を? 私の?」

「そうだよ。私と出会った夜からの今までの記憶を全部消す」

「そんなことしたら凜夏さんのこと忘れちゃいます!」

「だからだろ」

 凜夏が微笑む。

「そうすれば私の不死の呪いが復活して、あいつ……ヴェスナに立ち向かえる」

「不死に戻るため……?」

「そうさ。だから早く」

 強引に未冬の顔を引き寄せる凜夏。

「だめです!」

 未冬は凜夏を引き離した。

「私が不死になれば、この局面を乗り切れるんだ」

「それは分かっています。あの人を倒すには特別な力が必要だって凜夏さんの考えも理解できます。でも……でも……」

 未冬は凜夏の目を見ながら続けた。それは魔法をかける絶好のタイミングだったが未冬の真剣な表情に凜夏は魔法を使う事を躊躇してしまう。

「あの人は凜夏さんが昔、好きだった人なんでしょ? 寝言であのひとの名前言っているの聞きましたもん! 好きだった人と殺し合うなんて、そんなの……そんなの」

「だとしても、私が今、愛しているのは……」

 凜夏が言おうとした言葉を未冬の唇が塞いだ。

 そっと未冬を自分から離す凜夏。

「未冬……」

 未冬は黙って凜夏のウィステリア藤色の瞳を見つめる、

 凜夏は、未冬の瞳を見つたまま小さく"呪文"スペルを呟きはじめた。


 ヨグ=ソートスに破壊されていく倉庫は倒壊寸前になっていた。

 傭兵たちも触手に潰されたか逃げ出してもういない。

 ヴェスナは自分に絡みついてきた触手を始末すると再び、殺意を凜夏たちに向けた。

 凜夏たちが隠れるコンテナに目星をつけると無数の鉄片を周囲に展開させ近づいていく。

 コンテナごと串刺しだ!

 その時、物陰から血まみれの凜夏がよろめきながら現れる。

「見つけた! 凜夏!」

 ヴェスナが手をかざすと浮いていた鉄片が凜夏に目がけて飛んでいき身体を貫いた!

 勝利を確信したヴェスナ。

「あんたの動きはこれで止まる。このあと、あの天然娘を始末すればそれで終わり。あんたは完全に死ぬ!」

 ところが凜夏は倒れない。それどころか鉄片が身体から押し出されていくと傷は治癒していった。

 凜夏が再び不死となっている事に戸惑ヴェスナ。

「な、なんで……? あんたの不死のルールは無効になっているはず……そうか、あんたは、あの娘のことをもう……やっぱりね。私を捨てたように仕事の為にあの娘も利用して捨てたわけだ」

「それは違う」

「何が違う! 現にあんたはまた不死になってるじゃないか!」

「魔法で未冬から私の記憶を消した。だからこの愛は私の

「な……」

「それにヴェスナ。あんたは勘違いしている」

「何が勘違いだ!」

「私は今でもあんたの事がだよ」

「嘘だ! ならなぜ私は不死のままなの!?」

「私は嘘はついていない。私は今でもあんたが大好き」

 その言葉にヴェスナは一瞬動揺する。

 凜夏はその隙きを見逃さなかった。

 宙に浮かぶ鉄片のコントロールを凜夏が奪った。それに気づいたヴェスナがコントロールを取り返そうとするが心を乱したヴェスナに奪い返すことはできなかった。

 凜夏が指をヴェスナに向けると鉄片がヴェスナ目がけて飛んでいった。ヴェスナの身体を無数の鉄片が貫く。

 倒れるヴェスナ。

「甘いわよ。これくらい再生でき……」

 だが傷は治癒しなかった。

「なんで……?」

 凜夏は倒れるヴェスナを見下ろした。

「わかってるでしょ。あなたが私への愛を思い出したから……」

 哀しそうな表情でヴェスナを見下ろす凜夏。

「だとしたら、何故ふたりとも不死の魔女だった?」

 凜夏の藤色の瞳がヴェスナを見つめた。その時、ヴェスナは気がついた。

「そうか……あんた、私にも魔法を」

「あんたの憎しみを増幅させた。愛情より勝る程にね。私を愛したままなら教団の魔法使いどもは私を殺す為に、あなたを殺してしまう。記憶を消したとしても気づかれる。だから、怪しまれないように憎しみを強くした。恋人に裏切られて憎悪に燃えている魔法使い。それなら教団にも気づかれない」

「そんな、私があんたを……嘘だ」

「ごめん……」

「えっ?」

「ごめんね……ヴェスナ。私は、あなたの心にも傷跡を残してしまった。本当にごめん」

 凜夏の涙がヴェスナの頬に落ちた。

「みんな私が悪いの。本当にごめん……騙したくなんかなかった。裏切りたくなんてなかった」

 気がつくと凜夏は顔をくしゃくしゃにしながら泣いていた。ヴェスナはそれを呆然と見上げる。それは美しいとはいえないかもしれない。けれど心をさらけ出してくれる凜夏にヴェスナは心地よさを感じていた。

「ば、馬鹿……そんな顔、見せられたらよけいに不死の力が消えちゃうじゃない。そしたらあんただって、死ぬんだよ?」

 凜夏はにやりと笑う

「それはそれでいいさ」

 ヴェスナは、いつの間にか自分も泣いていたことに気づく。

「ほんと、馬鹿だよ、あんた……昔からそう……だ」

 ヴェスナの赤い瞳から光が消えていく。

 冷たくなっていくヴェスナの身体を凜夏は強く抱きしめた。


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