第一部 第3章 え?おまえも電車乗ってたんか~い!

―そうか、良い事を思い付いたぞ。ずーっと新宿まで話して居ればいいんだ。そうすれば他人の会話も気にならないし。何だ、簡単な事だ―


 と思い着いたものの、話すネタが無い。どうしたものか。あれこれ思案したもののネタがさっぱり思い浮かばない。ふと顔を上げると、

「松浜夕、所属事務所との軋轢。音楽の方向性で対立か?」

 なる中吊りが聡志の目に入った。


 ―うーん、音楽の方向性。方向性って何の事だろう?俺にはさっぱり分からんが、何かしらもめているみたいだ。音楽の世界ではよくあることなのか?色々大変なんだな。やはり仕事の話はNGか。方向性、方向性。この歳になってもこの俺の人生の方向性もあったもんじゃない。情けない話だ―


 聡志の独り言が耳に入った夕は、

「なにさっきからもごもご言ってんだよ、おっさん」

「いやぁ、こんな状況が暫く続きそうなので、何か話のネタでもと思って話題を考えておりました」

「ふーん。それで話題は見つかったのかよ」

「いえ、全然です」

「じゃぁ俺から聞くが、そもそも何で自殺しようとしたんだ?」

「お恥ずかしながら、この歳でたいして出世もしていませんし、仕事場でもお荷物扱いなものですから、いっそ人生の清算をしようと思ったらあんな顛末でして」

「見返してやろうとか思わなかったのか?」

「そうですねぇ、元来争いごとが苦手ですし、人を蹴散らしてでも上に立とうとか、そういった気持ちが全く無くて」

「俺はいま21だが、そうしないと生きていけない環境で育ったんだぜ?」

 夕が身の上話を語りだした。電車は代々木に到着していた。

「両親は、俺が十五歳の時に韓国へ旅行中に何者かに殺された。しかし、事故死で処理された。当時は子供だったから、ただ事実だけを受け止め叔母の世話になった。中学を卒業してすぐ上京した。それからと言うもの、両親の事件が頭から離れず、『必ず犯人を見つけてやる』の一心でバイトしながら通信制の高校に通った。そこで、ある韓国人の同級生と友達になった。その子の名は「朴佑杏」(パクユアン)と言った」

 新宿に到着するアナウンスが車内に流れた。

「済みません、お話の途中ですが新宿に着きます」

「そうか」

「そのお話は後日じっくり伺いましょう」

 そう言うと、二人は人並みに押されて新宿のホームに降り立った。

JR新宿駅に降り立った不釣り合いな二人は、駆け足で新宿西口方向へと「メトロ丸の内線」の改札口に向かっていた。聡志は、おんぼろベルトの腕時計をちらちら確認しながら後方のピンクジャージを気にしている。禿頭にうっすらと汗が滲む。

「おっさん、ちっと早えぇぞ」

ピンクジャージは、か細い声で聡志に訴える。かなり彼女の『HP』残量が残り少ない様だ。

「もう少しで乗り換えですから」

 首だけ振り向いて告げる。そんな聡志も歳のせいで息が上がり気味になっている。 漸く二人は丸ノ内線の改札に到着した。


「着きましたね。後は地下鉄で四谷三丁目に行くだけです」

「そうか、わかった。何とか間に合いそうか」

「意外と時間稼ぎましたよ。走った甲斐がありました」

「今度はあの細長ぇ機械には引っかからねぇぞ」

「おお、並々ならぬ闘志ですね。流石の学習能力」

「いま、軽くディスったろ。後で覚悟しておけよ、おっさん」

「何です?そのディスコなんちゃらっていうのは」

「もういい。話にならん。ググっとけ」

「ググ・・・」

 と口を開いた瞬間、ピンクジャージはもの凄い眼光で聡志を睨みつけた。一瞬たじろいたが「急ぎますので行きましょうか」と何も無かったようにさらりとかわした。聡志は着実に少しずつ過去の自分で無くなっているようだった。

 早速、二人は赤いラインの丸の内線に乗り込んだ。車内は然程混んでいない。吊革に捕まって安堵する両人。後はオートマチックに四谷三丁目に到着するのを待つだけだ。

 一気に聡志の体の力が抜けた。腕時計を見やると、長針と短針が下方に重なる五分くらい前だった。やっとほっとする事ができた。地下鉄は銀座・東京方面へと動き始めた。

「もう大丈夫ですよ。時間ぴったり位に到着するでしょう」

「スタジオは駅前だから大丈夫だな」

「よかったです。お力になれて」

「てか、付き人なんだから当然だろうが」

「まあ、そうなりますよね」

 聡志は少し苦笑いした。

 新宿御苑駅を過ぎて目的地は目前となった。すると、地下鉄が急に減速し始めた。

「あれ?おかしいな。何で減速するんだろ」

 車内も少しざわついている。

「どうした?おい」

「ちょっと分かりませんね。通常ですと、地下鉄ですので駅のホームで人身事故などが起きる以外は減速などは無いはずですが。暫くすれば車内アナウンスがあるでしょう」

「マジかよ!迷惑な話だぜ。折角急いで間に合いそうなのに全部台無しじゃねえか!社長呼びやがれ」

「まぁまぁ、抑えて下さい。ある意味貴重ですよ?中々地下鉄の途中停止なんて遭遇しませんから」

「しらねえし。しかもどうでもいいし」

地下鉄が停止して車内アナウンスが流れた。

「本日はメトロ丸の内線にご乗車誠にありがとうございます。只今、先頭車両の乗車扉に《何らしらのもの》が挟まっている模様ですので、停車して確認しております。ご迷惑をお掛けしておりますが暫くお待ち下さい」

「《何らしらのもの》って何ですかね?バッグとかでしょうか」

「そんなの俺には無関係だ。そんなことより時間がねえぞ」

「スマホお持ちで無いんですか?スタジオとか言う所に連絡してみては如何ですか?」

「あ、やべぇ車ん中だ。それに雑用は桜田の仕事だったから全然わからん」

「本当ですか?それは少々まずいですね」

「まあ特に急用もねぇし、放っとこう。遅れたら謝ればいい」

「しかし、桜田さんってさっきの体つきの立派な方ですよね?」

「そうだ」

「今頃何をしてるんですかね。あの方には悪い事したみたいで・・・」

 再び車内アナウンスが流れた。が、何だか周りが騒がしい様子で、その周囲の声も拾っている。

「本日は・・・ガシャガシャ、おい暴れるな!ガシャガシャ」

 車内アナウンスの後ろで誰かが抑えられている様子が想像される放送内容だ。

「えー、本日は・・・いてぇだろ!この車掌!放しやがれ!この車掌!・・・ガシャガシャ」

《ん?どこかで聞き覚えのある声と口調だな》

「停車して確認しました所、・・・100万請求するぞ、この車掌!・・・ガシャガシャ

ご乗車されているお客様の携帯電話が乗車扉に挟まっていた事を確認致しました。暫くお待ち下さい」

「あれ、アナウンスの合間に叫んでいた声、聞き覚えが・・・」

「桜田だ。あのタコ、何してんだ!」

 夕は両手で顔を覆った。

「先頭車両に行ってみましょう」

「ったく、つくづく使えねぇ野郎だ、あのタコ」

 

 ふたりはダッシュで先頭車両に到着すると、わぁわぁ騒いでいるガタイのいい男を地下鉄関係者が取り囲んでいる。

「やっぱりお前か」

 夕は、再度顔を手で覆った。

「何してんだ、桜田!人様に迷惑掛けてんじゃねぇよ!」

 夕の怒号が車内に響き渡る。

「あ、夕さん」

「あ、じゃねぇんだよ!桜田!何してやがる!」

「実はあの後、乗り捨てられているビートルの中に夕さんのスマホがあるのでは?と思って探して持ち帰ったんです。それで新宿から丸ノ内線に乗ることを見越して先回りしたんです。でも、ギリギリだったのでスマホを持った左腕が扉に挟まれてしまってこの有り様です」

「はぁ?おまえ、やっぱ使えねぇな。お前のせいで結果的に遅刻してんじゃねぇか、このタコ!」

「お言葉ですが、夕さん。桜田さんはあなたの為に良かれと思ってこうして追いかけて下さったのに酷いですよ。それに、スマホを落とすまいと暫く耐えられたのですから」

 聡志は夕に面と向かって意見した。

「なんだ、おっさんまで。おまえに言えた義理か!」

「結果的には裏目に出ましたが貴女を思っての行為です。感謝してもいいかと思いますよ」

 夕は黙り込んだ。静寂が一瞬周囲を取り囲んだ。

「はい、夕さん」

 停車中の地下鉄車両のドアが開き、桜田の挟まった左腕が解放され、桜田は夕のスマホを差し出した。

「今度人様に迷惑掛けたら承知しねぇからな、このタコ」

夕の眼にはうっすら光るものが溜まっている様に見えた。夕は直ぐにそのスマホでスタジオに連絡を入れた。

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