第一部 第2章 え?電車乗るんか~い!
「ハゲのおっさん」は特に違和感はないが、片や「ちっちゃいピンクジャージの謎の女」の服装が明らかに周りと溶け込んでいない。しかし、当人は特に気にする様子はない。しかし、通行人が各々口に手を当てて何やら話して居る。
「大丈夫なんだろうな?おっさん」
「ご安心ください。間違い在りません」
「ほんとかぁ?まぁ信じよう」
二人はひたすら歩く。時間が押してるだけに少し駆け足気味だ。そうこうすると「ちっちゃいピンクジャージの謎の女」の息が上がって来た。
「もう少しですよ。もうひと頑張りです」
謎の女はぜえぜえ言って返答がなく、腕を必死に前後に動かす割に然程早くない。
正に五分後、JR原宿駅に到着した。駅前は夜には浅い時間だが、いつもの様に人が多い。
「到着致しました」
「ぞ、ぞうか」
日本語がおかしくなっている。
「次は山手線外回りに乗車します」
こくりと首を下に傾げた。電車に乗るには当然切符を買うが、その「ピンクジャージ」は切符の買い方が分からないに加え、財布を持ち合わせていない。先程クビになった桜田におんぶにだっこだったのだろう。
「切符はどうやって買うんだ?おっさん」
「販売機にお金を入れて140円のボタンを押すと切符が下から出ます」
「なんだ、下からって。ここか?」
券売機の荷物台の下を覗き込んだ。
「そうじゃないです。券売機の下の方です。言い方が悪くて済みません」
人でごった返している駅構内では、目を細めてその行動を見つめて居る。無事切符を買うと、自動改札機が立ちはだかる。
「この機械に切符を入れると奥から切符が出てきますので、それを取ってください」
「わかった」
謎の女が自動改札機を通る。
「キンコン」
改札機の羽根が閉まった。
「おい、閉まったぞ!おっさん」
「あれ、何でだろ。切符入れましたよね」
「あ、入れるの忘れた。切符って持ってりゃいいんだろ?」
「改札機に切符入れて下さいって言ったじゃないですか」
「なんだ、おい。逆切れか?おっさん」
「そうじゃないですが、後の方に悪いので」
後ろを振り返ると渋滞が発生している。
「ちっ」
謎の女は舌打ちした。切符を取り直して改札を通ると、ダッシュで山手線のホームに向かう。結構な人がホームで電車を待っている。
「おい、こんなに大勢乗るのか?」
「そうですよ。まだ少ない方です」
「マジか!っぱねぇな」
謎の女は苛立っている様で、つま先で何ともないリズムを取っている。聡志はふと我に返った。
―あれ、今までのサラリーマン時代と違うなぁ。無意識に自分は変わっている。
何だか楽しい―
「来ましたよ」
聡志はぽつりと呟く。すると、緑色の電車が減速しながらホームに滑り込んできた。車内の様子がページをめくる様に過ぎ去って行く。
「おい、頼むぞ!おっさん」
さっきまでの勢いがどこかにいってしまったのか、か細い声で聡志に問いかける。いつの間にか普通のか弱い一人の若い女性に戻っている。停車位置の目印にピタリと止まった電車に乗り込む人たちは、お行儀よく左右に一列に並んで降車する乗客を迎え入れる。案外降りる人が多く、乗り込んだ車内は乗車率80%位である。
山手線に乗り込んだ二人は、乗車ドア近くの吊革に捕まった。聡志はセンスの無い腕時計をちらりと見遣る。長針と短針は180度に開いて、短針は6の少し手前を指している。時間はもう無い。
「ようやく落ち着いたな」
「そうですね」
「四谷のスタジオに6時半入りなんだが、間に合いそうか?」
「ええ、ぎりぎり大丈夫だと思います」
謎の女は微少に頷く。
「スタジオって何ですか?」
「スタジオはスタジオだろ。それ以外にねえだろ」
「何するんですか?」
「仕事に決まってんだろ」
「今更ですが、何のお仕事なんですか?何となくですが、どこかでお会い・・・」
何やら車内がざわざわし始めた。皆此方を見てひそひそ話をしている。特にJKが時たま指さしたりしている。
「あれって松浜夕じゃね?」
―何、松浜夕?どこかで聞いたことあるな。世の中の流行りも良く判らない俺でも知ってるって事は、かなりの有名人だぞ。うーむ、って事はかなり不味い状況ではないか?―
聡志は少し咳ばらいをした。
「どうします?このままこの状況でいますか?」
「しょうがねえだろ?そうなったんだから。駅でもねえところで降りれねえだろうが」
俯いて小声で伝える。聡志も俯いて頷く。 車両内は何やら不穏な空気に包まれている。聡志は足りない頭でどうするか思案している。
―うーむ、どうするか。原宿、代々木、新宿。三駅か。然程遠くはないが、状況が状況だ。この後、乗り換えで四谷まで行くとしても同じ状況になるんだろう。何か策は無いものか―
「どうします?次で降りますか?電車で行くプランを提案したものの、状況が変わりましたので」
「いいさ。たまには電車に乗って行くのも悪くない。言いたい奴には言わせておけ。まずが、おっさんに一任したのは俺だから別に構わない」
「申し訳ありません。あなたがどなたか存じ上げなかったもので」
「俺の認知度もそれほどでもないな」
くすっと笑いながら答えた。
―そうか、良い事を思い付いたぞ。ずーっと新宿まで話して居ればいいんだ。そうすれば他人の会話も気にならないし。何だ、簡単な事だ―
と思い着いたものの、話すネタが無い。どうしたものか。あれこれ思案したもののネタが思い浮かばない。ふと顔を上げると
「松浜夕、所属事務所との軋轢。音楽の方向性で対立か?」
なる中吊りが目に入った。
―うーん、音楽の方向性。何の事だろう?俺にはさっぱり分からんが、何かしらもめているみたいだ。色々大変なんだな。やはり仕事の話はNGか。方向性、方向性。この歳になっても人生の方向性も決まってないな。情けない話だ―
聡志の独り言が耳に入った夕は、
「なにさっきからもごもご言ってんだよ、おっさん」
「いやぁ、こんな状況が暫く続きそうなので、何か話のネタでもと思って話題を考えておりました」
「ふーん。それで話題は見つかったのかよ」
「いえ、全然です」
「じゃぁ聞くが、そもそも何で自殺しようとしたんだ?」
「お恥ずかしながら、この歳で出世もしていませんし仕事場でもお荷物扱いなものですから、いっそ人生の清算をしようと思ったらあんな顛末でして」
「見返してやろうとか思わなかったのか?」
「そうですねぇ、元来争いごとが苦手ですし、人を蹴散らしてでも上に立とうとか、そういった気持ちが全く無くて」
「俺はいま21だが、そうしないと生きていけない環境で育った」
夕が身の上話を語りだした。電車は代々木に到着していた。
「両親は、俺が五歳の時に韓国へ旅行中に何者かに殺された。しかし、事故死で処理された。当時は子供だったから只事実だけを受け止め、叔母の世話になった。中学を卒業してすぐ上京した。両親の事が頭から離れず、『必ず犯人を見つけてやる』の一心でバイトしながら通信制の高校に通った。そこで、ある韓国人の同級生と友達になった。その子の名は「朴佑杏」(パクユアン)と言った」
新宿に到着するアナウンスが場内に流れた。
「済みません、お話の途中ですが、新宿に着きます」
「そうか」
「そのお話は後日じっくり伺いましょう」
そう言うと、二人は人並みに押されて新宿のホームに降り立った。
JR新宿駅に降り立った不釣り合いな二人は駆け足で西口方向へと「メトロ丸の内線」の改札口に向かっていた。聡志はおんぼろベルトの腕時計をちらちら確認しながら後方の「謎の女」を気にしている。禿頭にうっすらと汗が滲む。
「おっさん、早えぇぞ」
「謎の女」は、か細い声で聡志に訴える。かなりHP残量が下がっているようだ。
「もう少しで乗り換えですから」
首だけ振り向いて告げる。そんな聡志も歳のせいで息が上がり気味になっている。 漸く二人は丸ノ内線の改札に到着した。
「着きましたね。後は地下鉄で四谷三丁目に行くだけです」
「そうか、わかった。何とか間に合いそうか」
「意外と時間稼ぎましたよ。走った甲斐がありました」
「今度はあの細長ぇ機械には引っかからねぇぞ」
「おお、並々ならぬ闘志ですね。流石の学習能力」
「いま、軽くディスったろ。後で覚悟しておけよ、おっさん」
「何です?そのディスコなんちゃらっていうのは」
「もういい。話にならん。ググっとけ」
「ググ・・・」
と口を開いた瞬間「謎の女」はもの凄い眼光で聡志を睨みつけた。一瞬たじろいたが「急ぎますので行きましょうか」と何も無かったようにさらりとかわした。聡志は着実に少しずつ過去の自分で無くなっている。
早速、二人は赤いラインの丸の内線に乗り込んだ。車内は然程混んでいない。吊革に捕まって安堵する両人。後はオートマチックに四谷三丁目に到着するのを待つだけだ。
一気に聡志の体の力が抜けた。腕時計を見やると、長針と短針が下方に重なる五分くらい前だった。やっとほっとする事ができた。地下鉄は銀座・東京方面へと動き始めた。
「もう大丈夫ですよ。時間ぴったり位に到着するでしょう」
「スタジオは駅前だから大丈夫だな」
「よかったです。お力になれて」
「てか、付き人なんだから当然だろうが」
「まあ、そうなりますよね」
聡志は少し苦笑いした。
新宿御苑駅を過ぎて目的地は目前となった。すると、地下鉄が急に減速し始めた。
「あれ?おかしいな。何で減速するんだろ」
車内も少しざわついている。
「どうした?おい」
「ちょっと分かりませんね。通常ですと、地下鉄ですので駅のホームで人身事故などが起きる以外は減速などは無いはずですが。暫くすれば車内アナウンスがあるでしょう」
「マジかよ。迷惑な話だぜ。折角急いで間に合いそうなのに全部台無しじゃねえか!社長呼びやがれ」
「まぁまぁ、抑えて下さい。ある意味貴重ですよ。中々地下鉄の途中停止なんて遭遇しませんから」
「どうでもいいし」
地下鉄が停止して車内アナウンスが流れた。
「本日はメトロ丸の内線にご乗車誠にありがとうございます。只今、先頭車両の乗車扉に何らかのものが挟まっている模様ですので、停車して確認しております。ご迷惑をお掛けしております。暫くお待ち下さい」
「何らかのものって何ですかね?バッグとかでしょうか」
「俺には無関係だ。そんなことより時間がねえぞ」
「スマホお持ちで無いんですか?スタジオとか言う所に連絡してみては如何ですか?」
「あ、車ん中だ。それに雑用は桜田の仕事だった」
「本当ですか?それは少々まずいですね」
「まあ特に急用もねぇし、放っとこう」
「しかし、桜田さんってさっきの体つきの立派な方ですよね?」
「そうだ」
「今頃何をしてるんですかね。あの方には悪い事したみたいで・・・」
再び車内アナウンスが流れた。が、何だか周りが騒がしいようでその声も拾っている。
「本日は・・・ガシャガシャ、おい暴れるな!ガシャガシャ」
車内アナウンスの後ろで誰かが抑えられている様子が想像される放送内容だ。
「えー、本日は・・・いてぇだろ!この車掌!放しやがれ!この車掌!・・・
ガシャガシャ」
《ん?どこかで聞き覚えのある声と口調だな》
「停車して確認しました所、・・・100万請求するぞ、この車掌!・・・ガシャガシャ
ご乗車されているお客様の携帯電話が乗車扉に挟まっていた事を確認致しました。暫くお待ち下さい」
「あれ、アナウンスの合間に叫んでいた声、聞き覚えが・・・」
「桜田だ。あのタコ、何してんだ!」
夕は両手で顔を覆った。
「先頭車両に行ってみましょう」
「ったく、つくづく使えねぇ野郎だ、あのタコ」
先頭車両に到着すると、わぁわぁ言っているガタイのいい男を地下鉄関係者が取り囲んでいる。
「やっぱりか」
夕は、再度顔を手で覆った。
「何してんだ、桜田!人様に迷惑掛けてんじゃねぇよ桜田!」
夕の怒号が車内に響き渡る。
「あ、夕さん」
「あ、じゃねぇんだよ!桜田!何してやがる!」
「実はあの後、乗り捨てられているビートルの中に夕さんのスマホがあるのでは?と思って探して持ち帰ったんです。新宿から丸ノ内線に乗ることを見越して先回りしたんです。でもスマホを持った左腕が扉に挟まれてしまってこの有り様です」
「はぁ?おまえ、やっぱ使えねぇな。結果的に遅刻してんじゃねぇか、このタコ!」
「お言葉ですが、夕さん。桜田さんはあなたの為に良かれと思ってこうして追いかけて下さったのに酷いですよ。それに、スマホを落とすまいと暫く耐えられたのですから」
聡志は夕に面と向かって意見した。
「なんだ、おっさんまで。おまえに言えた義理か!」
「結果的には裏目に出ましたが貴女を思っての行為です。感謝してもいいかと思いますよ」
夕は黙り込んだ。静寂が一瞬周囲を取り囲んだ。
「はい、夕さん」
桜田は夕のスマホを差し出した。
「今度人様に迷惑掛けたら承知しねぇからな、このタコ」
夕の眼にはうっすら光るものが溜まっている様に見えた。夕は直ぐにそのスマホでスタジオに連絡を入れた。
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