第一部 第4章 かみ合わない歯車

 何とか18:30ギリギリにスタジオ入りした夕と聡志は、余りにも必死に走って来たので、はぁはぁぜぇぜぇと肩で息をしている。

「お、遅くなりました」

 見たこともないハゲおやじにスタジオに居るスタッフらは、

「あいつ誰?」

 の疑問符でお互いの顔を見合わせる。 その直後夕が顔を出し、

「おはようございます」

 こちらも肩を上下に動かして膝に手を当てている。

「お、おはようございます」

 スタッフ達は主役の夕が到着してもハゲ登場からの主役登場で面食らっている。

「お前が遅刻寸前なんて珍しいじゃないか」

 皮肉めいた言葉を発するのは夕の総合プロデューサーの松永隆だ。

「たまにはいいだろうが。本打ちが最後に登場って感じで。でも、遅刻しねぇのかよって思ってんだろ?」

「そんな事はないさ。しかしお前も偉くなったもんだな。ちょっと売れた位で天狗になってんじゃないのか?」

「なんだ、天狗って?江戸時代か!」

  スタッフ一同が苦笑する。

「そんなのはどうでもいいんだよ!お前らもケタケタ笑ってんじゃねぇ!」

  松永のその一言で場の空気が凍り付いた。

「お前、世間様のイメージが今どうなってるか分かってんのか?そんなんだから俺がいい作品作ってやってんのに売れねぇんだよ!」

「何様なんだ?お前。歌ってんのは俺だぞ!じゃあ、お前歌ってろ、このハゲ!」

「え、俺がですか?」

  聡志は自分を指差して声を上げた。一同、わっと声を出した。

「おめえじゃねえよ、こっちのハゲだ!お前はほんまもんだろうが!」

「あ、そうでした。すみません」

「お前、そこで立ってろ!」

「小学生か」

 スタッフの誰かが小さい声で突っ込みが入った。聡志は申し訳なさそうにスタジオの隅っこに後ずさりした。


「さっさと始めようぜ」

 夕がレッスンスタートの号令を発する。松永の表情が冴えないまま淡々とレッスンは続いた。


  夕と松永には最近、お互いの壁ができ始めていた。週刊誌には「音楽の方向性」の違いが取り沙汰されていたが、真実は少しずれている。確かに表向きはメッセージ性が強めの歌詞での楽曲を推す夕に対して、松永はアップテンポの曲調を推していた。だが、軋轢の本丸はそこでは無く、お互いの金銭の取り分についてだった。

 夕は歌い手として松永主導で活動を行っているが、最近は夕自身が作詞作曲していることもあり、松永の取り分が目減りしていた。それでも夕はかなり譲歩して金銭の取分は折半にまで引き上げていた。 松永は以前の主マッシュヒット時の金額に届いていない事を面白く思っておらず、更に松永には借金が相当額ある様で、その事も二人の軋轢に拍車を掛けていた。

 2時間ほどのレッスンを終了すると、夕はさっさと帰り支度を始めた。

「おい、おっさん!さっさと帰るぞ!」

「は、はい」

「ちょっと待てよ、夕。遅刻すんでで来ておいて、それは無いだろう」

「何言ってんだ?お前。やる事やって帰るのに引き留めるのか?悪趣味も程々にしろよ」

「いや、無理にとは言わん。ところでそのおっさんは誰だ?」

「こいつか?桜田の後釜だ。おっさん、こいつに挨拶しておいた方がいいぜ。しこたま金をがめてるから。困った時に使えるぜ」

「け、言わせておけばいい気になりやがって」

「だって、真実だもんな?みんな」

 スタッフは全員凍り付いている。

「早いとこいくぜ。おっさん」

「はい」

「おい、ちょっと待て。今のは聞き捨てならんな。誰が金をがめてるだと?俺は正当な主張をしているだけだ。何なら出るところに出てもいいんだぜ?」

「出るってどこにだよ?出るんだったらパチンコの玉でも出しとけよ」

「言わせておけばこのガキが!」

 二人は松永の言い分をろくに聞かずにスタジオを後にした。


「あ~面白くねぇな。全く」

「そう思う通りに全て事は運びませんよ」

「なんだ、慰めか?」

「いえ、そんなつもりは」

「よし!そういう時は飲むに限るな。おっさん、付き合え!」

「何にですか?」

「お前、人の話聞いてんのかよ?」

「ええ、お話聞いてますよ。ですけど、私は何に付き合えばいいのでしょう?生涯このかた、他人さまから付き合えなんて言われたことないもので」

「おいおい勘違いするなよ、まあいい。だから、新宿に飲みに行くって意味よ」

「え、この私とですか?やめておいた方がいいと思いますよ。わたし、こんなんですし」

「いいじゃねえか。おっさんはもう俺の付き人なんだから問題ねえだろ。タレントの飲み相手になるのも付き人の仕事だぜ?」

「そんなものですかね?」

「そうだろ?タレントの愚痴を聞くのも立派な仕事だ」

「そうですか、わかりました」


  JR新宿駅中央東口に降り立った二人は、一路歌舞伎町方面と歩を進める。いつ来てもこの歌舞伎町は人でごった返しており、誰が名付けたか「不夜城」と形容される街に相応しい。 靖国通りの前で信号待ちしていた二人は、飲みに行く店をどうするかを相談している。

「どこの店にするよ?」

「わたくし、恥ずかしながら複数人で飲みに行ったことがないのでそういった情報は持ち合わせていません」

「ってことは、逆に一人で飲むんだろ?どういうとこに行くんだよ?」

「どこって、何の変哲もない居酒屋さんです」

「そうか、じゃあ其処に行こう。かなり久ぶりだな。居酒屋は」

「そうなんですか?今はどんなところで飲まれるんですか?」

「ほとんど六本木あたりかな。そういや、居酒屋は飲食店化してるって言うじゃねえか。若者の間ではな」

「へー、そうなんですか。初耳です」

「おっさん、よくそんなんで今まで生きて来れたな。なかなかのレア具合だぜ。何せ俺のことも知らなかった位だからな」

  夕は口元を隠しながらくすくす笑っている。聡志も照れ笑いしている。 歩行者用信号が青に変わった。

「居酒屋さんに行くのはいいですが、他のお客様が騒めくのではないでしょうか?」

「今更か?いいじゃねぇか。電車でも同じだったろ?そもそも、おっさんがそれを何とかするのも仕事だろうが」

「それはそうですね。うーん、どこがいいでしょうかね」

「どうせそんなに飲み屋のレパートリー無いんだろ?おっさんがいつも行くところでいいぜ」

「はぁ。では、こちらの『西の家族』でいかがでしょう?」

「うぉー!お初だぜ、その居酒屋。少しアガるな。で、何処だ?その居酒屋」

「こちらです」

 聡志は右手の店舗を指して夕に伝える。

「ここかい!」

 赤い立て看板に、でかでかと『西の家族』とある。

「ではお店に入るか」

「はい」

 二人は躊躇なく『西の家族』に入店した。


「おい、おっさん。VIP席確保してくれよ」

「なんですか?そのVIPって言うのは。お酒か何かですか?」

「お前、知らんのか?マジかぁ~」

「第一、それが何なのかも知りませんが。それとも疲れた時に背中とかに貼るやつですか?」

「それPIPエレキシールだろうが!なめてんのか!おっさん!」

夕の少々諍えた声が店内に響き渡り、居合わせてる客たちがこちらを見やっている。

「だからさぁ、頼むぜおっさん。VIP席は特別席だよ、特別席」

「通常の居酒屋にはそんなものは存在しません」

「知ってるわ!大概はそうだろうがよ。今はそういう席あんのかな~と思っただけだ」

「それならいいですけど」

 ここでは聡志が若干分がありそうだ。

「いらっしゃいませ!お二人様ですか?」

「はい」

「カウンターと小上りがございますが。如何しましょう?」

「なんだ?『小上り』って」

「簡単に言うとお座敷ですね。ゆっくりできるので小上りにしますか?」

「任せる」

「では、小上りで」

「かしこまりました。二名様ご来店でーす」

「かしこまりました」

「こちらへどうぞ」

  二人は店員の誘導で奥の本来四人用の小上りに通された。

「こちらになります。ごゆっくりどうぞ。注文時はそのボタンでお呼びください」

「どうも」

  聡志は軽く会釈した。

「結果的に一番奥の席になりましたね。ある意味PIP席です」

「だからPIPじゃないって!」


 VIP席?に座った二人は注文をし始める。

「おい、此処ではアウェーだから全部任せたぞ」

「はい」

「何飲まれますか?」

「さぁ、なんだと思う?」

「なんですか?急に。クイズですか?」

「まぁそんなところだ。俺はまず何を飲むと思う?」

 突如、夕からクイズが出題された。

「そうですねぇ、お若いですからまずビールかと思いますが、クイズにするくらいですからビールでは無いですね。しかもメニューを見ないでクイズを出されていますから一般的な飲み物でしょう」

「お、鋭いね。そんで?」

「まず、そもそもアルコールなのかそうでないかから推しますと、意外にノンアルコールだと思います」

「それはなんでだ?」

「夕さんの性格からいって、大概飲み屋さんで最初からカクテル系は注文しないと思います。プライドがお高いので軟弱でないところをお見せにならないはずです」

「ほう、いい推測だな」

「ですから、ウーロン茶ではないでしょうか?」

「うーん、80点だな」

「え、なんですか80点って。随分と中途半端ではないですか?」

「近からず遠からずってとこだな」

「あ、ウーロンハイですね」

「正解」

「うーん、惜しいな」

  聡志はかなり悔しい様だ。机を少し小突いた。

「おっさんは何にする?」

「なんだと思います?」

「お前、なめてんのか?生中だろうが」

「正解です」

 あはは、と二人の笑い声が店内に響き渡った。と同時に聡志は『こんなに笑ったのは何時ぶりだろうか』と頭の片隅で思っていた。

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