第9話 聖痕に至る3つの契約
今日は、代名詞であるリュックを背負っていない。
しかし、体は重く、足取りは鈍い。
冷たい雨。 照らす光源もなし。
雨を遮る物を持たず、落ちていく雨をそのままに身を委ねる。
目的地にたどり着いた彼は濡れるのも構わず、その場に座り込んだ。
「おやおや、どうしましたかねぇ。約束の日は、まだ3日も先ですがねぇ」
現れたのは、あの老婆だ。リュックは、その姿を見すらせず――――
「母親が死にました」
「そうかぇ」と老婆は感情が籠らぬ声だ。
「本当に悪かったのに、僕に心配をかけようとせずに……」
「そうかぇ、それで?」
「どうやら、お金に手をつけなかったのも、自分の死期……余命がわかっていたみたいなんです」
「そうかぇ、それで?」
「僕に言わないように、医者に口止めして……逆に近所の人たちには言っていたらしいです」
「そうかぇ、それで?」
「自分が死んだ後、僕の事をよろしくお願いしますって……」
嗚咽。 それを雨で流そうとするように天を仰ぐ。
「それで、貴方は何を望みますかぇ?」
「……本当にあの塔の力なら……死者を蘇らせますか?」
「ほっほっほっ……そんなことですかぇ。もちろんでさぁ。時間操作に因果律操作、無から有へ、肉体と魂の復元、実に他愛無い事でさぁ」
「では、3日後の魔導の塔……僕が望む願いは母親が生き返る事……死者蘇生です」
しかし、老婆は――――
「なんだったら、その願い。今、叶えて差し上げましょうか?」
「え?」とリュックは、顔を上げて老婆の顔を見た。
だが、老婆の表情は無表情。感情が読み取れない。
「願いの前借りは可能ですのでなぁ」
「前借りだって?」
「そうですなぁ。死者蘇生ならば大量の魔力を塔が消費します。ぎ……遊戯の難易度は高く……しかし、亡くなられたばかりの今なら、蘇生に必要な魔力の消費量は少なくすみましょう」
「ほ、本当に、母を生き返らせてくれるのですか? 今、すぐに?」
「えぇ、できますとも。ですがね、推奨するのは3回ですなぁ」
「3回? って何を3回?」
「願いを3回に分けるのです。
1つは母上の蘇生。
1つは弱った体の回復。
1つは病気の完治。
願いを小分けにして塔に挑む回数を3回に増やせば、その難易度は軽い物になります」
「……わかった。母を生き返らせてくれるなら、僕は……何でもする覚悟だ」
「ほっほっほっ……確かに覚悟のできた者の目をしていますなぁ」
「では」と老婆はリュックに背を向けた。
「確認ですじゃ。願いは前借り。さらに3つに小分けして叶える代わりに3回塔に挑む事。さすれば、今すぐに願いを叶えて見せましょうぞなぁ」
「……もしも塔を3回攻略できなければ?」
「そうですね。すぐさま、母上に行われた願いの前借りは霧散……しかし、1回でも攻略すれば、今だけは母上の死が回避できますなぁ」
「わかった……僕は塔を3回攻略することを誓う。だから……」
「ほっほっほっ……よろしい。ならば、その願いを成就させましょう」
そう言い終えると炎上。 老婆の体は一瞬で緑色の炎に包まれた。
「ぐっ……」とリュックは何が起きたかわからず、ただ炎の熱から身を守るように距離を取った。
「今、願いは成就されました。ただし、塔へ挑む事をゆめゆめ忘れぬように」
「必ず、必ず、僕は塔を攻略して見せる」
ほっほっほ……と夜空に老婆の笑い声だけが響いた。
いつの間にか、雨は止んでいた。
・・・
・・・・・・
・・・・・・・・・
「母さん! 母さん!」とリュックは夜道を駆け抜けていく。
目指すのは病院。 医師から母の死亡を言い渡され、勢いのまま飛び出したが……
もしも、本当に願いが叶えられているとしたら!
だが、母の病室。 あるのは空のベットだけ。
そこには誰もいなかった。
「え?」と希望が失われたような……
「ちょっと、あなた! リュックくんじゃない」
名を呼ばれて振り返ると看護師さんがいた。
「早く、こっちに来なさい!」
そう言うとリュックの手を取って歩を速めた。
「いい? 落ち着いてきいてね。 お母さんに奇跡が起きたのよ」
連れてこられたのは、別の病室。 そこには……
「あらあら、慌てて病院と飛び出したから皆、探していたのよ。あとで謝らないといけないわよ」
「あぁ、謝るよ。後からいくらでも……でも、今は……」
リュックは母親の元に駆け寄り、それから……
「まぁまぁ、この子は体だけ大きく……はなってないわね。でも、いつまでも私の子供に違いはないのだからね」
この時、リュックは誓った。 かならず母親を助けて見せる。
……たとえ、何を犠牲にしてもだ。
その瞳には黒い、黒い炎が灯っている事には気が付く者はいない。
……今は、誰も……
そして、3日後の夜。
リュックはあの場所にいた。
「母を救ってくれてありがとうございました」
深々と頭を下げるリュックに老婆は――――
「ほっほっほっ……救ったのはあなたですぇ。それに、前借りの願いはキッチリと取り立てさせていただきますよぇ」
「わかっています! でも……ありがとうございます」
この老婆には珍しく、リュックの感謝に目を逸らして「……」と少しだけ無言になった。
「それじゃ、入り口をつなげるよ」そう言って老婆はあの呪文を唱えた。
『呪うかえ? 自身の境遇を呪うかえ? 受け入れるが身の丈に合う幸せ。 それでも抗うかえ? 抗えば、汝に試練を与えん』
また、意識がまどろみへ落ちていく。
また、老婆の背後に扉が浮き上がっていく。
・・・
・・・・・・
・・・・・・・・・
「やぁ、リュックくん。1週間ぶりだね」
目を覚ませば、そこにカイトがいた。
「あれ、ここは最初の日と同じ部屋?」
キョロキョロと周囲を窺う。 先週と同じ、レンガ仕立ての部屋のように見えた。
「いや、先に起きて部屋の外も確認した。少し違う場所みたいだ」
立ち上がると、少しふらつく。
それを追い出すように頭を振るリュック。
カイトの後を追いかけるように部屋の外に出た。
そこは、前回同様に広い空間。 いや、前回と明らかに違う場所が1つ。
床に真っすぐ直線が引かれている。 白い色の直線だ。
ここを進めばいいのだろうか? そんなことを考えていると声をかけられた。
「君たちもまた来たみたいじゃな」
その声の主は老兵だった。 老兵ダッカ―ドがそこにいた。
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