第12話

伯爵のはじめてのおつかいはとても良く出来たものでした。

小夜子の要請通り手紙とお金を宿泊していた部屋に置き、小夜子の命より大切なお洋服の入ったバッグも持ってきてくれました。使いっ走りとしては上等の仕事ぶりです。


「まあ伯爵様!随分とお仕事がお早いですこと」


「私に不可能などないのだ。こんなもの容易いものよ」


使いっ走りにされている癖に、やけに偉そうな口ぶりです。


「まさか私のお金をパクッたりしていないでしょうねえ?」


「馬鹿者。私に貨幣など必要ない。人間はこの紙切れが無ければ生活できないようだが、私はそんなものが無くとも充分に生きてゆけるのだ」


「へー、それは立派ですね」


何と言っていいか判らないので、とりあえず適当に褒めておきます。


「でも伯爵様、このお城にある備品はどれも高級そうに見受けられますが……。一体どのように入手したのですか?」


「これらは初め身の程知らずの人間共が所有していたものだ。ろくに価値も理解出来ぬ癖にな。だから私が下僕に命じてこの城迄運ばせたのだ」


それって泥棒じゃん……。と思いましたが、これ以上伯爵の話に突っ込んでいてはキリが無いので、そのまま聞き流すのでした。


さて伯爵の話によると、彼には忠実な下僕がおり、その下僕に身の回りの世話を焼かせているとの事でした。

しかしながら、小夜子がこの城に来てから、使用人らしき人物を見掛けてはいません。

伯爵自身が長年封印されていたのですから、その下僕とやらも姿を消してしまったのかしらん?などと思っていましたが、漸くその謎が解けました。


伯爵を使い走った晩、伯爵は古城内の大広間に立ち、何やら儀式のような不思議な作業を始めました。悪魔召喚でも始めるのかと小夜子はドキドキしていましたが、その予想は外れました。


伯爵が何か呪文のようなものを唱え大きく手を叩くと、一斉にある生き物達がこの部屋へと集まってきたのです。

その生き物と言うのが……大変気持ちが悪いのですが無数の鼠!そして窓の外からは漆黒の羽を羽ばたかせた蝙蝠達が舞い込んできます。


「良いか。今日から貴様らの主は私だ。心して忠誠を誓うがいい」


鼠と蝙蝠はまるで何かの魔法にでもかけられたように、伯爵の周りをぐるりと囲み、じっとその黒い瞳で伯爵を見詰めています。

察するに伯爵、もといバンパイアは催眠術のような魔力を使い、鼠や蝙蝠を忠実な部下として従えていたようです。


「我が下僕となった貴様らには、今後大いにその力を発揮して貰おう」


鼠や蝙蝠風情に何が出来るってんだ?などと疑問が浮かびましたが、問題はそこではありません。


「娘よ、どうしたのだ?そんな部屋の隅で固まって……」


小夜子は部屋の隅っこの窓際にある、分厚いカーテンの裏側に隠れていました。


「気持ちが悪いのです!」


「気分でも悪いのか?」


「そうじゃなくて!だってそんなに沢山の鼠が。あ~っ!私もう駄目!お部屋に戻ってお先に休んでおります!」


そう言い終わらないうちに、早々と部屋から飛び出してゆきました。


「いくらバンパイアだからって、あんな気持ち悪い部下悪趣味だわ!不潔だわ!」


部屋のベッドに腰を下ろし、小夜子は独り言のように呟いたのでした。


朝になりました。

夜行性のバンパイアが活動するのは夜が更けてから。よって一般的に生き物が目を覚ますこの時間は、バンパイアにとっては休息の時間で御座います。


一応朝のご挨拶を済ませる為に伯爵の部屋をノックしましたが、返事がないところを見るとすっかり眠りこけているのでしょう。まったくどこまでもノー天気な伯爵です。


昨夜はショックの余りに無数の下僕達の部屋から逃げ去ってしまいましたが、あの後伯爵から幾つかの連絡事項を受け取りました。


伯爵が術を解かない限り、下僕達は忠実に働き続けるという事。

食料の調達は下僕に頼んであるので、食べなければ死んでしまう人間の小夜子でも安心していいとの事。

下僕には料理の腕も備わっているので、食事の心配もいらないという事。


と、まあこんな感じ。さて、どこから突っ込みましょうか。

食料の調達と言っていますが、昨夜貨幣は必要ないと言い張っていた以上、お店で購入したのではなくどこからか盗んだものと考えて宜しいでしょう。


なんせ大きな美術品やらシャンデリアですら盗んでしまう出来のいい下僕ですから、食料の調達くらい朝飯前に決まっています。


その上料理すら賄ってしまうそうなのですから、こいつは吃驚です。もはや、犬が足し算をするとか猫が戸を開けるとかそういった次元を遥かに超えたレベルの技です。

鼠や蝙蝠に料理が出来ると言うのですから、動画を撮ってYouTubeにアップすればたちまち話題沸騰間違い無しです。


しかしそんな事どうでもいいのです。伯爵の下僕がどんなに器用だろうと有能だろうと、小夜子の気持ちは変わりありません。


つまるところ、鼠や蝙蝠の触った食べ物など、口にしたくないのです!だってだって、気持ちが悪いじゃないですか!

あの不潔っぽい、小汚い、チョロチョロした生物が作り上げた料理など、誰が喜んで口にしましょう。


そもそも食料の調達に出向いている時点で食材にあの汚い体が触れているのですが、せめて調理くらいは自分の手でやらねば気が済みません。

シンデレラは鼠と一緒にお針仕事をしてドレスを仕立てたじゃねーか、などと言うメルヘンな突っ込みは不要です。

あれは物語としてデフォルメされた愛らしい鼠だからこそ許せるのであって、あのボサボサした灰色の毛やミミズみたいに皮膚が露出した細長い尻尾の生き物に置き換えたら、ただ不気味で気色悪いだけです。


それにしても、鼠や蝙蝠がどうやって人里から此処まで食料を運んだのでしょうねえ?

沢山の鼠達がエッサホイサと野菜を背負って丘を登る姿は可愛いと言えなくもない状況ですが、不潔で気持ち悪い事実に変わりはありません。


兎に角あんな気持ちの悪い生き物に料理を作らせる訳にはいきません。他人が食べる物でしたら別にどうでもいいので放っておきますが、自分の口に入るものはきちんと管理せねばなりません。


この古城には立派な厨房があり、調理器具もそれなりに揃っているようです。どれも古いもので大分傷んではいましたが、思ったより不潔でなくどうにか使えなくもないと言ったところです。


とりあえず厨房にある調理器具と伯爵の下僕が集めてきた食材で何かこしらえましょうか……。食材と言っても、恐らく街付近の畑からかっぱらってきたお野菜くらいしか見受けられませんけど。農家の皆様、お許しください。


テーブルに置かれた大きな南瓜に手を伸ばすと、陰に隠れていた小さな鼠がささっと身を動かしました。


「ぎゃあっ!」


みっともないのですが、思わず大声を上げてしまいました。だって、やっぱり気持ち悪いんだもん……。


鼠は何か言いたげな視線で(そう感じるだけかもしれませんが)小夜子の顔を見上げています。テーブルの上からじーっと動かない鼠に、小夜子は恐る恐る声を掛けます。


「あ、貴方がこれを持ってきてくれたの?」


南瓜片手に問いかけるも、鼠は黙ったままです。


「貴方伯爵様に術を掛けられているんでしょう?だったら私の言う事も判る筈よね?」


鼠は黙って、時折髭をピクピク動かすばかり。


「返事も出来ない訳?じゃあ其処をどいて頂戴。今から此処でお料理をしたいのよ」


触りたくないので、手でしっしっと追い払う動作をします。これが効いたのか、鼠は大人しくテーブルから降りてゆきました。


「判っているのなら返事をしてよ」


その時、眠っていた筈の伯爵が厨房へと入ってきました。


「お早う御座います。ちょっと伯爵様、部下への教育がなっていないんじゃなくて?この鼠さん、さっきから私の言う事を無視するんですのよ。返事もしやしない」


「日本の鼠は言葉を話すのかね?」


「だったら面白いのですけど」


「ならばルーマニアの鼠も同じだ。君の問いかけに応える義務はない。彼らが忠誠を誓うのは私だけだから、私以外と会話する事も無い」


「えーっそれってずるい。じゃあこの鼠さんは伯爵様の言う事は聞くけど、私の言う事は聞かないって意味ですか?」


「そんな事は無い。私の術にかかった者達は皆言葉を聞き入れ理解するだけの能力を持ち合わせている。君の言葉に背くのは、単純に命令を聞く程の人物ではないと見くびっているだけだろう」


随分と失礼な話です。人間に生まれて十九年、よりによって鼠如きに見くびられるとは、何たる侮辱。

う~ん、でも世界一のテーマパークを牛耳るは世界一有名な鼠さんだし、案外鼠さんも舐めてかかっちゃいけないのかしら?


「ところで伯爵様、随分とお早いようで。夜型の貴方ですから、朝は眠っているものだと思いました」


伯爵は何故かふんっと威張って応えました。


「バンパイアたるもの、早起きくらいお手の物よ」


何故か早起きしただけでやたら得意げです。こんな早起き、ラジオ体操へ向かう小学生くらいしか褒めるに値しません。そもそも大して早くねーし。


「御免なさい。まだ朝食の準備が出来ていないんですの」


土の付いた南瓜に申し訳程度の菜っ葉が数枚、これだけでは、極上の朝食をこしらえる自信がありません。


「それに、このお城にはガスがありませんわ。水道も止まっているようですし……。食材があるのはありがたいけど、これじゃあ食べられないわ」


「私は食べなくとも問題ない」


そりゃテメーはいいだろうよ。と、思いながら、小夜子は暫く南瓜と菜っ葉相手に睨めっこをしていました。


 「いいわ。あんまりお腹も空いていないし、一先ず食事は後回しにしましょう」


本当はお腹が空いているのです。だからと言って、この状況で何をどう料理しましょう。いっそまた伯爵を使い走って、マックで朝マックセットでも買ってきて貰おうかしらん?


しかしどうも、今朝の伯爵はお顔色が優れないようです。いえ、元々色白で青褪めているのですけど、今朝は特に表情が曇っているように感じます。


「伯爵様、具合でも悪いのですか?なんだか妙に覇気がないようですけど……」


伯爵は少しムッとして言い返します。


「娘に同情される程ではない!」


「ああそうですか」


適当に返事しましたが、伯爵の様子がおかしいのは確かです。なんだか元気がないように見えるし、表情も少しばかり暗く見えます。

ノー天気の伯爵が珍しく塞ぎこんでいると、必要以上に心配になってしまうのです。


「いいお天気ですね」


会話に困った時は、天気の話に限ります。小夜子は厨房の窓にかけられた厚手のカーテンを捲り、呟きました。


「太陽光を入れるな!馬鹿者め!」


「あっ御免遊ばせ。少しくらいなら平気かと思って……」


小夜子は慌ててカーテンを引きました。人間にとってお散歩日和のいいお天気でも、バンパイアにとっては忌々しい太陽光でしかないようです。


今度はそっと、太陽光が室内に入らないように、慎重にカーテンを捲り顔だけを窓の外に出しました。


「こんなにいいお天気ですから、夜はきっと綺麗なお月様が出るわ。伯爵様の夜のお散歩にぴったりなのではなくて?」


何気ない日常会話のつもりで話しかけても、伯爵は応えてくれません。やっぱり様子が変みたい。

ま、こういう時は放っておくに限るでしょう。それより重要なのは、これからの食糧確保とこの城での調理法です。オマンマ食えなきゃ、明日の命も繋げません。


厨房の窓からぼんやりと城の庭先を見詰めていると、ふとこちらへ向かう一人の人影が目に入りました。


「あら珍しい。誰かがこのお城に来るみたいだわ」


「ふん。また図々しい人間がこの城に汚い足を踏み込もうというのか」


「ちょっとちょっと、落ち着き計らっているけど、誰かに見付かったらヤバいんじゃなくて?お呑気に脚なんか組んじゃってるけど、私がここに居るってばれたら追い出されちゃうわ。それにもし伯爵様がバンパイアだって気付かれたら、あっという間にとっ捕まって見世物小屋送りだわ」


そうこう考えているうちに、人影はどんどん近付いてきます。観光かしら?

ううん、なんだか様子が違います。観光という程楽しんでいる様子でもないし、何か大量の鍵のような物をジャラジャラと持ち歩いています。


「まさか」


小夜子はピーンと閃きました。


「伯爵様!なんだかちょっと、やばそうです!」

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